12月13日、休みだった私は雨だったせいもあって一日中CDを
聴いていた。「BOSCOE」「HEATWAVE」といった最近買ったソウル物を
中心に聴いていたのだが、その中に「THE IKETTES」もあった。
『Can't Sit Down...'Cos It Feels So Good 』というタイトルのCDで
コンプリート・モダーン・レコーディングをうたった物だが、
もうすぐPヴァインから出る紙ジャケのほうが、2曲多いようだし
ボーナス・トラック以外は当時のアルバムの曲順通りに並べられているので
そっちのほうが良さそうだ。
それはさておき、夕刊を見るとアイク・ターナー逝去の記事が・・・。
ああ、そんな日にアイケッツを聴いていたのか。
ほとんどライブを見に行かない私が見た唯一のソウル・ミュージシャンが
アイク・ターナーで、ブルーズ・マンがジュニア・ウェルズなのだが
これで二人とも故人になってしまった。
アイク&ティナ・ターナーはソウル・レヴュー形式のショーで売り出したが
ロックのカバーが多かったせいか、フェスティバルやTVショーで
ロック・ミュージシャンとの共演が多かった。
そのため他のソウル・アーティストより比較的早く、私は映像を見る
ことになるのだが、J.B.ほどではないにしろアイクがバック・ミュージシャンを
コントロールする感じはわかったし、ティナに負けず劣らずの
扇情的な踊りを披露するアイケッツも魅力的だった。
アイク・ターナーを見たのは、今や伝説といってもいい94年8月21日
豊橋船渡埠頭で行われた「ライブ・セレブレーション’94豊橋」と
題された野外フェスティバルでのこと。
登場するや最初のアクションでシールドが抜けたときは、大丈夫かよと
思ったが(もちろん、老いを心配したのだ)、何事も無かったかのように
鋭角的なフレーズを連発、若々しい動きと指捌きを披露してくれた。
途中、大雨が降ってきたが演奏者も客も全く怯まずステージは進行、
ニュー・アイケッツの踊りがよりセクシーに見えるという
予定外の演出になった。アイク・ターナーのステージ自体が素晴らしかった
のは言うまでもないが、大雨というハプニングが妙な高揚と一体感を
生み出し、尚且つフェス自体がグレードの高い内容だったにも関わらず
諸問題(大赤字だったと聞いた)のため、単発で終わったことも
このフェスの伝説化の一因となっている。
ソロ、セッション時代の写真を使うほうが良かったのだろうが、
やっぱり「アイク&ティナ・ターナー」時代を一番熱心に聴いたので。
波乱万丈の人生だったようだが、昨年の遺作がグラミー受賞というのも
なんとなくアイク・ターナーらしい。
聴いていた。「BOSCOE」「HEATWAVE」といった最近買ったソウル物を
中心に聴いていたのだが、その中に「THE IKETTES」もあった。
『Can't Sit Down...'Cos It Feels So Good 』というタイトルのCDで
コンプリート・モダーン・レコーディングをうたった物だが、
もうすぐPヴァインから出る紙ジャケのほうが、2曲多いようだし
ボーナス・トラック以外は当時のアルバムの曲順通りに並べられているので
そっちのほうが良さそうだ。
それはさておき、夕刊を見るとアイク・ターナー逝去の記事が・・・。
ああ、そんな日にアイケッツを聴いていたのか。
ほとんどライブを見に行かない私が見た唯一のソウル・ミュージシャンが
アイク・ターナーで、ブルーズ・マンがジュニア・ウェルズなのだが
これで二人とも故人になってしまった。
アイク&ティナ・ターナーはソウル・レヴュー形式のショーで売り出したが
ロックのカバーが多かったせいか、フェスティバルやTVショーで
ロック・ミュージシャンとの共演が多かった。
そのため他のソウル・アーティストより比較的早く、私は映像を見る
ことになるのだが、J.B.ほどではないにしろアイクがバック・ミュージシャンを
コントロールする感じはわかったし、ティナに負けず劣らずの
扇情的な踊りを披露するアイケッツも魅力的だった。
アイク・ターナーを見たのは、今や伝説といってもいい94年8月21日
豊橋船渡埠頭で行われた「ライブ・セレブレーション’94豊橋」と
題された野外フェスティバルでのこと。
登場するや最初のアクションでシールドが抜けたときは、大丈夫かよと
思ったが(もちろん、老いを心配したのだ)、何事も無かったかのように
鋭角的なフレーズを連発、若々しい動きと指捌きを披露してくれた。
途中、大雨が降ってきたが演奏者も客も全く怯まずステージは進行、
ニュー・アイケッツの踊りがよりセクシーに見えるという
予定外の演出になった。アイク・ターナーのステージ自体が素晴らしかった
のは言うまでもないが、大雨というハプニングが妙な高揚と一体感を
生み出し、尚且つフェス自体がグレードの高い内容だったにも関わらず
諸問題(大赤字だったと聞いた)のため、単発で終わったことも
このフェスの伝説化の一因となっている。
ソロ、セッション時代の写真を使うほうが良かったのだろうが、
やっぱり「アイク&ティナ・ターナー」時代を一番熱心に聴いたので。
波乱万丈の人生だったようだが、昨年の遺作がグラミー受賞というのも
なんとなくアイク・ターナーらしい。
私には虫の知らせはなかったです・・・。
>「ライブ・セレブレーション’94豊橋」
当時、MM誌か何かを立ち読みして知ってはいました。
物凄く熱いステージだったと。
ちなみに私が唯一観たブルースマンはB.B. Kingです。
U2の前座でした。
アイクさんも過去の所業からすれば、大往生だったといっても良いような気がします。
虫のしらせ・・・というには余りに身勝手な
思い込みと偶然にすぎないのですが。
今でもあの時のアクションが浮かんでは消えます。
私は2日あったフェスの後の日しか見てないのですが
大所帯だったアラン・トゥーサンのセットも
印象に残っていて、音の出ていないマイクが
あるのに気付いたアランが演奏を止めてチェック
させたのが、なんだか格好よかったです。
アイクさんの暴君ぶりはいろいろな書き方をされていて、ティナさんがいかに虐げられていたかというのは
有名ですよね。
確かに大往生でしょう。
これからも、我々音楽ファンは多くの死と向かい合わなければなりません。
心しましょう。
ライブセレブレーションで検索していたら、たどり着きました
ご想像の通り、金銭的には厳しいイベントで、設営やステージスタッフは、地元の大学のバンドサークルの連中を
それこそ総動員してバイト活用したものです(その1人が、私です)
およそ一週間、無休&無給(弁当とケータリングのみ)で働いていたのを、懐かしく思い出しました
もう16年近く経過していますが、アイク・ターナーのステージパフォーマンスと
サウンズ・オブ・ブラックネスのグルーヴ、ノーマン・ブラウンのテクニックに
上田正樹とサウス・トゥ・サウスの「アホの坂田」は、今もハッキリと覚えています
よくあんな場所で、あんな壮大なミュージックフェスティバルをやったもんだと、今は思います…
イベント運営に携わった方のお話というのは
貴重ですね。音楽に対する情熱が無ければ
成り立たなかったイベントだというのが、単なる
客だった私にもよくわかります。
今思えば、ちょっと集客には不便な場所だったと
思いますが環境やその他諸々を考えれば、あれが
限界だったのでしょう。
サウスのステージで上田正樹が「次はみんなの好きな歌や」と言うようなことを言ったら私の少し後ろのあんちゃんが「悲しい色やね」と叫んだのが
可笑しかったことを思い出しました。
演奏された曲は「むかでの綿三」でしたが。(笑)