山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

節電社会をめざそう

2011-03-21 07:11:20 | 日記
連日、原発に必死の対応をしておられる関係者の方々は、本当に大変なご苦労だと思います。感謝します。

今回の事故は、あくまでも想定を上回った自然の猛威によるものであり、人為的なミスから起きたものではない。もし、地震の大津波さえ起きなければ、原発事故も起きなかった。
しかし、だからこそ、原子力発電は怖いと思う。

二酸化炭素を排出しないで、今、日本に必要十分なエネルギーを確保する方法は、原子力発電がよいということで、ここまで突っ走って来た。そして、ふんだんな電気を使って産業を発達させ、暮らしを豊かで便利なものにしてきた。

しかし、この事故に遭って見て、原子力というものの危険性が、計り知れないものであることがわかった。
使用済み燃料にしても、大きなプールの中に水に浸して置いてある。もともと、放射性廃棄物をどのように処分するのかという課題は、解決はしていないと思う。地下のずっと深いところに埋めてしまうという方法があるらしいが、埋めた物が限りなく増えていって大丈夫なのだろうか。今でさえ、どこに埋めたらよいのかも決まっていないから、使用済み燃料が原子力発電所に残っているのではないのだろうか。

私は、地震前から、何もかもを電気に頼る社会に不安を持っていた。周囲のあらゆるものが次々に電化されていくからだ。身体の不自由な人には必要なことかもしれないが、エレベーター・エスカレーターはいたるところにあるし、トイレにしても手を洗う水道にしても自動センサーで作動するものが多くなった。そこまで電化する必要があるのだろうか?電気に頼り過ぎだ。暮らしが便利になるにつれ、必要な使用電気量はどんどん増えていく。

そして、最近は自動車も電気へと向かってきた。温暖化の問題や、石油が近い将来枯渇する事を考えれば、仕方がない流れではあるが、すべての車がプラグインの電気自動車になり、ガソリンスタンドではなく電気スタンドから電気を補充して走りまわるようになったら、いったいどれだけの電気が必要になるだろう。このままでは、もっともっと原発を作らなくては間に合わなくなる。そして、停電した時は何も動かない。大パニックだ。

これからするべきことは、エネルギーを何としても作ることではなく、エネルギーをなるべく使わない社会を作っていくことではないだろうか。
そして、必要な電力には、日本に元々あった水力発電を使ったり、太陽光発電などを発達させること。大規模な発電所から広域に送電するのではなく、各家庭や各施設で自分たちが使うための電気を発電して賄えるシステム作りが必要だと思う。




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