山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。
と思っていたけど、もうそんな年齢じゃなくなってきた。

“ノルウェイの森”

2010-12-26 11:14:26 | 読書
 やっと「ノルウェイの森」を読み終えた。久しぶりにまとまった読書をした。
処女作「風の歌を聴け」との関連性は大きいようだ。この短編で表現できなかったことを、年月を経てからもう一度長編に書きなおしたということだろうか。登場人物たちの性に関する露骨な会話には違和感を覚えたが、この作品のテーマには欠かせないものだったということだろう。「風の歌を聴け」の主人公(僕)の友人(鼠)は、セックスシーンと人の死が出て来ない小説を書く主義だと語るが、この小説ではむしろ人間の姿として、それを描くことが重要なものとなっている。それがテーマなのだろうから、それなくしては語れないと言えよう。
 映画ではどのように表現されているかはわからないが、それはどうでもいいことだ。この小説を私があわてて読みはじめたのは、映画が公開されるから、時代について行こうと思ったのが大きな理由だが、映画を今すぐ見たいと思うわけではなかった。ただ、いずれ映画がテレビで放送されたときに、もし原作を読んでいなかったら、映画から受けるイメージをこの小説本来のものとして受け止めてしまう可能性が高い。そうではなく、自分が直接、原作を読んで場面を想像したいと思ったのだ。でも、実際には、予告映像で見る松山ケンイチのイメージなどがすでにアタマにあったりした。
 小説の登場人物たちは、どうも私の好きなタイプの人間ではないし、私よりも昔の人たちにもかかわらず、ずいぶんな生活習慣をしていると思える。未成年なのに酒は飲むは煙草は吸うは、いくらバイトをしているからといって、学生が世慣れた遊び人のように都会の夜の店のカウンターで酒を注文したり、自分の部屋の冷蔵庫にビールを貯蔵していてがぶ飲みしたり、安易にセックスをしているような生活はどうも受け入れがたい。そんなことをまるでしないとは言わないが、今の若者のほうがより品行方正な気がする。というか、庶民家庭の学生には、それだけ遊ぶお金はないでしょう。結局主人公はお金持ちなんだろう。女に優しい、理解の深い、バイトもして、アイロンも洗濯もきちんとして、いい子ちゃんの男子だな、というのがどうも鼻についてしまう。そういう違和感のようなものが、どうしても村上春樹の小説を読んでいると湧いてきてしまうのだ。自然にしていて、登場人物に好感をいだくことができないというのは、やはり村上春樹の小説は、私とは合わないという結論に落ち着く。登場人物の女はもっと悪い。だいたいわがまま過ぎる。わがまま・奇抜・傷つきやすい・感受性豊かな女は、私が大嫌いなタイプだ。少なくともそれを露骨に表に出す女は嫌いだ。
 なんだか、また支離滅裂になってしまったが、収拾のつかないところで終わりにする。まあ、この作品を読んでみて、内容を一通り確認できたことが、自分にとっては良かったと思う。

12月、村上春樹著「ノルウェイの森」、やっと1冊 読了。
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