その1
今、定期的に購読している印刷物のモニターをしているんだけど、インターネットでアンケートに答えると薄謝が貰える。しかし、怠慢な私は、その印刷物に目を通していない事が多い。お金が欲しいので、アンケートには来るたびにきちんと答えている。それで、そのアンケートは、「○号を読みましたか?」という質問から始まる。最初は「読んでいない」と答えるわけにはいかないだろうと思い、「読んだ」と答えて、あわてて目を通してから、質問に答えていた。その場合、「この部分に気が付きましたか?」というふうな質問がある。自然状態で気が付いたかどうかが問題なんだろうけど、アンケートが来たと思ってから見るから、ちょっと自然の気づき方とは違ったことになる。
それで、次にアンケートが来た時に、「読んでいない」と正直に答えてみたところ、「では、該当部分を読んでからお答えください」というふうになり、そのまま質問が続いていった。
なあんだ、読んでいなくても、その場で読めばいいのか、と思った。それで、それ以後は、正直に「読んでいない」を選ぶようになった。
ところで、先日久しぶりにアンケートに答えることになり、最初の質問に「読んでいない」と答えたところ、いきなり「アンケートを終わります」となって、サイトが閉じてしまった。あれえ~~~。
もう一回アンケートをやろうと思ったら、「すでにお答えいただいています」と表示され、やり直しはできなかった。やっぱり、あらかじめ読んでないとダメなのかな。「この人はいつも読んでいない」「読んでいないのが3回続くと失格」とかになるのかな~~~。
ええ~ん、これからはちゃんと読んどくよ~~~。
ところで、このモニター、アンケートの中身については「多言無用」ということである。
あ、じゃあ、ブログにこんなことも書いちゃだめかな???ま、何のモニターとも書いてないし、具体的なことは書いてないからいいよね。
その2
「人の口に戸は立てられぬ」とかいう言葉があったかな?
なかなか大変です。“王様の耳はロバの耳”です。地面に穴を掘って叫んでしまったり、ブログでつぶやいたりしてしまう・・・
私の会社は、やめる人がいると送別会をする。ま、どこの会社もそうかな。
円満退社の場合は、全体的に声をかけて、出欠を取る事が多いが、本人の意向によって、関係の濃い一部の部署のみでやることもある。あるいは、やらないこともある。以前は私も同じ部署の人が辞める時は送別会に参加していたが、このごろは金欠病なので行かないようにしている。
ところで、最近の送別会では妙な人選がされていた。所属部署にかかわらず、辞める当人が好きな人と嫌いな人を選別し、幹事が声をかける人を制限しているようなのだ。
幸いにして私は「送別会に誘っても支障はない」部類の人間に選別されたらしく、さらに人数が多くないと居酒屋の団体割引がきかないので、たぶん「頭数を満たすために加えられ」ており、メールで案内が来ていたのだが、メールの宛名を見ると、名前のない人もいた。そして、送別会については「多言無用」とのことだ。つまり、声をかけていない人には送別会のことを話題にしないようにということなのだろう。誰に声をかけていて誰にかけていないのかを把握しておかないと大変だ。
メールの来た人:ねえねえ、送別会行く?
来ない人:はっ、何のこと?
来た人:(あ、いけねえ・・・)
[気まずい雰囲気]
メールの来ない人:あのさあ、○さんの送別会やらないのかな?
来た人:・・・さあ・・・なんか、やるみたいだけど、・・全員を呼ぶわけじゃないみたいだよ・・
来ない人:えっ?そうなの?(俺、隣の席なんだけどな~)
[気まずい雰囲気]
こういう場合、呼ばれなかった人よりも、呼ばれた人のほうが困ってしまったりするのではなかろうか。
しかし、主賓にとっては、来てもらいたくない人が来てしまうのもなんだろうから、人間関係は難しい問題だ。
そういえば、高校の同学年全体の同窓会にはよく出るが、クラスの同窓会というのは、1回くらいしか出たことがなかった。全体の同窓会のときに、クラスの同窓会ってやらないよね、という話になったら、「えっ、卒業したころは毎年やってたじゃない」というような話になって驚いた。住所不明者には当然連絡はつかないけど、そうではなく、やはり幹事が声をかけたい人とかけたくない人を分けて連絡していたらしいのだ。この場合、私は後者に属していた。親しい友人たちは、一部前者、一部後者という具合だったが、幹事と親しいほうの部類ではなかった。これは、ずっと何年もあとになってわかったことである。もともとは多言無用だったらしい。知らぬが仏。
一部の人だけでやるというのはアリだが、一部の人を除いてやるというのは、ビミョーだ。
「他言無用」とは、
誰に言ってよかったか、いけなかったか、
どこまで言ってよかったか、いけなかったか、
そのうちに、わからなくなるものだ。
今、定期的に購読している印刷物のモニターをしているんだけど、インターネットでアンケートに答えると薄謝が貰える。しかし、怠慢な私は、その印刷物に目を通していない事が多い。お金が欲しいので、アンケートには来るたびにきちんと答えている。それで、そのアンケートは、「○号を読みましたか?」という質問から始まる。最初は「読んでいない」と答えるわけにはいかないだろうと思い、「読んだ」と答えて、あわてて目を通してから、質問に答えていた。その場合、「この部分に気が付きましたか?」というふうな質問がある。自然状態で気が付いたかどうかが問題なんだろうけど、アンケートが来たと思ってから見るから、ちょっと自然の気づき方とは違ったことになる。
それで、次にアンケートが来た時に、「読んでいない」と正直に答えてみたところ、「では、該当部分を読んでからお答えください」というふうになり、そのまま質問が続いていった。
なあんだ、読んでいなくても、その場で読めばいいのか、と思った。それで、それ以後は、正直に「読んでいない」を選ぶようになった。
ところで、先日久しぶりにアンケートに答えることになり、最初の質問に「読んでいない」と答えたところ、いきなり「アンケートを終わります」となって、サイトが閉じてしまった。あれえ~~~。
もう一回アンケートをやろうと思ったら、「すでにお答えいただいています」と表示され、やり直しはできなかった。やっぱり、あらかじめ読んでないとダメなのかな。「この人はいつも読んでいない」「読んでいないのが3回続くと失格」とかになるのかな~~~。
ええ~ん、これからはちゃんと読んどくよ~~~。
ところで、このモニター、アンケートの中身については「多言無用」ということである。
あ、じゃあ、ブログにこんなことも書いちゃだめかな???ま、何のモニターとも書いてないし、具体的なことは書いてないからいいよね。
その2
「人の口に戸は立てられぬ」とかいう言葉があったかな?
なかなか大変です。“王様の耳はロバの耳”です。地面に穴を掘って叫んでしまったり、ブログでつぶやいたりしてしまう・・・
私の会社は、やめる人がいると送別会をする。ま、どこの会社もそうかな。
円満退社の場合は、全体的に声をかけて、出欠を取る事が多いが、本人の意向によって、関係の濃い一部の部署のみでやることもある。あるいは、やらないこともある。以前は私も同じ部署の人が辞める時は送別会に参加していたが、このごろは金欠病なので行かないようにしている。
ところで、最近の送別会では妙な人選がされていた。所属部署にかかわらず、辞める当人が好きな人と嫌いな人を選別し、幹事が声をかける人を制限しているようなのだ。
幸いにして私は「送別会に誘っても支障はない」部類の人間に選別されたらしく、さらに人数が多くないと居酒屋の団体割引がきかないので、たぶん「頭数を満たすために加えられ」ており、メールで案内が来ていたのだが、メールの宛名を見ると、名前のない人もいた。そして、送別会については「多言無用」とのことだ。つまり、声をかけていない人には送別会のことを話題にしないようにということなのだろう。誰に声をかけていて誰にかけていないのかを把握しておかないと大変だ。
メールの来た人:ねえねえ、送別会行く?
来ない人:はっ、何のこと?
来た人:(あ、いけねえ・・・)
[気まずい雰囲気]
メールの来ない人:あのさあ、○さんの送別会やらないのかな?
来た人:・・・さあ・・・なんか、やるみたいだけど、・・全員を呼ぶわけじゃないみたいだよ・・
来ない人:えっ?そうなの?(俺、隣の席なんだけどな~)
[気まずい雰囲気]
こういう場合、呼ばれなかった人よりも、呼ばれた人のほうが困ってしまったりするのではなかろうか。
しかし、主賓にとっては、来てもらいたくない人が来てしまうのもなんだろうから、人間関係は難しい問題だ。
そういえば、高校の同学年全体の同窓会にはよく出るが、クラスの同窓会というのは、1回くらいしか出たことがなかった。全体の同窓会のときに、クラスの同窓会ってやらないよね、という話になったら、「えっ、卒業したころは毎年やってたじゃない」というような話になって驚いた。住所不明者には当然連絡はつかないけど、そうではなく、やはり幹事が声をかけたい人とかけたくない人を分けて連絡していたらしいのだ。この場合、私は後者に属していた。親しい友人たちは、一部前者、一部後者という具合だったが、幹事と親しいほうの部類ではなかった。これは、ずっと何年もあとになってわかったことである。もともとは多言無用だったらしい。知らぬが仏。
一部の人だけでやるというのはアリだが、一部の人を除いてやるというのは、ビミョーだ。
「他言無用」とは、
誰に言ってよかったか、いけなかったか、
どこまで言ってよかったか、いけなかったか、
そのうちに、わからなくなるものだ。