山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

多言無用

2011-06-16 23:37:49 | 日記
その1
今、定期的に購読している印刷物のモニターをしているんだけど、インターネットでアンケートに答えると薄謝が貰える。しかし、怠慢な私は、その印刷物に目を通していない事が多い。お金が欲しいので、アンケートには来るたびにきちんと答えている。それで、そのアンケートは、「○号を読みましたか?」という質問から始まる。最初は「読んでいない」と答えるわけにはいかないだろうと思い、「読んだ」と答えて、あわてて目を通してから、質問に答えていた。その場合、「この部分に気が付きましたか?」というふうな質問がある。自然状態で気が付いたかどうかが問題なんだろうけど、アンケートが来たと思ってから見るから、ちょっと自然の気づき方とは違ったことになる。
それで、次にアンケートが来た時に、「読んでいない」と正直に答えてみたところ、「では、該当部分を読んでからお答えください」というふうになり、そのまま質問が続いていった。
なあんだ、読んでいなくても、その場で読めばいいのか、と思った。それで、それ以後は、正直に「読んでいない」を選ぶようになった。
ところで、先日久しぶりにアンケートに答えることになり、最初の質問に「読んでいない」と答えたところ、いきなり「アンケートを終わります」となって、サイトが閉じてしまった。あれえ~~~。
もう一回アンケートをやろうと思ったら、「すでにお答えいただいています」と表示され、やり直しはできなかった。やっぱり、あらかじめ読んでないとダメなのかな。「この人はいつも読んでいない」「読んでいないのが3回続くと失格」とかになるのかな~~~。
ええ~ん、これからはちゃんと読んどくよ~~~。
ところで、このモニター、アンケートの中身については「多言無用」ということである。
あ、じゃあ、ブログにこんなことも書いちゃだめかな???ま、何のモニターとも書いてないし、具体的なことは書いてないからいいよね。

その2
「人の口に戸は立てられぬ」とかいう言葉があったかな?
なかなか大変です。“王様の耳はロバの耳”です。地面に穴を掘って叫んでしまったり、ブログでつぶやいたりしてしまう・・・

私の会社は、やめる人がいると送別会をする。ま、どこの会社もそうかな。
円満退社の場合は、全体的に声をかけて、出欠を取る事が多いが、本人の意向によって、関係の濃い一部の部署のみでやることもある。あるいは、やらないこともある。以前は私も同じ部署の人が辞める時は送別会に参加していたが、このごろは金欠病なので行かないようにしている。
ところで、最近の送別会では妙な人選がされていた。所属部署にかかわらず、辞める当人が好きな人と嫌いな人を選別し、幹事が声をかける人を制限しているようなのだ。
幸いにして私は「送別会に誘っても支障はない」部類の人間に選別されたらしく、さらに人数が多くないと居酒屋の団体割引がきかないので、たぶん「頭数を満たすために加えられ」ており、メールで案内が来ていたのだが、メールの宛名を見ると、名前のない人もいた。そして、送別会については「多言無用」とのことだ。つまり、声をかけていない人には送別会のことを話題にしないようにということなのだろう。誰に声をかけていて誰にかけていないのかを把握しておかないと大変だ。

メールの来た人:ねえねえ、送別会行く?
来ない人:はっ、何のこと?
来た人:(あ、いけねえ・・・)
[気まずい雰囲気]

メールの来ない人:あのさあ、○さんの送別会やらないのかな?
来た人:・・・さあ・・・なんか、やるみたいだけど、・・全員を呼ぶわけじゃないみたいだよ・・
来ない人:えっ?そうなの?(俺、隣の席なんだけどな~)
[気まずい雰囲気]

こういう場合、呼ばれなかった人よりも、呼ばれた人のほうが困ってしまったりするのではなかろうか。
しかし、主賓にとっては、来てもらいたくない人が来てしまうのもなんだろうから、人間関係は難しい問題だ。

そういえば、高校の同学年全体の同窓会にはよく出るが、クラスの同窓会というのは、1回くらいしか出たことがなかった。全体の同窓会のときに、クラスの同窓会ってやらないよね、という話になったら、「えっ、卒業したころは毎年やってたじゃない」というような話になって驚いた。住所不明者には当然連絡はつかないけど、そうではなく、やはり幹事が声をかけたい人とかけたくない人を分けて連絡していたらしいのだ。この場合、私は後者に属していた。親しい友人たちは、一部前者、一部後者という具合だったが、幹事と親しいほうの部類ではなかった。これは、ずっと何年もあとになってわかったことである。もともとは多言無用だったらしい。知らぬが仏。
一部の人だけでやるというのはアリだが、一部の人を除いてやるというのは、ビミョーだ。

「他言無用」とは、
誰に言ってよかったか、いけなかったか、
どこまで言ってよかったか、いけなかったか、
そのうちに、わからなくなるものだ。

エステーのCM

2011-06-16 00:06:22 | 日記
結論から書こう。
私は、エステーのCMが好きだ。
エステーのCMは、歌がうまい。会社名・商品名がはっきりしている。だから、気持ちがいい。

15日の讀賣新聞夕刊に“大震災後のCM動向分析 「頑張ろう」から「日常」へ”という記事があった。CM総合研究所がやっている好感度調査の結果などについて書かれた記事だ。そこに掲載されている1枚目の写真が、ポルトガル・リスボンで撮影したエステーのCM。すごい歌唱力の少年が「消臭力」の歌を歌っているところ。やっぱり誰が見ても一目置くCMに間違いない。

私が、最初にこのCMをテレビで見た時は、10歳くらいの美しい外国人の男の子の歌唱力に目を見張った。そのときは、消臭力のメロディーをララララララで歌い始めた。よく知っている歌なので、歌詞がなくとも何のCMかは判然としていた。そして、少年は最後に「ショウシュウリキ~~~~~」と日本語の言葉で歌った。素晴らしい歌声だけど、やはり外国人だから全部を日本語で歌うのは無理なんだろうなと思った。
ところが、なんと、その後、全部日本語でちゃんと歌っているCMも流れた。へえ~、ちゃんと歌えるんじゃん、完璧じゃん、すごいね~とさらに感心したものだ。
背景の町並みはどこかわからないが、ヨーロッパだと思った。センスがいい。他の外国人が歌うのもあるけど、断然この少年のがいい。

動画があったので貼り付けます。




15日の讀賣新聞の記事では、5月前半の調査で、このCMが2位に入ったとのことであり、記事には次のように記されている。
「見逃せないのが、ヨーロッパの街並みを背に現地の人々が「消臭力」を歌いあげるエステーのCMが、同社の過去最高となる2位に入ったこと。込められたメッセージは「頑張ろう」ではなく、「日常に戻ろうよ」だという。
 鹿毛康司・宣伝部長兼クリエイティブ・ディレクターは「エステーといえばナンセンスCMだが、震災でこれまでの方法論を見直す必要があった。従来なら絶対出さない少年や美しい景色を出しつつ、どうやったら笑ってもらえるか考えた」と意図を語った。ロケ地のポルトガル・リスボンは18世紀に大地震・津波に見舞われ復興した街だが、そのことは表示していない。」

エステーのCMのロケ地が、18世紀に大地震・津波の被災地だったという事実、そして、それを表に出さないところがすごいと思った。

この新聞記事には、4月後半の調査では、ACの「思いは見えないけれど思いやりは誰にでも見える」が1位であり、サントリーホールディングスの、いろいろな人が「見上げてごらん夜の星を」と「上を向いて歩こう」を歌うCMが2位だったと書かれている。
このサントリーのCMでは、俳優などがワンフレーズずつ歌を歌って1曲を歌う形になっている。そして、サントリーの文字は、画面の下のほうに控えめに出るだけのものだった。サントリーの宣伝というよりも、心を癒す場面をサントリーが提供しているという感じのものだ。
だが、正直言って、私の感想では「俳優って、歌が下手なんだね」と思うばかりだった。歌手じゃないんだから仕方がないけど、あんなにも下手なものかな~。そして、歌手でも下手な人がいた。日本人ってみんな歌が下手だな~、お粗末だな~、どうせならもっとうまい人はいないのかな~。
うまい下手はどうでもいいことなのだ、みんなで心を1つにすることが大切なんだ、とはわかってはいるものの、ちょっとがっかりだなと思ったものだ。
それに比べると、やっぱりエステーのCMはすごい。しっかり歌いあげているのだ。

ちなみに、5月の前半の1位は、ソフトバンク携帯の白戸家の通常のシリーズのCMだそうだ。
最近は、兄妹がうちわで煽りあったり、犬の姿のお父さんが犬型の扇風機の前で涼んだりしている家族の日常風景のCMが流れており、私も好きなCMである。

新聞によると「テレビCMにできるのは、ムードを作ること。メッセージを繰り返し流すことで、全国民のムードを高めていくことがきるのではないか」とCM総合研究所の方が言っておられるそうだが、その通りだと思う。これからも、気分を盛り上げるようなCM作っていただきたい。