山本飛鳥の“頑張れコリドラス!”

とりあえず、いろんなことにチャレンジしたいと思います。

久々の迷走

2011-06-25 13:30:28 | 運転・車・道路の事
迷走するのはお手のものだと言いたいところですが、好きで迷走しているわけじゃなし、何度迷走しても恐ろしい限りです。

今日は、「埼玉スポーツセンター」というところに行ってみようと思い立ちました。ここは娘が時々行くらしいです。岩盤浴や垢すりなどやってきます。話に聞くと、道は簡単だとのこと、まっすぐいって左に曲がり、また左に曲ればよいのだとか。

地図を見ても確かにそう難しそうではありませんでした。
笹目通りを北に向かって真っすぐ走って行きました。道は東京都から埼玉県へ。練馬区から和光市に入ります。ポイントとなる交差点は「和光陸橋」。ナビの言うとおりに左側道に下ります。ここは五差路になっていて、川越街道と交差。左斜め方向に進みました。そこからは、片側2車線の川越街道(国道254号)をずっとまっすぐです。和光市から朝霞市、新座市と移っていきました。娘は直ぐに着くようなことを言っていましたが、距離は結構あります。といっても、自宅からは18kmくらいでした。スポーツセンターは10時からなので、9時半頃出ようと思っていたのが10時近くの出発となり、ナビの到着予想時刻は11時近いので、これは遅すぎたなと思いました。1時間近く見ておいた方がよさそうです。

国道254号の第一車線を走っていると、第一車線と第二車線が方向別に分かれることに気がつきました。左折だけを繰り返していれば着くと思っていたので、第二車線に変更するという気がなく、そこを直進するためにはいよいよ移らなければならないらしいと思った時には、第二車線に車がいっぱい。直後に接近している車が行き過ぎてから移ろうと考えていると、道が急に車線変更禁止のピンクがかったオレンジのような太いラインになってしまいました。うわっ、出来ないよ。カーブもあったので、きっとカーブが終われば変更できると思ったものの、結局もはや車線変更禁止。でもそのレーンは直進もできるようになっているため、左折をせずに進んでみました。すると、その先は直進不可で、ぐるりと円を描いて左に曲がっていき、とんでもない方向へ。やっぱり直進はできないんだ・・・。
こうなってしまうと、もはや自分はどこを向いているのかも不明。ナビは軌道修正しようと色々案内してくれるので、ちょっと従ってみたりしたけど、変な細い道を走りまわっていて、わけがわからないので、「自宅に帰る」にしてしまいました。すると、またさらに変な道をあっちこっち曲がりながら走ることになり、結局のところ、やっと川越街道に戻り、池袋の方向に走って、また和光陸橋の交差点を曲がり、笹目通りに帰ってきました。ふう~~~~。

娘が簡単だと言う「スポーツセンター」には結局着けず、情けない・・・。2時間くらいただただ走ってきました。でもたぶん迷走区間を入れても40kmくらいかと思います。
ただいま、全走行距離4620kmです。

ところで、ミスをやらかした道ですが、自宅に戻って地図を見ると、「英インター」と書いてある。「えいインター?」なんで「英」なんだろう・・・。
ネットでしらべてみると「はなぶさ」と読むらしいです。「浦和所沢バイパス」というのと交差しているのですね。英インター以北は川越街道は狭くなっているらしい。だから、2車線のうちの1つが左折レーンになってしまったのか。
ちゃんと直進レーンを走っていけば、スポーツセンターに着いたんだけどな。距離としてはもう少しだったと思う。しかし、我が家には埼玉県の詳細な道路地図がないため、英インターあたりは、東京都の道路地図にはくわしく載っていない。やっぱり埼玉県の地図を買う必要がある。ナビは時々、走行車線を確認してください、というが、ここでは言わなかった。しかし、確かにナビの画面には左折レーンと直進レーンだけが表示されていた。
やっぱり、車線変更をしそびれた自分がトロイという以外に、なんら原因はない。
ま、次回は間違えないだろうよ。

とりあえず。川越街道を走ってみたかったので、それはそれでよかった。この道路は頻繁に追突注意の表示が出ていた。坂やカーブも適度にあった。今日は土曜日なので、相変わらずパネルバンなどの運送車が多く、前後隣等に囲まれるとちょっと威圧感があった。あんまりいい気分で走れる雰囲気の道路ではなかった。
午後から雨が降るというので、午前中に行って来られたから、まあよし。
今日は、だんだん涼しくなるようだ。午後は自宅でゆっくりする。



しんちゃんの自転車

2011-06-25 01:19:19 | 日記
「押し入れのちよ」の中の最後の作品。いくつもの短編を読んできて、深夜に自転車に乗って窓から遊びに誘う男の子が、どういう子なのかは、大かた察しがつく。そして予測通り、その子はすでにこの世のものではない。
行き先は、お墓を通り越えて行く「おたま池」、となるとますますそれらしい。しかし、しんちゃんは生きている時と変わらない明るい友だちだった。

この作品を読んで、私は小2の時に亡くなったクラスメートのM君の事を思い出した。
M君は、1年の途中で転校してきたと記憶しているけど、近所に住んでいた。そして、教室の席は私の前か隣だった。以前、このブログに書いたこともあると思うけど、ある日、授業中にアタマが痛いとM君が私に訴えてきた。「先生に言ったほうがいいよ」と私は答えた。そのあと、M君がどうしたかは知らない。翌日の朝には、M君が亡くなったという知らせが自宅に届いた。具合が悪くなって、熱を測ったときには、とても低かったのだそうだ。M君の家に駆けつけた。それはお葬式の時だったかもしれないが、M君は、畳の上の布団に寝ていた。耳のそばの側頭部が紫のように黒ずんでいて、内出血の跡があった。
その日は雨が降っていた。私は、M君の家のそばのその雨の中の情景だけをくっきりと覚えている。

なんで、こんなことを淡々と書いているのだろう。でも、私はあれから40年以上経つのだけれど、M君の存在を覚えている一握りの人間の1人だと思う。
M君には年の近いお兄さんがいた。頭は、朝お兄さんとけんかをしたかふざけたかして、げた箱のところで打ったのだとか?事実は定かではないが、そんな噂をきいたことがある。今になって思うと、私はM君は血友病だったのではないかと思っている。なぜならば、普通は頭をぶつけたくらいで内出血を起こしたりしないと思うからだ。お兄さんは自分のせいだと思って悔やんでいるかもしれないけれど、男の子同士には日常茶飯事の行為だろう。
血友病と言えば、中学のときの同級生の弟さんも、それが原因で亡くなったそうだ。今は薬なども発達してきているのではないだろうか。血友病というのは、遺伝的に男性がなるものらしい。

M君がなくなった後、クラスの机の上には花瓶の花が置かれていた。
私は、足でM君の椅子を下から浮かして動かして「ほらM君がいるよ」とふざけたりした。
子供とはそんなものだ。
私はM君の席の隣だったのか後ろだったのかとここで考えている。足で椅子を動かしたのだから、後ろだったのかな?と思うし、でも、右隣から、アタマが痛いと言われたような気もするのだ。横を向いて足を伸ばしたのだろうか?
机の上の花はいつまであったのか、M君の机はいつまであったのか、まるで覚えていない。

M君は真面目でアタマがよかったと記憶している。小学校の2年生の新学期の写真。階段に整列している。M君は、一番前の列なのに、ロボットのように前へならえをしていた。そんなのひょうきんな子だったかな?そして、それを平気で正式な集合写真に撮っている写真屋ってどういうつもりだったのだろう。この写真を撮った数日後にM君は亡くなってしまった。

死んだ人の霊は、いつまでもそこにただよっているわけではない。小説のしんちゃんも1度きりしか姿を現さなかった。
M君はもうすでに、別の人に生まれ変わって、バリバリ働いているかもしれない。

人間は生まれ変わると信じたい。
JINでは、自分がもう一度生まれてきたいと思うような社会をつくっていきたい、未来はそうでなければならない、というようなことを言っていたっけ。本当にそう思う。