ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

09/10/24 歌舞伎座昼の部(1)三津五郎の「毛抜」、藤十郎の「河庄」

2009-11-04 23:57:23 | 観劇

芸術祭十月大歌舞伎昼の部をまずは江戸歌舞伎の「毛抜」、上方歌舞伎の「河庄」と並べて簡単に書く。
【歌舞伎十八番の内 毛抜(けぬき)】
2005年4月の團十郎の粂寺弾正の舞台の記事はこちら
今回の配役は以下の通り。
粂寺弾正=三津五郎 腰元若菜=吉弥
秦秀太郎=巳之助 八剣数馬=萬太郎
秦民部=秀調 八剣玄蕃=團蔵
小野春道=東蔵 小野春風=松也
錦の前=梅枝 腰元巻絹=魁春      
小原万兵衛実は石原瀬平=錦之助

昼の部は4本立てのためか、小野小町の雨乞いの短冊紛失確認のあたりをはしょったバージョン。小野家の忠臣秦民部の弟秀太郎と奸臣八剣玄蕃の一子八剣数馬が争うところを腰元若菜が留めるところから(この腰元を巻絹が兼ねたり別のキャストにするかはその時次第らしい)
文屋豊秀への輿入れが遅れている息女錦の前の様子窺いに粂寺弾正がやってきて・・・・・・。以下同様の展開。
三津五郎の粂寺弾正は歌舞伎座では初めてとのこと。歌舞伎座さよなら公演というのはこの演目ならこのキャストという舞台をかけるだけでなく、歌舞伎座が建替えになる前に舞台に乗せてしまおうというものも多いことがわかってきている。確かに歌舞伎座がなくなってしまうと東京の歌舞伎の公演の回数も減るわけで、その前の今こそがなかなか見られないようなキャストで見せる公演や新作などをかけるチャンスでもあるわけだ。
その三津五郎の粂寺弾正は碁盤模様の裃袴で登場。成田屋の海老模様以外の衣裳を舞台で観るのは初めてなので新鮮な感じがした。粂寺弾正という役はまさに“英雄色を好む”というところを見せるのが楽しい。それも若衆も腰元も好みとみるや口説いてかかるという両刀使いという、当時の武家ではありがちな嗜好の持ち主だ。そこを魅力的に見せるのがひとつの見せ場なのだろうが、三津五郎は好色さを愛嬌たっぷりに見せるニンではないようだ。
勧善懲悪の英雄の場面では文句なし!
團蔵の敵役はいつ見ても憎憎しげで素敵(笑)その一味の小原万兵衛を錦之助というのが嬉しい。錦之助は白塗りも赤っ面も両方素敵!!
若手にもいいお役が回って熱演する姿も見られての今回の舞台、なかなかいい感じで満足した。

【心中天網島 河庄(かわしょう)】玩辞楼十二曲の内
鴈治郎最後の「河庄」も観たが感想は未アップ。雀右衛門の小春を途中休演のタイミングだったため観ることができず、代役の翫雀の小春があまりにもころころの体型だったのでシラケてしまったのだ。馴染みの妻子ある男と心中を誓いあった遊女という役柄と乖離しすぎていて物語の世界に入れなかった(T-T)
その後に観た2006年2月文楽の記事はこちら
今回の配役は以下の通り。
紙屋治兵衛=藤十郎 紀の国屋小春=時蔵
江戸屋太兵衛=亀鶴 五貫屋善六=寿治郎
丁稚三五郎=萬太郎 粉屋孫右衛門=段四郎
河内屋お庄=東蔵

文楽と歌舞伎ではかなり紙屋治兵衛と小春の関係が違った印象をもった。歌舞伎では丁稚三五郎が小春のことを「おばはん」と言っているし、文楽のように10代の遊女に入れあげたという設定ではなさそうだ。
今回の藤十郎の治兵衛と時蔵の小春は実にバランスがいい感じがする。古風で薄幸な時蔵の小春に人のよさそうな治兵衛がひかれてしまったのは無理がないという感じ。毎月毎月二十数ヶ月も血判まで押して起請を取り交わすということの意味が現代人にはピンとこないのだが、よくよく考えるとすごいことだと思う。

私は昨年亡くなった父親の書棚から池波正太郎の『鬼平犯科帳』を十数冊持ってきて読みすすめているところだ。今回「河庄」を観ているうち、その中にあった男女の色恋についての表現が甦ってきた。文春文庫第6巻の「狐火」で相模の彦十がおまさに言った言葉だ。
「二代目といい仲になったときのお前は・・・(中略)・・・胸と胸が通い合ったばかりじゃぁなく、躰と躰がぴったり合っちまった」

これだ、この感覚なんだ、この二人は!!
その感覚を二十数ヶ月も確認し続けたら、やっぱり妻子を放り出すだしてしまうだろうとようやく納得できた。理性や義理ももう歯が立たない二人の世界なんだろう。そう思っていた女から愛想づかしをされた治兵衛が小春をなぐる蹴るするのもようやくわかった。理性を超えた憤りをそのままぶつける愚かしさ!
この愚かしさを人間のもつ一面としてそのまま受容できるかどうかが、この演目を楽しめるかどうかの分かれ目であろう。

上方歌舞伎の心中ものは、このような男と女の結びつきの末に義理のためには生きていられなくなるドラマなのだろう。私にはけっこう面白いのだが、このあたりは好みが分かれるところだと思う。
女に執着する愚かな男をこってり濃厚に、受け止め方によってはしつこく嫌らしいまでに体現する藤十郎の治兵衛は、これはこれで大したものだと思えた。
段四郎の孫右衛門も上方言葉に苦労しながらも、情け深い兄が義理人情の世界から足を踏み外しそうな弟を立ち直らせようとする姿を熱演。
全てを上方歌舞伎の役者で揃えなくても、見ごたえのある舞台となっていたと思う。ただし、今後もこの演目の上演が続いていくかどうかは、治兵衛をやれる役者が続くかどうかに第一はかかってくるように思った。

この二つの演目を並べて、ちゃんと東西の歌舞伎のバランスもとっているんだなぁと企画者の工夫も推測。
写真は今月の筋書の表紙を携帯で撮影。
10/20夜の部①「渡海屋・大物浦」復讐の連鎖を断ち切る知盛
10/20夜の部②「吉野山」「川連法眼館」ハートウォーミングな狐忠信


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