【第二部】『摂州合邦辻(せっしゅうがっぽうがつじ)』
この演目は全くの初見。菅専助と若竹笛躬の合作の上下二巻の時代物。世話物が得意だった菅専助ならではの構成という。継母の継子への不倫の恋というモチーフは古くから伝承があって、説経節「しんとく丸」などがある。
歌舞伎では下巻の切の「合邦庵室の段」以外の上演は稀だという。文楽では今回のように「万代池の段」もあわせての上演が多いとのことで、やはり文楽と歌舞伎の両方を観ると作品の鑑賞がより深く楽しめそうだ。あらすじは以下の通り。
《万代池の段》
高安家の俊徳丸は邪恋をしかける継母玉手御前に飲まされた毒酒で顔のくずれる業病にかかり失明し、天王寺の万代池の畔の乞食小屋に身を隠している(一部の袖萩の小屋と同じ物!)。その往来で合邦道心が閻魔堂の勧進をして昼寝を始める。ここに浅香姫がきて姿の変わった俊徳丸に許婚の行方を尋ねるが西国巡礼に出たという。奴入平ともども様子を窺って俊徳丸本人とわかって再会を果たす。
そこに俊徳丸の妾腹の兄次郎丸が横恋慕する浅香姫を追ってきての立ち回り。昼寝から目覚めた合邦が二人を助け、閻魔の牽き車に俊徳丸を乗せて逃げろといい、次郎丸を池に投げ込む。
《合邦庵室の段》
俊徳丸と浅香姫は合邦の家に匿われた。その庵室では合邦とその女房が娘のお辻=玉手御前が不義の罪で成敗されたものとして大勢での念仏供養を頼んでいる。そこに人目を忍ぶ黒ずくめの頭巾姿の玉手御前が帰って来る。両親は幽霊が帰ってきたものとして家に入れてやった。出家をすすめるが突っぱねる玉手。「年寄った左衛門様より美しいお若衆様なら惚れいで何とするもの」と継子への恋心を口にし、匿われた俊徳丸を見つけると口説くは、連れ添う浅香姫には蹴りを入れるは、の乱行。
父合邦がこらえきれずに玉手を刺す。虫の息の下で玉手は本心を明かす。次郎丸が家督をねらって俊徳丸を殺そうとする陰謀を知ったが、継子のふたりとも死なさずにことをすまそうと、俊徳丸に邪恋をしかけ毒酒を飲ませて家から出した。その毒酒を飲ませた同じ杯で、同年月日刻生まれの女の肝の生き血を飲ませれば毒を消すことができ、寅で揃う自分の血を飲ませるために追いかけ回していたと告白。そして覚悟の鮑の杯をみせる。もう助からぬ玉手のため、合邦は居合わせた皆に百万遍の数珠を回し念仏の輪に玉手をすえる。継母の真情に感謝する俊徳丸に自らの鳩尾を短剣でえぐって肝の血を飲ませた玉手。果たして俊徳丸が目も開き元の美しい顔に戻ったのを満足して絶命。一同、玉手の極楽往生を願う中で幕。
「万代池の段」の義太夫は合邦の英大夫がメインで役によって太夫が入れ替わる。英大夫のお人柄が語る合邦にあらわれているような感じ。「合邦庵室の段」は中・切を3組がリレー。一部の『奥州安達原』と同様でこれが普通なのかなと今頃気づく(^^ゞ綱大夫・清二郎父子→住大夫・錦糸の切の素晴らしさ。欲張りの末にへばりながらもよくぞ聴きにきたと自分が報われた気がした。
吉田文雀は淡々と遣う中で玉手の抑えに抑えた激情を感じた。吉田文吾の遣う合邦も元が侍だったという気骨と娘への深い愛情に揺れる男のつらさが伝わってきた。
そして人形での注目場面の第一、俊徳丸の頭がいつかわるのかというところをちゃんと見ていたはずだったの......鮑の杯を煽ったら綺麗な頭に早代わり!アレレレレ?どういう仕掛けになっているの??どなたか教えていただけると有難いですm(_ _)m
→戸浪さまにコメントで「面落」という仕掛けを教えていただきました。感謝です!!
さて、この作品の中心的テーマ、玉手御前の俊徳丸への想いはどのようなものだったのかについて考えてみる。恋愛感情か否か、どちらともとれるように描かれてはいるが、私はやはり恋愛感情だったと思えた。ただし、究極のプラトニックラブだ。
玉手は腰元奉公した先の主人に乞われて後妻にはなったものの、二十歳前後の若い女である。継子の俊徳丸が美しければ恋心を抱いても何の不思議もない。さらに命の危機が迫っていることを知ったことで、自らの命を犠牲にしてでも男の命を守りたいと恋心はさらに深くなる。俊徳丸を救って自らが死んでいくことこそ玉手の愛情表現そのものなのだと思う。
親元に戻って出家を迫られた時、親の前でも「継子に懸想しているふり」をしたとは言うが、実際のところは本心が無防備に出てしまったのではないかなと思った。親に対しての甘えもあるだろう。どうせ死ぬことは決めているのだから、その真情の発露が乱行になったのだ。最後は立派に義を通して死んでいく玉手が哀れで可愛くて仕方がない。表立って愛したと言えない男への愛に殉じた玉手は、女としての一念を通すことができて幸せだったのではないかと思う。
これは歌舞伎であれば立女形の資質を問われる作品なのだろうと思いながら、住大夫×文雀の玉手に見入っていた。
写真は公式サイトより今回の公演のチラシ画像の玉手御前。
以下、この公演の別の演目の感想
2/12第一部「奥州安達原」
2/19第三部「妹背山婦女庭訓」四段目より
この演目は全くの初見。菅専助と若竹笛躬の合作の上下二巻の時代物。世話物が得意だった菅専助ならではの構成という。継母の継子への不倫の恋というモチーフは古くから伝承があって、説経節「しんとく丸」などがある。
歌舞伎では下巻の切の「合邦庵室の段」以外の上演は稀だという。文楽では今回のように「万代池の段」もあわせての上演が多いとのことで、やはり文楽と歌舞伎の両方を観ると作品の鑑賞がより深く楽しめそうだ。あらすじは以下の通り。
《万代池の段》
高安家の俊徳丸は邪恋をしかける継母玉手御前に飲まされた毒酒で顔のくずれる業病にかかり失明し、天王寺の万代池の畔の乞食小屋に身を隠している(一部の袖萩の小屋と同じ物!)。その往来で合邦道心が閻魔堂の勧進をして昼寝を始める。ここに浅香姫がきて姿の変わった俊徳丸に許婚の行方を尋ねるが西国巡礼に出たという。奴入平ともども様子を窺って俊徳丸本人とわかって再会を果たす。
そこに俊徳丸の妾腹の兄次郎丸が横恋慕する浅香姫を追ってきての立ち回り。昼寝から目覚めた合邦が二人を助け、閻魔の牽き車に俊徳丸を乗せて逃げろといい、次郎丸を池に投げ込む。
《合邦庵室の段》
俊徳丸と浅香姫は合邦の家に匿われた。その庵室では合邦とその女房が娘のお辻=玉手御前が不義の罪で成敗されたものとして大勢での念仏供養を頼んでいる。そこに人目を忍ぶ黒ずくめの頭巾姿の玉手御前が帰って来る。両親は幽霊が帰ってきたものとして家に入れてやった。出家をすすめるが突っぱねる玉手。「年寄った左衛門様より美しいお若衆様なら惚れいで何とするもの」と継子への恋心を口にし、匿われた俊徳丸を見つけると口説くは、連れ添う浅香姫には蹴りを入れるは、の乱行。
父合邦がこらえきれずに玉手を刺す。虫の息の下で玉手は本心を明かす。次郎丸が家督をねらって俊徳丸を殺そうとする陰謀を知ったが、継子のふたりとも死なさずにことをすまそうと、俊徳丸に邪恋をしかけ毒酒を飲ませて家から出した。その毒酒を飲ませた同じ杯で、同年月日刻生まれの女の肝の生き血を飲ませれば毒を消すことができ、寅で揃う自分の血を飲ませるために追いかけ回していたと告白。そして覚悟の鮑の杯をみせる。もう助からぬ玉手のため、合邦は居合わせた皆に百万遍の数珠を回し念仏の輪に玉手をすえる。継母の真情に感謝する俊徳丸に自らの鳩尾を短剣でえぐって肝の血を飲ませた玉手。果たして俊徳丸が目も開き元の美しい顔に戻ったのを満足して絶命。一同、玉手の極楽往生を願う中で幕。
「万代池の段」の義太夫は合邦の英大夫がメインで役によって太夫が入れ替わる。英大夫のお人柄が語る合邦にあらわれているような感じ。「合邦庵室の段」は中・切を3組がリレー。一部の『奥州安達原』と同様でこれが普通なのかなと今頃気づく(^^ゞ綱大夫・清二郎父子→住大夫・錦糸の切の素晴らしさ。欲張りの末にへばりながらもよくぞ聴きにきたと自分が報われた気がした。
吉田文雀は淡々と遣う中で玉手の抑えに抑えた激情を感じた。吉田文吾の遣う合邦も元が侍だったという気骨と娘への深い愛情に揺れる男のつらさが伝わってきた。
そして人形での注目場面の第一、俊徳丸の頭がいつかわるのかというところをちゃんと見ていたはずだったの......鮑の杯を煽ったら綺麗な頭に早代わり!アレレレレ?どういう仕掛けになっているの??どなたか教えていただけると有難いですm(_ _)m
→戸浪さまにコメントで「面落」という仕掛けを教えていただきました。感謝です!!
さて、この作品の中心的テーマ、玉手御前の俊徳丸への想いはどのようなものだったのかについて考えてみる。恋愛感情か否か、どちらともとれるように描かれてはいるが、私はやはり恋愛感情だったと思えた。ただし、究極のプラトニックラブだ。
玉手は腰元奉公した先の主人に乞われて後妻にはなったものの、二十歳前後の若い女である。継子の俊徳丸が美しければ恋心を抱いても何の不思議もない。さらに命の危機が迫っていることを知ったことで、自らの命を犠牲にしてでも男の命を守りたいと恋心はさらに深くなる。俊徳丸を救って自らが死んでいくことこそ玉手の愛情表現そのものなのだと思う。
親元に戻って出家を迫られた時、親の前でも「継子に懸想しているふり」をしたとは言うが、実際のところは本心が無防備に出てしまったのではないかなと思った。親に対しての甘えもあるだろう。どうせ死ぬことは決めているのだから、その真情の発露が乱行になったのだ。最後は立派に義を通して死んでいく玉手が哀れで可愛くて仕方がない。表立って愛したと言えない男への愛に殉じた玉手は、女としての一念を通すことができて幸せだったのではないかと思う。
これは歌舞伎であれば立女形の資質を問われる作品なのだろうと思いながら、住大夫×文雀の玉手に見入っていた。
写真は公式サイトより今回の公演のチラシ画像の玉手御前。
以下、この公演の別の演目の感想
2/12第一部「奥州安達原」
2/19第三部「妹背山婦女庭訓」四段目より
玉手御前をやれる立女形はなかなかいないというご指摘ですが、私は一度玉三郎丈で観てみたいです。
私の解釈は恋愛至上主義なので後半の義を通す部分の演じ方も全く武士の娘になりきって恋心を偽りだと断じながらもやはり本心がにじむようにすればいいと思います。それだと本当に玉三郎丈の独壇場のような気がしますが、ご本人はこの役の解釈をどのようにされているのでしょうね。それ次第かなぁなどと思ってるんですが、こちらでも勝手なこと言っててスミマセン(^^ゞ
遅らばせながらTBします。
よろしくお願いします。
合邦も一部の袖萩の父も娘を想っているのに不義は赦せないという一本気さが共通してました。合邦は幽霊と割り切って娘を家の中に入れるものの、主人への不義を働く娘を刺す。あれぇ、すし屋の権太の父のようですね。子を想う気持ちと正義からはずれた子どもを赦せない気持ちの板挟みというのはドラマのテーマになるんですね。住大夫さんの語りでドラマが深くなります。5月も三部通います。
★かしまし娘さま
>「家の為」「夫の為」に”嘘の恋を仕掛ける”。本人は死ぬまでそう思っていたけれど、実は心のどこかで俊徳丸を愛してしまっていた。
うーん、そうなると、主人公が自分でも気づいていないプラトニックラブを抱えながら大義のために死ぬというかなり深層心理的なドラマになってしまいます~。すごすぎるかも!
私って恋愛至上主義すぎるのでドラマを自分好みに単純にとらえてしまうのかもしれませんね(^^ゞ
「秘めた恋」の方が観客の注目を浴びるから。というビジネスとして冷めた本質があるだけだったりして。作家もそこまで深く考えて作らなかった。なのに、世間はそのことで大論争になったとか(笑)そういう事実があったらオモシロイ。
「合邦」の全ストーリーを知らないので、玉手御前の気持ちになりきる事は不可能ですが、「家の為」「夫の為」に”嘘の恋を仕掛ける”。本人は死ぬまでそう思っていたけれど、実は心のどこかで俊徳丸を愛してしまっていた。っていう演出で上演してみたい。って、今おもいついただけです。私は演出家じゃないので上演不可能ですけどね(笑)
今回は、文吾さんの合邦に感動しました!
娘を想う気持ちが端々から感じられ…涙。
住大夫さんの語りが本当にすばらしかったです!
歌舞伎ではまだ観たことがない(はず…)なので、
いつか見比べてみたいですね☆
「面落」について教えていただきまして有難うございます。玉手御前の生き胆の血を入れた鮑の杯をグッと飲み干して顔の前の杯が下ろされたらもう綺麗なお顔になっていたのです。鮑の杯と一緒にお面をはずしているんですね。これで謎が解けて嬉しいです。本当に有難うございましたm(_ _)m
これからもどうぞよろしくお願い申し上げます。
↑俊徳丸がきれいな「顔」に戻る場面の事ですよね。これは「面落」と言い、一種の「仕掛け」です。俊徳の首(かしら)に「汚いお顔のお面」を蔓の鬢の間に差し込んで固定します。そのお面を取るだけの単純な仕掛けです。
きれいな顔に戻る場面で俊徳は下を向きませんでしたか?その折にさっと「お面」を取っていると思います。
>ワタクシ的には合邦の味方,偽りの恋説に一票
そうですか、邪恋と思われますか。私、玉手の恋を邪恋と思ってないんです。田中優子さんの『江戸の恋』で江戸時代は色恋と結婚は別物というのが当たり前だったということで、腰元奉公に上がった先の主人にのぞまれて後妻になったけれど、やはり若い女として自分の好みの若い男に惚れたのだと思います。
けれど合邦の娘の玉手です。何もなければずっとその想いは封印していたはずと思います。命がけで愛する男の命を救う決心をしたからこそ、この大胆な行動をとることができたと推測しました。そしてその本心はあくまでも表には出せないし出さない。大義を貫いての死という形を貫徹することによって玉手は満足して死んでいく、というドラマ性を感じました。あくまで恋愛至上主義の私の目から見た印象かもしれませんが(^^ゞ
難度が高いのと,どよよーんの悲劇ですから,歌舞伎では頻繁に上演されませんね。
さて,義太夫は,老父や老母の慟哭が聞かせどころになっていますので,「泣きにいこ」と割り切らない限り,帰れなくなってしまいます。国立文楽劇場でも,休憩時間までぐずぐず泣いているおとみでございます。
なんぼなんでもおとーちゃんかわいそ,でも立派,立派でも娘救えんぞと,堂々巡りです。
この父の娘が,大義ではなく邪恋に命を懸けるとは考えにくいので,ワタクシ的には合邦の味方,偽りの恋説に一票です。
住大夫さんがおとーちゃんに見えてしまうからでしょうか。ええおとーちゃんやー。