こまつ座の「シャンハイムーン」は1991年の初演をNHKのオンエアで途中から観たのが最初だと思う。その後、第27回谷崎潤一郎賞受賞作と帯に書かれた集英社刊の戯曲を買って読んだ。しかしながらすっかり忘れ果てている。今回の職場のお仲間との観劇企画の前に復習予習で読んでからしっかり観た。
【シャンハイムーン】
こまつ座第八十九回公演 紀伊國屋書店提携
作:井上ひさし 演出:丹野郁弓
今回の配役は以下の通り。( )内は初演時の配役。
魯迅=村井国夫(高橋長英)
許広平=有森也実(安奈淳)
内山完造=小嶋尚樹(小野武彦)
内山みき=増子倭文江(弓恵子)
須藤五百三=梨本謙次郎(辻萬長)
奥田愛三=土屋良太(藤木孝)
公式サイトから作者の井上ひさしの紹介文をまず引用。
魯迅は、いまさら言うまでもなく、アジアを代表する世界的文学者の一人です。たとえば、1927(昭和2)年、ノーベル賞選考委員会は上海へ特使を送ってきました。その年の文学賞を受けてくれるかどうか、魯迅の胸中を打診にきたのです。さまざまな不幸な理由から、魯迅はこれを断りますが、とにかく彼はそれくらい注目されていたのです。
魯迅は、それから十年とは生きておりませんでしたが、ここに不思議なのは、彼の臨終に立ち合ったのが、彼の妻と弟のほかは、みんな日本人だったという事実です。
帝国日本を心底憎みながら、しかし日本人を心から愛した魯迅。これは魯迅とその妻と、彼の臨終に立ち合った四人の日本人のちょっと滑稽な、しかしなかなか感動的な物語です。
演出は丹野郁弓さん。こまつ座が始めてお迎えする、劇団民藝の才器です。
あらすじは「日々の一冊」さんのサイトの項がわかりやすいのでご紹介。
魯迅の小説は、中3の時に教科書で「故郷」を読んだだけだ。中国の田舎の地主だった主人公が没落した生家をたたむために帰郷し、幼い時に一緒に遊んだ友と再会。小作の子だが元気いっぱいだった友は永年の苦労で見る影もなくなっていて、封建時代の階級格差を思い知らされるという話。魯迅が清朝を倒す革命運動に身を投じた生き様が反映された作品だった。
魯迅の家も没落し、奨学金を得ながら苦学し、幕末に西洋の医学を学んだ若者が明治維新を担ったことにならい、日本に留学して仙台の医学専門学校に学ぶ。そこで藤野先生の熱心な指導を受けるのだ。中国の革命のためには文学の力で民衆をめざめさせることだと考えるようになって医学を学ぶことを断念。
文学者となって大きな役割を果たすが、中国の革命は紆余曲折をたどる。辛亥革命後、孫文の政権下では大学の教官にまでなっていたのに、軍閥が権力を奪取し、蒋介石が国民党を握ると共産主義者を弾圧する。反共主義者の蒋介石は、欧米列強に遅れて中国侵略を本格化させた日本に抵抗することより、共産主義者を一掃することを優先する。それに反対して国共合作を唱える魯迅を捕まえようと、蒋介石の国民党は執拗に追う。
その魯迅を匿ったのは彼を敬い支えた日本人たちで、そこからこのドラマがつくられたのだ。
もちろん、何度かにわたった潜伏生活は一回にまとめられ、フィクションとしてつくられている。最近の井上作品に付き物の歌の場面がないことが今回は新鮮に感じ、丹念に織り上げられた台詞劇を楽しんだ。
魯迅を匿う人々はこの潜伏生活の間に魯迅のボロボロの身体を治したいと策を練る。極端な医者嫌いのため、その苦肉の策がまず笑いをとる。須藤五百三は医者で、奥田愛三は歯医者。奥田が不意打ちで使った笑気ガス(私も昔昔に歯科治療で使ってもらったことがある)が魯迅の「人物誤認症」の引き金となる。須藤五百三は藤野先生に、内山みきは日本留学時代に叱責された革命の同志である女性の先輩に、奥田愛三は魯迅の影響で革命運動に身を投じた後輩に、第二夫人の許広平は第一夫人の朱安に間違われる。
須藤五百三は精神科は専門でないといいながら、魯迅の心の病を分析する。魯迅が幻に見る人物はいずれも負い目を抱く人たちだった。その人々に「すまない」と思う気持ちが強すぎ、生きていることにやましさを感じて緩慢な自殺願望につながり、そのことから全ての治療拒否=医者嫌いになっているのだという。
そこで誤認されているのを利用して、それぞれの人物になりすまして魯迅を赦し、負い目から解放するという治療が劇中劇的に組み込まれる。それが可笑しくもまた魯迅という人物を浮かび上がらせる。
魯迅の長年の日記の中で2箇所しか触れられていないという第一夫人の朱安。第二夫人の広平に魯迅が朱安への懺悔をするところが印象深い。母親が勝手に決めて結婚させた朱安を社会の旧弊の象徴のように思い込み、彼女を否定することで自分を貫こうとしていたらしい。そのことで朱安がどれだけ傷つくか想像する力がなかったという懺悔に、広平の朱安への対抗心が崩される。尊敬し愛する魯迅への信頼も揺らぐ。この葛藤の場面が実に人間臭くて素晴らしい。広平は魯迅が朱安にしたことも赦し、朱安の存在を受け入れていく。複雑に揺れる女心を有森也実が熱演。彼女も大人の女優さんになったなぁと感慨深い。
こまつ座で初めて演出をしている丹野郁弓の女性の演出家ならではという感覚が活きたのではないかと推測。
こまつ座初出演の村井国夫の魯迅は、実に可愛いかった。新国立劇場の「ヘンリー六世」で観た不倫で身を滅ぼすサフォーク伯爵は色気がたっぷりで魅力的だった。今回の魯迅の抑えた演技もまたいい。別の村井国夫を観せたいというご本人の弁の通りに芸達者ぶりを再確認させられた。
出演者全員の好演で、ドラマはよりハートウォーミングに展開していく。
「人物誤認症」が治った魯迅に今度は「失語症」が発症。似たような音の別の言葉にすり替わってしまう。井上ひさしのおそるべき言葉遊びが可笑しすぎる。
日本への亡命で本格的な療養をというすすめに乗り、日本で本格小説「シャンハイムーン」を書こうと語った魯迅だったが、その本心は別のところにあった。それに気がつかなかったことから生じた無理が「失語症」として現れた。広平がそれを暴き出し、中国の地で治療を続けながら、ペンネームを使い分けて書く雑文に精一杯の力を奮い、人々に呼びかけていく気持ちを魯迅が固める。
舞台が変わってエピローグは魯迅没後。魯迅亡き後を残された人々の独白で綴る。
日中戦争の中で、国共の力関係は変わり、共産軍に追われた蒋介石は台湾に渡り、戦争後に中華人民共和国成立。敗戦後アメリカに占領された日本とは国交回復がしばらくなかった。その長い年月の間に日中間にできた深い溝は、歴史認識の違いもあって容易にはなくならない。
それでもこの魯迅と親交を結んだ人々の物語は、人間どうし深く信頼しあえればこんなにも深い人間関係が築けるということに確信をもたせてくれる。それが実に嬉しい。そんなお芝居を噛み締める。こまつ座の初期の作品というのはこういう温かい気持ちにさせてくれるものが多いようだ。戯曲が手に入ったら何作か続けて読んでみたくなった。
それと、劇場でもらったチラシで次回新作のお知らせが入っていた。井上さん、闘病中なのに大丈夫か?と思ったが、蜷川さんと同じで、自分で高いハードルを設定して頑張ることが生きる力になるんじゃないかと気がついた。
7~8月にサザンシアターでこまつ座&ホリプロ公演で「木の上の軍隊」だという。これも楽しみにしていよう。
写真は、今回公演のチラシ画像。
これから魯迅の著作を読みたくなりましたね。
こまつ座は全国各地への巡業公演を大事にしているのが嬉しいですよね。
>重苦しい時代背景がありながら、希望を力強く見せる舞台......井上ひさしさんの作品のそういうところが大好きです。今秋には新作「木の上の軍隊」の上演も予定されているので楽しみにしているところです。
魯迅は私も教科書で読んだ「故郷」だけなので、軽く読める作品から挑戦できるといいなと思っています。