ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

2014/02/22 さいたまネクスト・シアター「カリギュラ」自己否定と貴族社会への挑発である独裁、死への道

2014-02-22 23:59:46 | 観劇
蜷川幸雄演出、アルベール・カミュ作の「カリギュラ」の舞台。2007年のシアターコクーンでの小栗旬主演の際に話題になっていたが、物語のあらすじだけで敬遠してしまって未見。
今回は、自宅近くの彩の国芸術劇場でさいたまネクスト・シアターによる公演。私は勝手にゴールドシアターを「ジジババ芝居」、ネクストシアターを「若者芝居」と呼んでいて、蜷川幸雄の攻撃的な実験の舞台が気に入っていて、本公演はしっかり観るようにしているので、迷わずチケットをとった。
少々遅れたが、モニター画面でしっかり開幕部分を観て案内されて着席。

【2014年・蒼白の少年少女たちによる「カリギュラ」】
以下、あらすじを公式サイトより引用。
 溺愛する妹ドリュジラの突然の死をきっかけに失踪した若きローマ皇帝カリギュラ。3日ぶりに姿を現わした彼は、ローマ市民の財産の没収と無差別に市民を処刑することを宣言し、以後、ローマ帝国を恐怖のどん底に落とし入れる。
3年が過ぎ、屈辱に耐えかねた貴族たちはクーデターを画策するが、貴族ケレアは時期尚早だといさめる。ケレアはカリギュラの狂気に何か大きな理念を感じており、カリギュラの論理が錯乱するのを待つつもりだった。一方、若き詩人シピオンは父親をカリギュラに惨殺され、彼もまたカリギュラを憎んでいたが、カリギュラと言葉を重ねるうちにカリギュラの想いを理解し始める。
カリギュラの情婦セゾニア、カリギュラによって奴隷から貴族に重用されたエリコンは、カリギュラを理解し、彼を支え続ける。しかし、貴族たちのクーデターはすぐそこまで迫っていた――。

これだけ読んで前回は敬遠したわけだが、観始めると物語の本質に引き込まれる。冒頭、皇帝が失踪中との貴族たちの噂話の中でカリギュラのこれまでのあり方が浮かび上がる。若くして帝位についたカリギュラは貴族たちが操りやすい「皇帝」だった。ローマの貴族社会の求める皇帝として唯一逸脱していたのが妹ドリュジラとの近親相姦。その妹を失ったことで、彼は自分が生きる意味を見失ったようだ。
これまでの自己の否定として、貴族たちの期待に沿う皇帝であることをやめる。そうして正反対の「独裁者」に自らの権力を最大に行使してとなりきろうとする。その暴虐が及ぶのは貴族や市民の社会までである。無差別な市民の処刑はしても、3回もの戦争を承諾しなかったと主張する。

「自己否定」としての「独裁」をする努力をするカリギュラの孤独の深さ。年長の愛人セゾニアと奴隷出身ながら頭のよさに身分を引き上げたエリコンには心をゆるしているが、それでもその孤独は癒やされることがない。若き詩人シピオンは父親を殺された怨み憎しみを抱いていたが、カリギュラに近く接する中でその「孤独」と、貴族社会の否定のための独裁を演じている姿に共鳴し、友として愛してしまった。

ケレアもカリギュラの本当の姿を見抜くが、他の貴族たちと機が熟すのを待ってクーデターを企てている。冷静なケレアをハムレットで主演した川口覚がまさに適役。彼はカリギュラの貴族社会への挑発を理解している。
クールで奴隷出身のシニカルさをもち、カリギュラの信頼に熱く応えるエリコンはオイディプス王もダブルキャストで演じた小久保寿人。
タイトルロールのカリギュラは内田健司。ほとんど全裸に近い姿で海から生まれたアフロディテの姿になって貴族たちに参拝させる場面があるので、やせ細っているが美しい身体も必須条件だったんじゃないかと思えた。
冒頭から妹との近親相姦が忌まわしいと指摘する貴族の台詞があるが、きょうだい間の婚姻は古くは普通にあったのに生まれる子どもに遺伝病などで病弱なことが多いということで、避けるルールができたまでのことだ。日本の古代でも同母のきょうだいを避ける段階を経てから確立している。王族などでは、同じ身分で心をゆるせる配偶者を探すとなるときょうだいということも少なくなく、同母きょうだいということもあったことが推測されている。
それなのに「近親相姦」ということで最愛の女を亡くした悲嘆を冷たく見る臣下たちに、操り人形だったカリギュラが反旗を翻したのが「独裁」だった。

いつも隣にいてカリギュラが2時間しか眠れずに呻吟する姿を見ているセゾニアは、カリギュラのその孤独と「独裁」を演じる偽悪の苦しみに寄り添う。自らも偽悪の悪女ぶりだ。クーデターが近づき、殺されることがわかっているカリギュラは最後にセゾニアの首を絞める。エリコンはカリギュラを守って戦って死ぬ。
近親者を先に死なせて、あとは自分が殺されるのを待つ。クーデターの貴族たちの剣が身体を貫き、血反吐を吐いて斃れるカリギュラ。しかしながらそれでは終わらない。血だらけのカリギュラの幻影による独白がある。
「カリギュラは死んでいない。彼はきみたち一人ひとりのなかにいる」と。

これまでの自己を否定して、周囲の人々を挑発し続けるというのは蜷川幸雄そのものではないか。今の若者を挑発する蜷川幸雄のメッセージが直球のように投げ込まれる。

しかしながら、途中で私はカリギュラの孤独に共振してしまって、泣けて仕方がなかった。セゾニアは最後に愛する男に殺されるのだろうという予感にぞくぞくしてしまう。そして思わず羨ましさも感じてしまった。私の孤独も深い・・・・・・。
それでもやはり世の中、人々を揺さぶるために自分のやれることをするしかない運命を噛み締める。