ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

12/12/24 クリスマスイブに観た映画版「レ・ミゼラブル」で目が痛くなるほど泣く(T-T)

2012-12-24 23:59:25 | 映画(映画館、DVD、TVを含む)

クリスマスイブに女子高仲間とのランチ会で、さいたま新都心のデニーズに集合。今日は3人となったが、家族やら仕事のことやら近況を話し込む。
娘は大学の友達と2人で先に映画版「レ・ミゼラブル」を観終わり、携帯にメールが届いた(私はその次の上映会で観るため)。
「ハンカチ忘れないようにね!」
あっ、ハンカチないかも?と騒いでいたら、玲小姐さんがお懐紙をわけてくれた。感謝!

【映画版「レ・ミゼラブル」】
ミュージカルの「レ・ミゼラブル」は、日本初演の大阪公演から長く観ていたが、20周年記念公演で封印としていた。その20周年スペシャル公演の鹿賀丈史ジャベール東京最後の公演のカーテンコールの記事はこちら←こちらに2005年公演のまとめ記事のリンクあり
「レ・ミゼラブル」の映画はリーアム・ニーソン主演版も観ていたが残念ながら満足できず、ミュージカル版の映画化を待ち望んでいた。

公式サイトはこちら
海外盤のCDを買って聞きこんでいた時期もあるので、英語の歌詞も懐かしい。
冒頭のツーロンの囚人たちの「Look Down」から目頭が熱くなってしまう。そういえば、原作でもジャン・バルジャンの強制労働の現場は船だったっけと思い出す。ヒュー・ジャックマンのバルジャンがラッセル・クロウのジャベールに仮釈放を告知される最初のやりとりの歌のレベルにホッとして、安心して観られるなぁとより深くスクリーンの世界に入り込む。
司教様は初演のバルジャンのコルム・ウィルキンソンというキャスティングを知っていたので、見覚えのある顔と声に嬉しくなる。そうか、海辺の司教館というのもビジュアルで観ると感慨深い。

その後、モントルイユ=シュル=メールで事業を成功させ市長にまでなっていたバルジャンの工場で働くファンテーヌのアン・ハサウェイ。美人の上に歌がいいのでまたまた嬉しくなる。「I Dreamed A Dream」の切なさといったらない!アンの母が長く舞台でファンテーヌをつとめたということで母娘二代で同じ役を演じるというのは運命的なものを感じてしまう。
モンフェルメイユのテナルディエ夫婦の宿屋に預けられたコゼットの配役に感心至極。原作の挿絵に使われた絵のコゼットにそっくりな子役のキャスティングだ。コゼットをいじめぬく妻役のヘレナ・ボナム=カーターの怪演にも満足、満足。

コゼットを引き取って急ぐ馬車の中で歌われる「Suddenly」は初めて聞く曲だが、孤独だったバルジャンが愛し守るべき存在を得たことで初めて味わう人生の生き甲斐をしみじみ歌い上げる。これから長く続く隠棲生活の覚悟を固めるのにふさわしい場面だと思った。

マドレーヌ市長時代に荷車の事故から救ったフォーシュルバンが寺男をしている修道院(尼寺)で、コゼットを育てるという設定を原作通りに加えていたのが最後につながるのもよい。
成長したコゼットとしてアマンダ・セイフライドが登場。マリウスとの出会いで恋に落ちた気持ちをとまどいながら独白する曲はいきなり高音を転がすように歌わなければならず、日本公演で満足できたキャストは少なかったが、アマンダは文句なしだ。挿絵のコゼットがそのまま成長したと思えるような目が大きくて可愛い美人さんだし、マリウス役はちょっと地味だったけれど、歌がよいので「Heart Full Of Love」も満足。
エポニーヌとガブローシュは原作によると姉弟なのだが、舞台でもこの映画でもそのあたりは明らかにしていない。舞台版ではマリウスからコゼットへの手紙をエポニーヌが届けてから死ぬが、この映画版では先にエポは死んでしまい、ガブローシュが手紙を届ける。原作はどちらだったか忘れてしまったが、まぁ大勢に影響はない。

アンジョルラスの俳優はけっこうカッコいい。ABCカフェの場面やラマルク将軍の棺の乗せられた馬車を占拠しての蜂起などの場面は本当に若者たちの正義に燃える昂揚感に否が応でもテンションアップ。
志願兵としてジャベールとバルジャンは砦にくるが、ジャベールは先にスパイとして捕まっている。最初の攻撃で果たした功績でバルジャンはジャベールの処分を任せてもらうが、ここの2人のやりとりもまたいい。牢獄生まれでそのコンプレックスを法の番人として生きることで自分を保ってきたジャベールという男のゆらぎをラッセル・クロウがうまく見せる。
愛するコゼットの心を奪ったマリウスという男を確認にやってきて、若者たちの心情に打たれ、マリウス自身もまるで我が子だし、コゼットを託す気持ちになって歌う「Bring Him Home」にもバルジャンの父性の深化を感じとれる。ここがあるから、被弾して瀕死のマリウスを下水まみれになって救うというビジュアル的にはかなりきつい場面も乗り切れる。
下水道でテナルディエが自分の人生観を歌い上げる場面はカット。
砦が落ちた後でジャベールがガブローシュの亡骸に自分の勲章をとってつけてやる姿に驚く。ジャベールの心がこれまで持ったことがなかったような人間らしい気持ちの芽生えに動揺している。

下水道から出てきたバルジャンとの最後の対峙で、逮捕を強行できなかった自分。これまでアイデンティティクライシスからの自殺というように捕えてきたが、今回は、もう一つの当たり前のことに気が付いてしまった。神の道を生きていると過信するくらいだったジャベールが自殺するということにはもう一つの大きな意味があるはずだ。キリスト教では自殺することは許されなかったはずだ(「ハムレット」のオフィーリアの弔いでもそういう件がある)。それをわかった上での自殺は、神による救済までを拒否するという深い絶望に落ちたということだ。
同じように「レ・ミゼラブル」=惨めな人々として生まれた二人の対照的な最後がくっきりと描かれている作品なのだ。

仮釈放中を逃走している罪人として姿を隠すバルジャンの居場所が何故わかったかが舞台では明らかになっていない。映画版ではきちんと説明があった。結婚式にきたテナルディエがマリウスに居場所をサツにたれこむというのを白状させた。
コゼットを育てた修道院だった。ファンテーヌの魂が迎えにきているバルジャンのもとに駆けつけたマリウスとコゼット。
映画版では亡骸から抜け出た魂が祭壇へと近づくとそこには司教さまがいた!
そして、「Do You Hear The People Sing?」の歌とともに砦に散った若者たちが夢見た蜂起を成功の場面へと続く。ラマルク将軍の棺の馬車を中心にしたバリケードの上で若者たちが旗を振りながら歌い、広場を埋め尽くした群衆が取り巻いている。そのバリケードには市民に化けて志願兵として加わった時の姿のジャベールがいたように思った。ジャベールも救われて欲しいという監督の願いが表現されているのではないかと思えた。

「英国王のスピーチ」も観ているが、監督のトム・フーパーの映画づくりには好感がもてる。人物の感情の動きまでも実に丁寧に拾っている画面になっているのがいい。今回もアフレコではなく、撮影現場での生録音にこだわったという。映像の方の俳優さんだと思っていたキャストの歌のレベルの高さに予想をはるかに上回る満足感を得た。
もうとにかく泣きっぱなしで、懐紙が大活躍。泣きすぎて目が痛い(^^ゞ
帰宅して娘に確認したが「DVD買わないという選択はないね」ということで一致した。映画館でもう一度観るのは体力的に厳しいかも。だってまた泣きすぎてしまうことが確実だからねぇ。