ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

12/02/12 シアターコクーン リ・オープン「下谷万年町物語」千穐楽

2012-02-13 00:34:54 | 観劇

しっかり間に合うはずの時間に起きていたのに、我ながら気後れしての失敗。アングラ系の芝居には疎く唐十郎作品は初見。どうも気が重く、宮沢りえを見るんだと言い聞かせながらもなんとなく出遅れた。千穐楽公演だというのに冒頭15分くらい遅刻してしまい、ちょっと落ち込む。コクーンシート右列通路近くの席に滑り込み、気を取り直してちゃんと観た。
Bunkamuraサイトの「下谷万年町物語」の特集ページはこちら
【下谷万年町物語】作:唐十郎 演出:蜷川幸雄
以下、あらすじを上記のサイトより引用。
昭和23年。上野と鴬谷の真ん中に位置する<下谷万年町>。住みついた男娼たちでにぎわい、電蓄から鳴るタンゴの曲で、ハエの飛び交う八軒長屋造りの町。上野を視察していた警視総監の帽子が盗まれる。犯人は不忍池の雷魚と呼ばれるオカマのお春率いる一味らしく、お春のイロだった青年・洋一(藤原竜也)が帽子を持って逃げている。それを追う破目になったのは、洋一と同じ6本目の指を持つ不思議な少年・文ちゃん(西島隆弘)。洋一と文ちゃんが出会った時、瓢箪池の底から男装の麗人、キティ・瓢田(宮沢りえ)が現れる。彼女は戦争中にはぐれた演出家の恋人=もう一人の洋一を探していた。キティは、洋一、文ちゃんと共にレヴュー小屋「サフラン座」の旗揚げを決意する。それぞれの物語は、瓢箪池の中で時空を越えて交錯し、思わぬ結末に向かっていく―!!
他の主な出演者は以下の通り。
六平直政、金守珍、大門伍朗、原康義、井手らっきょ、柳憂怜、大富士、沢竜二、石井愃一、唐十郎 他

ところは下谷万年町。舞台手前には緑色の本水の瓢箪型の池。奥には八軒長屋の装置が並び、オカマの群れがいて、「軽喜座」として「娼夫の森」という芝居の再演をしようとしている(本当に「男娼の森」という芝居があったらしい)。座長の情人であり小道具係の洋一が池から真っ白なタキシード姿の女キティ=お瓢を救い上げる。
緑色の水の中から白い衣装の美しい女が現れるという、奇妙で美しい場面に度肝を抜かれて一幕目の幕切れ。

二幕目冒頭で、キティが元SKDの男役で、恋仲で「サフラン座」をともに立ち上げようとしていた演出家の洋一と空襲で離ればなれになり、消息がわからないまま絶望しての身投げだったのを救ったことが判明。洋一、文ちゃんとともに再び舞台に立つことを決意。警視総監の帽子を持っていることをオカマたちにちらつかせ、「サフラン座」と「軽喜座」の合同公演にするためにイニシアチブをとろうとする。
しかしながら、オカマたちのリーダーのお市により、キティがヒロポン中毒で入院させられていたのに空襲で逃げ出したままであることを隠していたことが暴かれる。合同公演は実現しないまま、洋一は行方不明となり、後に誰かに殺されているのが見つかる。
キティは絶望して姿を消し、一人残った文ちゃんは大人になってもその時のことを引きずっている(限定出演の唐十郎も大人の文ちゃんで登場)。キティはどうやらストリッパーに身を落とし、ヒロポン中毒で死んだらしい。少年の文ちゃんが再登場すると、大人の文ちゃんを瓢箪池に叩き込む。するとその池からキティが洋一をおぶって現れ、「文ちゃん、行こう」と手を差し伸べ、指と指をからませる。オカマたちの猥雑に逞しく生きる姿もかぶっての幕切れはまさに幻影なのだろう。

実にわけのわからない芝居だった。わかろうとしてはいけない芝居なのかもしれない。やはり私にはちょっと苦手系の作品(^^ゞしかしながら、戦後の日本の東京で実際にこういう状況があったことをさらに膨らませたイメージ作品なのだろうと理解した。
6本目の指を切り落として生きている人物という設定には、「さらば、わが愛 覇王別姫」の蝶衣を思い出してしまったが、普通の人と違うように生まれついたことで、心が過敏で傷つきやすい人間になっているという設定なのかもしれない。

とにかく、宮沢りえが素晴らしい。NODA・MAPの舞台「ロープ」と「パイパー」で観ていてわかっているものの、その後に子どもを産んだのに衰えを感じさせない身体の動きのキレのよさに感嘆。あの細い身体で八軒長屋の装置にあふれるオカマたちをすり抜けて走り回る走り回る!
SKD出身の男装の麗人ということで、それらしく踊ったりもするし、心情を吐露する歌も唄う。音程をはずしたりもするが、台詞代わりと思えば気持ちが乗っているので聞いていて苦にもならない。「ロープ」で組んでいた藤原竜也とは今回も絶妙なからみのよさを見せるし、若手の西島隆弘との3人の息がぴったりなのが、観ていて実に気持ち良かった。

蜷川作品常連の役者たちによるオカマ軍団は、実に気持ち悪くて面白く、一人一人を双眼鏡でアップにして見る楽しさあり。特に六平直政のお市が迫力たっぷりでよい。「エレンディラ」の時の瑳川哲朗の猛烈ばあちゃんを彷彿とした。

千穐楽でカーテンコールは熱く盛り上がる。早いうちから嵐のような手拍子となり、蜷川と初めて組んだ宮沢りえは感無量という感じで涙ぐんでいたし、唐十郎にやっぱり蜷川幸雄も下手の袖から引っ張り出されて何度もカーテンコール。
ついには瓢箪池に宮沢りえをはじめ、主役3人も放り込まれての大騒ぎになってしまった。コクーン歌舞伎みたいだと思ったが、そういえば、勘三郎が若き日に唐十郎の舞台を観て血をたぎらせていたんだっけと、そのつながりに納得してしまった。
リピートしたい作品ではないけれど、一見の価値が十分あった舞台だった。冒頭をやっぱり観たいから、TVでオンエアしてくれないかなぁと切望。

(2/14追記)
ヒロポンについては、プログラムに戦争中に軍需工場で使われたものが戦後放出され、疲労回復剤として合法に使われており、後に覚醒剤として禁止されたとあった。日暮里に住んでいた母親の従姉が中毒になり、やめさせるのが大変だったし、早くに亡くなってしまったという話を聞かされていたので、妙に他人事でなく考えさせられた。ヒロポンは、心の弱さを誤魔化して生きるために使われ、その注射器が「6本目の指」に見えるように重ねているようにも思えた。

そして、最近、職場近くの公演の掲示板に「ヒロポンあります」の貼り紙をみつけてびっくりしていたことや、自宅マンションのポストには「合法ハーブショップ」のミニチラシも入ってきて驚いたことにも重なる。この不安が渦巻く時代に、心が折れそうになると覚醒剤や麻薬に逃げたいという誘惑とそれに抗しきれない人々が増えてしまうのだろう。
不安な世の中は「独裁者」への渇望も強くなる。ドラッグや独裁者に頼りたいという空気をこそ変えていきたい。変えていけなければ、本当に恐ろしいことになってしまう。励ましあうネットワークこそ、なんとか作り出していきたいと思っている。