昭和初期に活躍したプロレタリア文学の旗手で、官憲の拷問によって29歳の若さで虐殺された小林多喜二を井上ひさしが描く評伝劇。
若い頃、本屋で「蟹工船」を手にとって最初のページに目を走らせただけで挫折(^^ゞ。最近のブームで漫画になったものを立ち読みしてようやく作品概要を把握したくらいの私は小林多喜二についてほとんど知らなかった。
Wikipediaの「小林多喜二」の項はこちら
こまつ座&ホリプロ公演【組曲虐殺】
作=井上ひさし 演出=栗山民也 作曲・演奏=小曽根 真
今回の配役は以下の通り。
小林多喜二=井上芳雄 姉・佐藤チマ=高畑淳子
婚約者と妻の間だった田口瀧子=石原さとみ
同志であり妻となった伊藤ふじ子=神野三鈴
特高・古橋=山本龍二 特高・山本=山崎 一
日本では、産業革命で力をつけた資本家たちが封建王制のしがらみを破るという社会変化の過程を経ていない。天皇を担ぎ上げて幕府を倒して樹立した政府が上からのテコ入れで欧米諸国に追いつけ追い越せと富国強兵策をすすめたという違いがある。天皇制が金持ちたちと結びついて絶対的な支配体制をつくってしまったので、自由民権運動以降の民衆たちの力の蓄積があまり大きなものになっていなかったわけだ。
ロシア革命以降、日本にも急速にマルクシズムの理論が入ってきて左翼の運動が広がっていったが、権力側は治安維持法を始めとしてさまざまな弾圧のしくみをつくっていく。特別高等警察による左翼活動家は次々と逮捕され、拷問手段も駆使して転向して仲間を売れと強要。こうして太平洋戦争時にはまともな抵抗運動は世の中からほとんどなくなってしまった。
そういう時代の話なのだ。ここらへんの歴史認識はあるが、小林多喜二の生涯については今回初めて接することになった。
♪こばやし三ツ星堂パン店♪
冒頭は父の兄を頼って移住した小樽の伯父のパン工場から。学費を出してもらって小樽商業学校・小樽高等商業学校で学びながらも、朝4時からパンの製造工程で働いた多喜二。伯父のパン会社は海軍御用達であり、一番安い代用パンでさえ貧しい人の口に入らない現実、金持ちが貧者をどう扱うかを伯父の姿を見せつけられて早くから社会の矛盾に気がついてしまった。それからプロレタリア文学や労働運動へ入っていく。
小樽で北海道拓殖銀行に勤めていた時代に「蟹工船」も書き、左翼文学の最前衛となったが、拓銀を解雇され翌春上京。
その小樽時代に親に売られて酌婦をしていた田口瀧子と知り合い、身請けをしたが、ずっとプラトニックな恋愛関係のままでいた。そのあたりは芝居ではコミカルに描かれるが、史実では学のなかった瀧子が多喜二の求婚を断ったらしい。作家の澤地久枝さんが瀧子とずっと文通をしていてそのあたりを確認していることがネット検索でわかった(こちらのサイトをご紹介)。
多喜二を執拗に追いかける特高刑事の二人が場面場面で大きな役割を果たしながら、最後に逮捕されるまでにつながっていくのだが、この二人もつらい人生を精一杯生きている人間として描かれているのが救いになっている。
多喜二や姉や瀧子やふじ子が一緒にいるところにからむと大コメディになってしまうのが笑えるのだが、実にブラックな状況を浮かび上がらせる。
さらに今回初の小曽根 真のピアノが不可欠なことが体感される。舞台の奥に一段高いところにしつらえて紗幕を通してぼんやり浮かび上がるグランドピアノの鍵盤を小曽根 真が叩きつけるように弾く。その演奏が暗く重い時代状況とそこで必死に格闘するように生きる人間をジャズピアノの情念のこもった音の力で大きく支えている。
特高との対決の中で多喜二の革命家としての側面を見せつける「伏字ソング」での井上芳雄の怒りを爆発させるような歌い方に驚く。東宝ミュージカルのプリンスの固定イメージを打ち破ってくれた。貧しさに打ちひしがれる人々の姿に二つ揃わないと意味がないものに例えて、その人達に自分が役に立たなかったことを悲嘆する歌もすごい迫力だった。
一番作者のメッセージを感じた歌詞は「♪虹にしがみつけ、後に続く者を信じて♪」というところ。何度も繰り返される中で涙が流れてしまった。今の私を励ましてくれる言葉として響いたのだ。
一方で多喜二の文学青年らしさもふんだんに感じた。いつもは白い御飯が出てくることの多い井上戯曲だが、今回はパンだ。焼きたてのパンとコーヒーの食事が、ベートーベンの音楽が、チャップリンの映画が大好きだというあたりには、やはり伯父のところで一定の生活レベルで多感な時期を過ごしていたことが伺われる。
多喜二の執筆衝動は、その映画になぞらえて、胸に深く刻まれたことが原稿用紙の上に投影されるという場面もあった。そういう魅力的な文学青年が社会の矛盾をペンの力で世に問うただけなのに、警察による拷問死=虐殺されてしまったということをくっきりとした対比で見せてくれている。
実は観た直後はすごい芝居だったなぁというインパクトの方が強かったのだが、何日も反芻していて見えてくることが大きかった。「ムサシ」などよりもちょっとわかりにくい作品なのかもしれない。
それといろいろと考え続けているうちに、井上ひさしの評伝劇の主人公は作家ばかりかなぁと気がついた。樋口一葉、石川啄木、河竹黙阿弥、太宰治、魯迅、林芙美子、チェーホフ・・・・・・。その作家としての姿に井上ひさしは常に自分自身をも重ね合わせているのは当たり前なのだ。そういう中で小林多喜二ははずせるわけがないと納得した次第。
キャストそれぞれについての感想を簡単に。まずは主演の井上芳雄の役者としての成長を確認できたのが嬉しかった。石原さとみは予想していたよりは舞台でちゃんと魅力を発揮してくれた。井上ひさしの舞台の常連の神野三鈴の鈴のように美しい声やたたずまいも大好きだ。高畑敦子は堂々としていて多喜二をめぐる3人の女たちの束ね役といった感じか。バランスがとれていた。特高の二人組はデカチビコンビにしたかったのだろうと推測。千穐楽だけに息も合っていて満足だった。
カテコでは井上ひさしは登場しなかったが、栗山民也が舞台に呼ばれて恥ずかしそうに観客の拍手に応えていたのが印象的。そういえば生で姿を見せていただくのは初めてだった。栗山民也の演出は戯曲の世界をとにかく丁寧に舞台化する姿勢が大好きだ。岩波新書の『演出家の仕事』も読んでますます贔屓になっている。
来年2010年の新国立劇場の芸術監督・鵜山仁による戦を描くシリーズ企画の中で東京裁判3部作が連続で上演される(完結編「夢の痂(かさぶた)」はこちら)。
こまつ座は魯迅を主人公にした「シャンハイ・ムーン」の上演を予定。こうした作品の上演の連続の中からも井上ひさしのメッセージがたたみかけてくる。
そう、後に続く者を信じて井上ひさしが今の時代に書き残してくれようとしていることをちゃんと受け止めていきたいと思っている。大きなことではないだろうけれど、やれるだけのこともやっていければとも・・・・・。
写真はこまつ座の公式サイトより今回の公演のチラシ画像。