ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

07/12/26 歌舞伎座千穐楽夜の部③「ふるあめりかに袖はぬらさじ」

2008-01-04 01:26:29 | 観劇

玉三郎の当たり役という「ふるあめりかに袖はぬらさじ」の芸者お園。初の歌舞伎座での上演、当月の一座勢揃いになるという評判の舞台をようやく千穐楽で観劇。新派での上演に玉三郎が主演した舞台(2000年演舞場)の録画で予習させていただく機会に恵まれたことに感謝m(_ _)m
今回の主な配役は以下の通り。( )内は新派でのキャスト。
芸者お園:玉三郎 岩亀楼主人:勘三郎(安井昌二)
遊女亀遊:七之助(波乃久里子) 通辞藤吉:獅童(橋之助)
大種屋:市蔵 イルウス:彌十郎(団時朗)
芸者・奴:笑三郎 同・太郎:春猿
唐人口女郎マリア:福助 同チェリー:吉弥
同メリー:笑也 同バタフライ:松也
同ピーチ:新悟 キャット:芝のぶ
浪人客梅沢:権十郎 同佐藤:海老蔵
同堂前:右近 旦那三河屋:男女蔵  
同・駿河屋:亀蔵 同・伊東屋:友右衛門
幇間和中:猿弥 帳場定吉:寿猿
思誠塾岡田:三津五郎 同・多賀谷:段治郎
同・飯塚:勘太郎 同・松本:門之助
同・小山:橋之助
あらすじ等は「有吉文学は不滅です」さんのサイトのこちらのページをご紹介
開幕したら中にしばらく入れないというほどの真っ暗な舞台。横浜にある遊郭岩亀楼の行灯部屋に出入りする人間は終始無言。そこに芸者お園が寝込んでいる遊女亀遊=きゆうに差し入れにやってきて雨戸を開けると差し込む光が美しい。枕もとの衝立をのけて姿を現す七之助の遊女亀遊の儚げな美しさ。亀遊はお園よりかなり若い年頃の役なのに伯母の波乃久里子では玉三郎と同じ年くらいにしか見えなかったし、病人にはちょっと見えなかった(^^ゞ七之助の女方が見る度に風情を増している。玉三郎とのやりとりの間もいい。獅童の藤吉との仲をからかう玉三郎の間も絶妙でドッと笑いをとる。
ある日岩亀楼に大種屋が米人イルウスを伴ってやって来る。岩亀楼主人がイルウスには外国人相手専門の唐人口女郎を、大種屋には日本人口女郎を相方につけ、亀遊が床上げ後の初めての座敷として出てくる。イルウスは相方マリアを放り出し、亀楼を所望。イルウスの彌十郎の英語の芝居が実に堂々としていて感心してしまった。俳優祭でレット・バトラーをしていたのをTVで見たが何かきちんと赤毛物を見てみたくなった。そして藤吉のむきになった通訳ぶりがまたいい。獅童はロック・バンドをやっていて英語には慣れているのだろう。勘三郎の岩亀楼主人の片言の英語もNY公演仕込みか軽妙。唐人口女郎は新派での舞台よりも多かったが、女方に合わせて役を増やしたらしく、一人ひとりの凝った扮装がメチャクチャに楽しい。ここのドタバタ劇の可笑しさ、楽しさは年忘れ喜劇の舞台の感があった。

急転直下の亀遊の自害という悲劇。攘夷派の非難攻撃を恐れてあわてて葬ったのに人の噂も立ち消えるはずの75日に出た瓦版が状況を大きく変えてしまった。攘夷女郎がアメリカ人への身請けを断り自害したという美談に歪曲された記事には「露をだにいとふ倭の女郎花ふるあめりかに袖はぬらさじ」というの辞世の句まで添えられていたが、小さい時に身売りされてきた亀遊は無筆だった。
瓦版が評判になって岩亀楼を訪れる客の質問に違うことは違うと説明するお園に主人は客への迎合を強いる。処世のために瓦版のストーリーに合わせるお園。攘夷女郎に感心して心づけの金まで置いていく浪人客の海老蔵に存在感があった。
お園の語りの巧さが主人の商売っ気に火をつける。客の言うことに「そお~なんですよ」(「牡丹燈籠」の‘ちゅうちゅうたこかいな’のような声色で!)をおおげさに肯定し話は膨らんでいく。ふたりの嘘の二人三脚が始まる。「亀遊」は「亀勇」にされ、自害した部屋も引き付け部屋にされ、儲けの材料にされていく。勘三郎と玉三郎のノリノリの嘘の上塗りを重ねていく可笑しさ、悲しさ、怖さ。

玉三郎のお園は男で失敗して吉原から下級の色街に流れ流れてきて、酒と芸で生きている女を存在感たっぷりに描き出していた。唐人口をなくした岩亀楼には通辞がいらなくなり、資金ができた藤吉はアメリカ船で密航していく。その前に餞別を渡しながらお園が「亀遊とともに何故逃げなかったか」と藤吉を問い詰めるところにふたりの恋に肩入れしていたという気持ちが現われるその哀しさ。そしてその時の獅童の芝居に驚いた。やりとりの中で感情がこみあげていって「別れたくはなかった」という台詞で涙と鼻水がず~っと落ちた。獅童自身の感情がシンクロしてしまったんじゃないかと思えてしまった(ちょっと可哀相)。

思誠塾の塾生たちを相手にするお園の衣裳は細かく竜模様を手描きした派手なものになっていて、この作り話でずいぶんと儲けたんじゃあないかということが臭わされている(演舞場公演の衣裳よりもずいぶん豪華だが、そう見えにくい模様のようだ)。そこで図にのってしまったか、吉原時代に思誠塾創設者の大橋先生に可愛がってもらった思い出とともに教わった歌をうたってしまう。それはまさに「ふるあめりかに・・・」の歌で、そこから話の辻褄の合わなさをつかれ、嘘をついたと塾生は激怒。雨の庭も若手に刀で追い掛け回され追い詰められるが、年長者が命をとる必要はないとの言葉で救われる。口封じの財布を投げられてようやく命拾い。
「あぁ怖かった~、あぁ、あぁ」と腰をぬかしたところを残り酒で気を取り直す。港の汽笛も響いてくる。「なんでい、抜き身が怖くて刺身が食えるかってんだよ」そして真実の部分を独白し出すが、財布を見つけて・・・・・・「お園さんは」と悪態を突き出す可笑しさ、その愚かしさ・・・・・・。最後にお園が思っている真実を吐露。「亀遊さんはおいらんは、さみしくって哀しくって心細くってひとりで死んだんだい。・・・・・・このお園さんはふるあめりかに袖も何もぐしょぬれだよ」。さらに汽笛が重なって「それにしてもよく降る雨だねぇ」と一人での幕切れ。あの時代に流される愚かしくも逞しい喧騒も何も一方に感じさせながらも一人の人生にグッと焦点を引き戻しての物語のピリオド。

時代の大きな変化の中で、右往左往する庶民たち。攘夷か攘夷でないかどっちが大勢になるかで身の処し方も変えざるをえない。同じ遊女でも日本人向けは高くて外国人向けは安いという差別構造。そういうレベルで翻弄されてしまう人生を送らざるをえなかった二人の女の哀しさが浮き彫りにされた。
当月の一座が代わる代わる出てきた贅沢な舞台だったが、最後は女方がひとりの独白で幕切れになるという締め括りもまた圧巻。一見歌舞伎らしからぬ作品ではあるが、主役が光を舞台に入れて主役ひとりで幕を引くという役者の大きさが問われる作品。それを立女方を座頭として一座総出で歌舞伎座で上演したということが歴史に残っていくと思えた。

千穐楽の幕が引かれても鳴り止まない拍手。玉三郎を求める客席の拍手は次第にリズムを刻み始める。「こたえて、こたえて玉三郎」と心の声。
果たして立女方・玉三郎ひとりのカーテンコール。客席の三方に上方まできちんと目を配る礼をして丁寧で品位を保ったカーテンコール。歌舞伎座での玉三郎の挑戦的な舞台に対して客席からの熱い拍手とそれにふさわしいカーテンコール。勘三郎襲名興行の玉三郎の「鷺娘」でも体験したのを思い出す。私にはこの節度あるカーテンコールが気持ちよかった。
写真は公式サイトの今回公演のチラシ画像。
12/09昼の部①「信濃路紅葉鬼揃」
12/09昼の部②「鎌倉三代記」
12/09昼の部③勘三郎の「筆幸」
12/26千穐楽夜の部①「粟餅」
12/26千穐楽夜の部②「寺子屋」