ぴか の観劇(芸術鑑賞)日記

宝塚から始まった観劇人生。ミュージカル、ストレートプレイ、歌舞伎、映画やTVドラマ等も書きます。

06/01/03 歌舞伎座藤十郎襲名公演昼の部④「曽根崎心中」

2006-01-04 15:09:34 | 観劇
5.曽根崎心中(そねざきしんじゅう)
昨日、歌舞伎座からの帰宅途中、新藤十郎の扇雀時代の写真をこのたびの襲名にあわせて出された『演劇界』の特別号の写真集を本屋で立ち読みしてびっくり。はんなりきれい!これは当時「扇雀ブーム」が起きたというのを得心せざるをえない美しさだった。

このお年で往年の美しさを期待するべくもないが、この間TVなどで垣間見たことのあるお初の「はやはや殺して殺して」という有名な場面、声が裏返っているところがもうダメだった(私は声第一優先!)。1/2の「新春初芝居中継」の録画編集版でもこの観た。中継していた「伽羅先代萩」はしっかり観て政岡は大丈夫だったのだが、こちらはちゃんと観るのがこわかったのでご飯の用意をしながらBGM的に観た。やっぱり声が駄目。

お初は藤十郎が昭和28年から50年以上で1200回以上の上演回数を数える屈指の当たり役。最初で最後かもとも思いながら1254回目の舞台を観た。あらすじは以下の通り。
天満屋遊女お初(藤十郎)と平野屋手代徳兵衛(翫雀)は起請をかわす仲。しかし徳兵衛は伯父であり主である平野屋久右衛門(我當)に縁談を勧められ、その結納金もマ継母に支払われていたという窮地に追い込まれた。それを断り継母から金も取り返して主に返すところを友人の油屋九平次(橋之助)に借金を申し込まれ、貸してやったところを騙し取られてしまう。徳兵衛は町内の人たちの前で辱められ死ぬしかないと思いつめる。その覚悟を知ったお初は一緒に死のうともちかけ、ついに店を抜け出して曽根崎の森で心中するが、その直前で幕。

ナマの藤十郎のお初。徳兵衛がきっぱりと縁談を断る話をきいて手を打って喜ぶところなどはもう本当に可愛かった(声さえのぞけば)。憎憎しげな橋之助の九平次に追い込まれ、扇屋の縁側での有名なお初が足首で徳兵衛の心中の覚悟を問う場面なども本当に素晴らしい。これは一見の価値のある舞台だと思い、藤十郎のお初もあらためて見直した。
浄瑠璃になく歌舞伎での入れ事で入っている平野屋久右衛門が甥を許して金を持って扇屋に迎えにきたのだという場面も我當がハマり役でみせてくれた。しかしそれを知らずにふたりは死出の道行してしまうのである。
そして近松門左衛門の名文の義太夫♪この世の名残~♪にのっての最後の場面。そして最後の最後は徳兵衛の方が気後れしているのをお初が「はやはや殺して殺して」とうながし徳兵衛「ただいまぞ」と刀を振り上げて見せた表情に驚く。とても幸せな表情を浮かべているのだ。これには正直まいった。これでは心中が流行してしまったのも無理はない。
浄瑠璃や歌舞伎での心中モノは徳川幕府によって禁止され、封印されてきたのを昭和28年に復活上演されたのだという。まあ明治政府の歌舞伎への高尚趣味政策でも許されなかったんだろうな。

しかしながらまたまた翫雀に注文したい。お初が久しぶりに会った徳兵衛に「こんなにやつれて」というあたり...翫雀丈、もっとダイエットしてくださいね~。(でもでも上記に書いた写真集ではお父様の一時期は今の翫雀そっくりのぷくぷく状態。同じ顔している写真もあってDNAを感じてしまった(六代目の写真を勘三郎と間違えた時と同様の衝撃だった) 。

写真は、今月のイヤホンガイドの「耳できく歌舞伎」の表紙になっている藤十郎のお初のスチール写真。撮影は篠山紀信。
一気に昼の部5演目をアップした。明日から仕事始め。その翌日1/6は『贋作・罪と罰』観劇予定なのでちょっと頑張ってみた。

追記:アクセスカウンターを大晦日の夜に設置して以来、今この記事をアップして画面を開いてみたところ888番が表示されていた。私の今の無料サービスレベルではどなたが切り番号ゲットしたかはわからないのでプロフィール欄にも書いたがよかったらコメントで自己申告してくださいませm(_ _)m

06/01/03 歌舞伎座藤十郎襲名公演昼の部③「奥州安達原」「万才」

2006-01-04 14:35:05 | 観劇
3.奥州安達原(おうしゅうあだちがはら)
奥州安倍一族源義家もの。あらすじは以下の通り。
安倍貞任により環宮(たまきのみやと読む)が誘拐され、その咎から環宮守役の平直方(段四郎)に切腹の命が下され、その立会いに上使の桂中納言実は安倍貞任(吉右衛門)と源義家(染五郎)が直方邸にきているという設定。貞任の弟・宗任(歌昇)もわざと捕われて邸にいる。そこへ安倍貞任と駆落ちをして今では瞽女に落ちぶれた娘の袖萩(福助)が駆け付け、父母へ許しを乞う。盲いた母を付き添ういたいけな孫娘の姿を見ても武家の慣習で許してやれぬ父と母。父の切腹に際して袖萩も供をしようと自害する。貞任はその親子のやりとりを耳にしてお家再興のために犠牲にした妻子がここにいることを知るが見ぬふりをする。切腹を見届けて立ち去ろうとするところを源義家が本性を見破り、貞任はぶっかえりをみせ、その上で瀕死の袖萩と娘と対面。最後、義家と貞任・宗任は、戦場での再会を約して別れるという時代物のお決まりで幕。

段四郎の直方と吉乃丞の浜汐の父と母の勘当した娘への情の見せ方が一番見応えがあった。歌昇の宗任はハマり役だし、最近ちょっと引き締まったのではないかと嬉しくなる。あと、女の子の子役が台詞も芝居もよかった~。

福助の袖萩は美しいが、泣きを入れながらの台詞がききとりにくい。吉右衛門も台詞がこもってききとりにくいのでちょっと不満。ヘビースモーカーだからいけないのではないかとちょっと意見したくなる。吉右衛門、歌昇と並ぶと染五郎の義家は線の細さが目立ち、いまひとつだった。

時代ものってやっぱり苦手かも。先月の「弁慶上使」はあまりの不条理な話の内容にイライラして楽しめなかったし(T-T)

4.万才(まんざい)
新年を迎えた街角に万才がやって来て初春を寿ぐという内容の御祝儀舞踊(義太夫舞踊)。暗い時代物の口直しといったところかな。
芝翫丈の休演で演者変更し、福助の女方に扇雀の若衆姿の組み合わせ。扇雀のこういう姿は初めて観てけっこういいなあと見惚れていた。

写真は、口上が含まれていた「夕霧名残の正月」の前後に引かれていた坂田藤十郎襲名の祝い幕。左の方に祇園祭の山鉾の絵も見えて関西らしいデザインだ。


06/01/03 歌舞伎座藤十郎襲名公演昼の部②「夕霧名残の正月」

2006-01-04 12:55:20 | 観劇
2.夕霧名残の正月(ゆうぎりなごりのしょうがつ)
三代目中村鴈治郎が231年ぶりに坂田藤十郎という大名跡を襲名する披露公演。初代藤十郎が大当たりをとった演目だが全く当時の台本などが残っていないので、地唄「由縁の月」などを元にあらたに書き下ろされた作品で、最近大活躍の今井豊茂による脚本(NINAGAWA十二夜も彼が書いた)。

藤屋伊左衛門(藤十郎)は落ちぶれて傾城夕霧の死も知らない。夕霧の顔をひとめなりともと久々にお茶屋扇屋が夕霧四十九日法要のために形見の内掛けをかけているあるところに訪れる。その死を知り悲しみんでいると内掛けの影から夕霧(雀右衛門)が病鉢巻をした姿で現れ...。伊左衛門と夕霧とのつかの間の逢瀬。しかしながら伊左衛門は気が遠くなってしまい、その間に夕霧は姿を消す。扇屋三郎兵衛(我當)と女房おふさ(秀太郎)に起こされて、ああ夢であったかという話。そこから狂言中の口上の形になって終わる。ちゃんとした口上は夜の部なので、昼はこういう形なのね。

鴈治郎時代からこの丈との縁は薄く、鴈治郎として最後の「河庄」の紙屋治兵衛を昨年10月歌舞伎座で観たばかり。藤十郎丈、こういう和事のつっころばしはいいなと思った。なるほどこういうのが「はんなり」した感じなのねと得心したし、二枚目半的なおかしみのある場面はもう本当に可愛い。おみそれしましたm(_ _)mという感じ。
和紙でできた本物の紙衣を着ての登場するのも話題になっていたが色目が淡く、私はいつもの布の紫地の衣裳の方がすっきり見えるし、男の色気も出るので好き。しかし和紙で濃い色の衣裳をつくると染料がいっぱいのるのでゴワゴワになって着用できるものにならないのだろうなあとか変なことを考えながら見てしまった。
鴈治郎最後の「河庄」の小春は途中休演されて観ることができなかった雀右衛門丈のお姿を今回はしっかりと観た。さすがである。幽霊としてまで出てきて伊左衛門に気持ちを訴えるいじらしさ、情を残しながら去っていく姿のせつなさ。この世のものではない風情...。他の追随を許さないだろう。休演されてしまって初めて雀右衛門丈のことをよく知りたいと思うようになり、図書館にリクエストして借りた『雀右衛門の世界』の対談を読み、これからは雀右衛門丈をできるだけ観ておこうという気持ちになっているので、この夕霧を観ることができて有難かった。

最後は我當と秀太郎に促されて口上に切り替わる。藤十郎丈尾、上方歌舞伎の隆盛のために生涯をかけるために襲名した」とか「私はまだまだ若うございます」と元気に決意表明されていて頼もしい限りだった。藤十郎になると山城屋になるのね。山城屋と松嶋屋と成駒屋で上方歌舞伎をより一層盛り立てていただきたいものである。

写真は、先月のイヤホンガイドの「耳できく歌舞伎」の表紙になっていた藤十郎の藤屋伊左衛門のスチール写真。今回の襲名のスチール写真は篠山紀信2枚と蜷川実花2枚が使われているようだ。篠山紀信は従来のシンプルな役者中心の写真だが、蜷川実花の方はいずれも花をあしらいに使っている。「NINAGAWA十二夜」で父の蜷川幸雄が歌舞伎座と縁ができたためかもしれないが、歌舞伎のスチール写真に初めて蜷川実花の写真が使われているのを知ってちょっと驚いた次第。