ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

「ぼくらの戦争なんだぜ」(高橋源一郎著)

2023-12-24 18:38:26 | 読後感想など
多分、源一郎さん、タイトル考えるの面倒になってるんじゃないかな(苦笑)
ま、それは置いといて。

やっぱり今読んどいた方がいいのかもしれない、と思って積読の山から抜き出したわけだけど、あらためて気付かされること色々。

たとえば、
そもそも戦争がどんなものなのか?
という問いに対して。大きく答えることはそりゃできる。けれど、個々の物語にそれを求めようとすれば、戦争の話というのはこういうものだ、などと杓子定規に一括りでは語れるものではない事はわかる。人それぞれ見ている景色も違うし立場によって大きく異なるし語る時に思惑も入り込む。ほぼ同じ場所の同じ立場でも文字通りたった一歩違っただけで全く違う景色になる。いや、本当は当たり前すぎるほど当たり前なのだが。

でも戦争の語りとはこういうもの、というような思い込みはやっぱりあるのであって、それに合致しないものをどうしても儂らは排除しがちとかね。
そういえば、向田邦子さんの「父の詫び状」の話があったが、やはり東京大空襲を経験した儂の母親もその時のことを笑い話のように語っていたのを思い出した。

結局、多くの物語に触れ続けることでしか本当のところには近づけないということになるのだろう。
となれば、読む経験を重ねることでつく読み解く力を磨かなくてはいけないということか。凡庸に言ってしまうと。

もう一つ。
戦時下にはおそらく正しい判断(そもそも正しさとは何なのか、とか言い始めたらまた長いのでそれも置いといて)などできないのだろうな、という事。戦時下ではいろんなものがカオスだ。思想も言論も感情も。その中で発せられるものは沈思黙考して得られるようなものであるはずはない。
(っていうか、そもそも平時だって言っても儂らに正しい判断ができているのか?と聞かれれば答えは否でしょうが、ねぇ)
。。。ならば、なおのこと、、、
そんな中でも自分の言葉を見失わずに、残した先人には敬意を持ってしまう。
もちろん、時局や空気に流されてあるいは権力におもねりあるいは本心を隠して国威発揚やプロパガンダにのっかた作家たちもたくさんいたわけで、でもその人たちを果たして責められるのかな?とも思う。正直言って、儂だってそんなにしっかりした意志を持っている人間だと言い切る自信はない。だからと言って、その人たちを不問にするのもまた違う気はする。せめて教訓にはできるか。

教訓といえば、歴史教科書の問題だ。
わかっていたとはいえ、日本の歴史教科書のあり方よ。
だからと言って、今のおかしな政権下で教科書を見直せと言った時に果たして期待するようなものを作ってもらえるのか?(反語)
改定の度に問題になる教科書検定制度っていう、いまだに嫌な感じの臭気を吐き続けているヤツもいるし。

この本で源一郎さんは作家である自分の立場を明確にして書く。
だから、言葉とか表現とかにすごく注視していて、そこは儂のような素人では気付きにくいところだなと思う。
言葉にこだわる。母語の話も出てきたけれど、それはまた文化でもあるし、ルーツでもあると思うのだ。儂は作家ではないし、賢くもないけれど、気になった言葉についてはこだわっていきたいし、それがまた戦争に争うことに多少なりとも繋がっていくんじゃないのかな。

そんな馬鹿な、って思う人もいるだろうけれど、儂ら庶民の多くがそんな小さな営みを大切にするのなら、それは戦争への道などという冷静に考えればアホな選択を回避できる方法の一つなのかもしれない。

決して大袈裟な話ではないと思うんだけどな。



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