ぱたの関心空間

関心空間と徒然なるままに。

杉原千畝 スギハラチウネ @ イオンシネマ久御山

2015-12-27 18:36:33 | 映画感想
戦争、ダメだよね。しちゃいけない、絶対。

映画のテーマとは実はズレるのかもしれないけれど、今の儂にとって一番重要なメッセージはこれだ。
(映画の出来については。。。まぁおいておこう♪)

戦争映画じゃないから虐殺のシーンはあるものの直接の戦闘シーンは出てこない。でもそんなものよりも身につまされるのは、行き場をなくした難民たちの姿。辛い。
戦争というのはこういう事だ。今までの生活など関係ない、生命は危険にさらされ、明日の保証さえなくなる。

75年前、日本がまさに当事者となった難民問題。

そうだ、難民問題なんてみんな遠い外国の話のような気がしているかもしれないけれど、実際には当事者だった事もあるし、もっと正確に言うと、今だって本当は当事者なんだって事を忘れてないか?
幸い、70年前は杉原千畝と根井三郎というハルピン学院出身の二人の外交官の人道的な配慮により多くの人の命が救われたわけだけれど(勿論救えなかった命もあるんだけれど)、日本政府の意向に背いた形になった彼を外務省は冷遇。退職に追い込んでしまう。彼の名誉が回復されるのはなんと2000年になってから。
つまり、今評価される彼の功績を国は長い間評価してこなかったって事だ。国ってのは所詮そんなもんだ、きっと。

難民を受け入れて何か問題があったか?
千畝とか、敦賀での受け入れの事とか、神戸の街での生活とか。感謝され、讃えられる話は聞いた事があるけれど問題があったって話は儂は知らない。少なくとも千畝は今は世界から讃えられる「正義の人」だ。

今やっぱり映画が上映されているエルトゥールル号の話だってそうだ。
人を助けるという事の普遍的な価値を儂は疑わない。

何が大事な事なのか、考えてみろって事だ。
今目の前に転がっている理屈を正しいと信じて本当に数十年後胸を張っていられるのか?その理屈に普遍性はあるのか?

映画の中で、こどもたちの表情が大人を動かす場面がいくつかある。大人に対しては冷酷にふるまえるがこどもを前にして心が揺らぐ。
そういえば、シリア難民問題が大きく世界中で受け入れられるようになったきっかけも、海岸に打ち上げられた少年の画像がきっかけだった。
まぁ、正義ヅラして言うと、こどもだろうが大人だろうが、その命の尊さには変わりないんだよ。それがこどもじゃなかったとしても儂らには想いを馳せる事ができるはずなのに、こどもにその部分を担ってもらわないと儂らの心は動きにくくなっているのかなぁ、とか思うわけさ。
「こどもをダシにして」とか批判する人もいるのかもしれないけれど、こどもをダシにしないと考えられないくらいに儂らの感情というものは劣化しているって、そういう事なんじゃないのかなぁ。

杉原千畝に助けられた命の子孫は数万人だという。中には高名な人もいる。
戦争になれば一つの命を消す事なんかアリンコを踏み潰すのと同じように簡単な事だ。命の軽さはタンポポの綿毛くらいなものだ。でも、その一つの命はその時に殺されなければ数十年後に10倍にもなったりするし、人類の歴史に影響を与える事もあるんだ。命を消すとはその先にある何十何百何万という可能性を潰してしまう事。その責任の重さたるや、考えた事がある?イメージできる?
その事を想起させてくれるこの映画のメッセージはとても重要だと思う。

時代が違うなんて言い訳は通らない。
人道的という価値の普遍性を儂は信じる。

ハルピン学院の自治三訣いいな。
「人のお世話にならぬよう。人のお世話をするよう。そして報いを求めぬよう。」
凡人の儂には難しいけれど、憶えておこう。

杉原千畝 スギハラチウネ @ イオンシネマ久御山の画像