沖縄。いや、オキナワの話である。
1959年にあった、米軍のジェット機墜落事件(宮森事件)を題材に、日本に返還されて40年も経つというのに現在も変わらずに基地を押し付けられるオキナワの現実をあぶり出し繋げるという映画。
沖縄戦で本土の犠牲となった沖縄。戦争が終結と思いきやアメリカの占領統治となり、戦争を終える事の出来なかった沖縄。本土復帰と言いながら、基地を押し付けられ平和を享受できなかった沖縄。人々の底流にあるその哀しみと怒りを忘れてはいけない。
過去の哀しみを忘れたいと口を閉ざす、この宮森事件で仲の良かった友人3人を失った主人公(長塚京三)は、その孫と友人の働きかけで最後に「絶対に忘れませんよ、忘れてはいけないのです」というメッセージをみんなに伝える。
胸に迫る想い。
しかし、何故なんだろう。
オキナワの問題、宮森事件こそ知らなかったけれども、沖縄国際大学への墜落事件も度重なる米兵による不祥事の問題も、なにより基地の存在についての問題も、折に触れ考えたりはしていたけれど、今までこんなふうに問題を痛みとして実感する事は果たしてあっただろうか、と思う。
もやもやしたものが残っていたのがちょっとすっきりしたのは、意外にもその晩に読んだ新聞の書評。佐野眞一著の「僕の島は戦場だった」についての新城和博氏の評だった。
この本の舞台も沖縄なんだけど、その中で「戦争をイデオロギーとして論じるのではなく、個々の痛みとして語る事によって、沖縄戦は」未だに生々しく身体性を伴う、と。
あぁ、そうなんだ。そこなんだ。
確かに沖縄戦の話を見聞きした時にはそれはとてつもない痛みとして強烈な印象を儂は受けてきた。沖縄戦に限らず、戦争経験や事件事故による痛ましい記憶の証言というのはそういうものだ。
イデオロギー的に戦争や基地の事を語るのは、表面的には理解できるし強い主張にもつながるけれども、心に痛みとして刻み込まれる事は少ない。
映画という手法ではあるが(映画だからこそ、とも言えるけど)、「石川・宮森ジェット機墜落事故証言集」という原案によっている本作品でもある。メッセージと共感は強く心を揺さぶる。
話は飛ぶかもしれないけれど、今年のはじめころから、東日本大震災についても被災した人たち、避難している人たちの話を聞くという事の重要性を強く感じるようになった。これもきっと同じ事なんじゃないのかな。
マスコミで報道される、復興の話題や原発についての話、現地でのリポートだけでは大事なものがごっそり抜け落ちてしまっているような気がする。そこに住んでいる、住んでいた当事者の話を直接聞いて、その痛みを感じなければ、空虚な観念論になりかねない。
そうだ、能年玲奈(天野アキ%あまちゃん)の役どころは主人公の孫の恋人で親は米軍基地で働いているという設定。基地には反対したいのだけど、その基地がある事で生活していることにもなるという複雑な心情が語られる。これ、原発は怖いけれど、その原発があるおかげで潤っていたという原発立地自治体のジレンマとダブるところ。
フクイチの原発事故が起きて以降、フクシマとオキナワは同じ構造だという言説をよく見たけれど、この(あまり関心のない人には)わかりにくい仕組みを、少し理解しやすく提示してくれたシーンだったかと。
フクシマとオキナワ。この二つに共通する問題についてはもっと多くの人に認知されるべきだと思う。
ところで、映画としてちょっとしんどかったのは、特に前半の方ではウチナーグチの独特のイントネーションでの会話が多く、キチンと聞き取れない台詞があったりして若干のフラストレーションが。。。
あと、そのイントネーションに慣れていないせいか、フツーのウチナンチュの会話でも演技っぽく見えてしまうんよね。いや、それは間違いなく儂の個人的な感覚なんだが。
ちょっと驚いたのは長塚京三さん。オープニングで三線持って立っている姿のさまになっている事。どうやら、吹き替え無しで三線弾いてはるし、んで唄も歌うし。え、沖縄出身でしたっけ?
そして、終盤でのステージ上での唄には、引き込まれる。
沖縄はいつでも音楽がともにある、みたいな台詞があったように記憶しているけれど、残念ながら本作ではそんなに強く音楽や踊りを前面に打ち出してはいない。いや、打ち出す必要もないし、それはそれで別の映画でやればいいのだけれど。
沖縄音楽、儂も好きだが、最近ちょっと気づいたのは、「いつでも音楽があった」という言い回しはもちろん好意的に使われているのだけれども、その言葉から受ける明るい印象が沖縄戦やその後の沖縄の辛い現実というものを見えにくくしているんじゃないのかな?という事。
というのは、最近たまたまNHKスペシャルの(NHKばかり見てるな儂)「ラストメッセージ井上ひさし"最期の作品」っていうのを見たのだが、取り上げられている未完の作品(構想から20年ついに書き切ることができなかった)について、その理由についてかつてのパートナーはこんなふうに推測していたと思う。「調べれば調べるほど考えれば考えるほど沖縄の経験は過酷で悲惨で、ユーモアに転換する事ができなかったのではないか」
あの井上ひさしでさえ冗談にすることも出来ない程の過酷な歴史を沖縄は経験してきたのだ。
それを無理やり笑顔にさせる道具として、いっときでも忘れるための道具として、音楽があったのではないだろうか?そんな事を考えてしまった。
とするなら、能天気に「いいね、沖縄音楽!」といって喜んでいるだけでは、見なくてはいけない光景を見損なうことになるのではないだろうか。
勿論、儂の推測でしかないけれど。
も一つ残念だったところ。
「ぎこちなく」抱き合うシーン。
もっと自然な感じだったら良かったのにね f^^;
ちなみに最後のスタッフロールの賛同者(?)の中に、儂の住んでいる自治体のK市長様のお名前があったのだが。。。果たして映画、観たのかな?
1959年にあった、米軍のジェット機墜落事件(宮森事件)を題材に、日本に返還されて40年も経つというのに現在も変わらずに基地を押し付けられるオキナワの現実をあぶり出し繋げるという映画。
沖縄戦で本土の犠牲となった沖縄。戦争が終結と思いきやアメリカの占領統治となり、戦争を終える事の出来なかった沖縄。本土復帰と言いながら、基地を押し付けられ平和を享受できなかった沖縄。人々の底流にあるその哀しみと怒りを忘れてはいけない。
過去の哀しみを忘れたいと口を閉ざす、この宮森事件で仲の良かった友人3人を失った主人公(長塚京三)は、その孫と友人の働きかけで最後に「絶対に忘れませんよ、忘れてはいけないのです」というメッセージをみんなに伝える。
胸に迫る想い。
しかし、何故なんだろう。
オキナワの問題、宮森事件こそ知らなかったけれども、沖縄国際大学への墜落事件も度重なる米兵による不祥事の問題も、なにより基地の存在についての問題も、折に触れ考えたりはしていたけれど、今までこんなふうに問題を痛みとして実感する事は果たしてあっただろうか、と思う。
もやもやしたものが残っていたのがちょっとすっきりしたのは、意外にもその晩に読んだ新聞の書評。佐野眞一著の「僕の島は戦場だった」についての新城和博氏の評だった。
この本の舞台も沖縄なんだけど、その中で「戦争をイデオロギーとして論じるのではなく、個々の痛みとして語る事によって、沖縄戦は」未だに生々しく身体性を伴う、と。
あぁ、そうなんだ。そこなんだ。
確かに沖縄戦の話を見聞きした時にはそれはとてつもない痛みとして強烈な印象を儂は受けてきた。沖縄戦に限らず、戦争経験や事件事故による痛ましい記憶の証言というのはそういうものだ。
イデオロギー的に戦争や基地の事を語るのは、表面的には理解できるし強い主張にもつながるけれども、心に痛みとして刻み込まれる事は少ない。
映画という手法ではあるが(映画だからこそ、とも言えるけど)、「石川・宮森ジェット機墜落事故証言集」という原案によっている本作品でもある。メッセージと共感は強く心を揺さぶる。
話は飛ぶかもしれないけれど、今年のはじめころから、東日本大震災についても被災した人たち、避難している人たちの話を聞くという事の重要性を強く感じるようになった。これもきっと同じ事なんじゃないのかな。
マスコミで報道される、復興の話題や原発についての話、現地でのリポートだけでは大事なものがごっそり抜け落ちてしまっているような気がする。そこに住んでいる、住んでいた当事者の話を直接聞いて、その痛みを感じなければ、空虚な観念論になりかねない。
そうだ、能年玲奈(天野アキ%あまちゃん)の役どころは主人公の孫の恋人で親は米軍基地で働いているという設定。基地には反対したいのだけど、その基地がある事で生活していることにもなるという複雑な心情が語られる。これ、原発は怖いけれど、その原発があるおかげで潤っていたという原発立地自治体のジレンマとダブるところ。
フクイチの原発事故が起きて以降、フクシマとオキナワは同じ構造だという言説をよく見たけれど、この(あまり関心のない人には)わかりにくい仕組みを、少し理解しやすく提示してくれたシーンだったかと。
フクシマとオキナワ。この二つに共通する問題についてはもっと多くの人に認知されるべきだと思う。
ところで、映画としてちょっとしんどかったのは、特に前半の方ではウチナーグチの独特のイントネーションでの会話が多く、キチンと聞き取れない台詞があったりして若干のフラストレーションが。。。
あと、そのイントネーションに慣れていないせいか、フツーのウチナンチュの会話でも演技っぽく見えてしまうんよね。いや、それは間違いなく儂の個人的な感覚なんだが。
ちょっと驚いたのは長塚京三さん。オープニングで三線持って立っている姿のさまになっている事。どうやら、吹き替え無しで三線弾いてはるし、んで唄も歌うし。え、沖縄出身でしたっけ?
そして、終盤でのステージ上での唄には、引き込まれる。
沖縄はいつでも音楽がともにある、みたいな台詞があったように記憶しているけれど、残念ながら本作ではそんなに強く音楽や踊りを前面に打ち出してはいない。いや、打ち出す必要もないし、それはそれで別の映画でやればいいのだけれど。
沖縄音楽、儂も好きだが、最近ちょっと気づいたのは、「いつでも音楽があった」という言い回しはもちろん好意的に使われているのだけれども、その言葉から受ける明るい印象が沖縄戦やその後の沖縄の辛い現実というものを見えにくくしているんじゃないのかな?という事。
というのは、最近たまたまNHKスペシャルの(NHKばかり見てるな儂)「ラストメッセージ井上ひさし"最期の作品」っていうのを見たのだが、取り上げられている未完の作品(構想から20年ついに書き切ることができなかった)について、その理由についてかつてのパートナーはこんなふうに推測していたと思う。「調べれば調べるほど考えれば考えるほど沖縄の経験は過酷で悲惨で、ユーモアに転換する事ができなかったのではないか」
あの井上ひさしでさえ冗談にすることも出来ない程の過酷な歴史を沖縄は経験してきたのだ。
それを無理やり笑顔にさせる道具として、いっときでも忘れるための道具として、音楽があったのではないだろうか?そんな事を考えてしまった。
とするなら、能天気に「いいね、沖縄音楽!」といって喜んでいるだけでは、見なくてはいけない光景を見損なうことになるのではないだろうか。
勿論、儂の推測でしかないけれど。
も一つ残念だったところ。
「ぎこちなく」抱き合うシーン。
もっと自然な感じだったら良かったのにね f^^;
ちなみに最後のスタッフロールの賛同者(?)の中に、儂の住んでいる自治体のK市長様のお名前があったのだが。。。果たして映画、観たのかな?