ぶらぶら人生

心の呟き

『独楽吟』

2017-09-13 | 身辺雑記
河口の部屋に置いている本の一冊に、
『折々のうた 三六五日』(大岡信著)がある。
月ごとに編集されているので、月が変わると、その月の歌を読んでいる。
昨日は、9月1日〜30日までを読んだ。




9月23日の<うた>は、橘曙覧『独楽吟』からの引用であった。

たのしみは小豆の飯の冷えたるを茶漬てふ物になしてくふ時

『独楽吟』は、「たのしみは……………の時」という共通した形式で歌われている。
引用の歌は、その中の一首である。
気取らない作風がいいし、歌材は日常の些細な出来事である。
橘曙覧を知って、心の持ち方次第で、ささやかな楽しみはいくらでもある! と、自分の生き方を省みたりしたものだ。

作者の橘曙覧は、明治初期の人だろうと思い込んでいた。
が、実は幕末の人で、明治になると同時に亡くなっておられる。
そんな昔の人の歌とは全く感じられない。
大岡さんの言葉を借りれば、<博覧強記、和漢の学を修め、賀茂真淵、本居宣長の古学を継承>とあり、学者でもあるのだ。

大岡さんの本を読んで、もう一つ驚いたことがある。
人口に膾炙した橘曙覧の歌に、

たのしみは朝起きいでて昨日まで無かりし花の咲ける見る時

というのがある。
この歌を、1994年、訪米した天皇を歓迎する式典で、米大統領が引用し、人々を驚かせたという逸話が紹介してあったのだ。
<ほー!>と、驚き、嬉しい気分になった。

私は、その出来事の記憶がない。
1994年頃の大統領といえば、クリントン氏かなと思いつつ、インターネットで調べてみたところ、そのとおりであった。
詳細はわからないながら、心和む話である。
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