ぶらぶら人生

心の呟き

1月22日 散歩

2022-01-22 | 散歩道
 89歳、誕生日の散歩。
 何の不調も違和感も覚えることなく、散歩を楽しめた。
 ひと時のように、心臓を気にすることもなく、首の痛みに悩むこともなく。
 スマホの記録によると、4068歩。2.74km、時間51分。
 
 大寒の今、目を楽しませてくれる草花は何もなく、寂寥を覚えるだけの冬景色。ただ歩くことだけを楽しむ。この調子なら、コロナ終息の後、思い出巡りの旅に出ても大丈夫だな、と思ったりする。しかし、無謀なことはやめなさいと、猛反対にあうのだろうなとも思う。

 私は、母の死後、父と晩年を共にしたのだが、父の亡き後(今でも)、老いた父の生き方に制約をかけすぎたのでは? という反省が頭をよぎることがある。
 父は体を鍛錬するために、毎朝廊下を歩いたりしていた。外を歩きたいのだなと思うこともあった。が、世話する私の立場から、外を歩くのは危ないからと、それとなく制止してきたような気がする。考えてみると、父思いのようであって、世話する側の私のエゴであった、と言えないだろうか? 一緒に歩いてあげればよかった、などと、父亡き後に、後悔を伴って思い出すのだ。
 私ばかりでなく、少なからず、介護者側の都合で、介護される側の気持ちが軽んじられる傾向が、結構あるのではないだろうか?

 朝から冬日和。
 雪の日に生まれたという私は、雪が好きだし、寒さを厭わない面がある。誕生日が雪の日であることをひそかに願ったりするが、今日のように、とびっきりの冬日和も悪くない。


 


 車も人気も全くない道をしばらく歩いたが、まだ歩き足りない気がし、川沿いに出た。
 川上を望むと、中洲の撤去が終わったらしい気配である。確認のため、高津大橋が見えるところまで行ってみた。
 前回見たときには、トラックで不要な土を運び出す工事が続いていた。が、今はもう中洲らしい形跡が全くない。川の面積が拡大した感じである。



 

 
  さらに、高津大橋に近づいてみると、橋脚近くに小さな盛り土があった。
  これも、いずれ取り除かれるものなのかどうか? 


  川沿いの道を歩いて、帰途に着く。
  下の写真は、高津大橋側から見た鴨島大橋。

  空も川面も、みな青い。


 


 記憶を辿ってみても、山陰の地に、しかも、大寒のさなかに生まれた私にとって、今日のような晴天に恵まれた誕生日は、初めてのような気がする。


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1月22日 誕生日

2022-01-22 | 身辺雑記
 深夜、地震で目醒めた。が、まだ睡眠薬が効いていたので、すぐ眠ってしまった。
 起きるとすぐ、テレビをつけてみたが、地震の特別放送などなかった。
 それでも気になるのでメールを開けてみた。市からのメールがたくさん入っていた。
 場所によっては、震度3の揺れがあったようだ。
 夢ではなかったのだと納得。
 日向灘のあたりで、地震があったらしい。私の部屋が4階なので、思いのほか揺れが強く感じられたらしい。

 誕生日は、地震でスタートした。
 89歳になった。
 妹たちと甥や姪たちから、沢山のお祝いの電話やメールをもらった。ラインメールでは、様々なスタンプももらって、今風を楽しむ。


 朝の空が美しく、空にまで祝福されている感じであった。


 




 




 




 




 
 



 



 89歳になった。
 少々生き過ぎた感じがする。
 同時に、先が見えたきた感じもする。

 89歳は、母の亡くなった年であり、96歳まで生きた父が、<血小板の減少>という患いをした年でもある。そんな体験から、89歳を無難に乗り切るのは容易なことではない気がする。

 施設4階に入居されている人を見ると、90歳代を生きるのは当たり前といった感じで生活なさっているお元気な方が多い。80代の人の方が遥かに少ない。百歳時代などという、ぞっとするようなことが実現しかねないような雰囲気が漂っている。が、同時に自立とは、どこまでをいうのだろう? と考え込まざるを得ないような方もゼロではない。そして、認知度の問題も、いろいろ考えさせられる。

 私自身、心身ひどく衰えてきた。が、なんとか、日々、読んだり書いたりを楽しみにして生きている。今の日常が保てなくなってまで生きていたいとは思わない。それが本心である。しかし、希望どおりにゆかないのが人生であるとも思っている。

 内心では、私は、70歳で私の人生は終わったと考えている。
 今は付録の人生。
 付録は付録なりに生きねばならないと思ったとき、PCを習ったり、ブログを書くことを教わったりした。そして、70歳までとは違う人生を生きている。
 が、付録の人生だから、いつ終わってもいいという思いが胸底にある。

 嫌なことは可能な限り避け、自分の楽しみを大事にして生きたい、それが今の願いである。
 しかし、心身の衰えは否めず、次第に人に迷惑をかけたりすことも多くなってきている。そうしたなかで迎えた89歳の誕生日。結局は、ケセラセラの気分。なるようにしかならない、と思いつつ。

 今日、施設にお勤めの方から、「お誕生日おめでとうございます」と言っていただいた。
 歳をとっても、そうした些細なことで、心が綻びる。


 誕生日の日の朝陽と夕陽。


 




 


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