月曜日の午後は、部屋の掃除をしていただく日である。
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掃除してくださる方は、5年間にいろいろ変わったが、現在の人とはかなり長いお付き合いになる。
「一週間が、あっという間ですね」
と、挨拶され、
「1月も、残りわずかですものね」
と、私も応えながら、心のなかで烏兎匆匆という言葉を思い浮かべていた。
広辞苑で確認すると、
<(中国の伝説で、太陽には3本足の烏が、月には兎がすむとされたことによる)①太陽と月。日月。②歳月。月日。光陰。「ーー匆々」>
と記されている。
とにかく歳月が匆々と過ぎてゆく。<光陰矢のごとし>である。
この調子でゆけば、一年もあっという間かもしれないが、そう易々とはいかないだろう。
しかし、年が明けてからの速いこと!
誕生日をさっと超えてしまった感じた。
賀状を出したり受けたりする月のせいか、私よりは若いけれど、かなり高齢の旧知から電話がよくかかる。自身が老境に入り、自分より年長の私がどうしているかしら? と案じたり、ふと昔の縁を懐かしんだりしての電話であろう。
「80になって、難聴になりましたが、なんとか聞こえます。
コロナが終息したら、会いに行きます」
と、いう電話が、今日もあった。
昨日、妹に頼んで、家から持参してもらった今年の年賀状をもう一度読み直しつつ、いただいた賀状のなかに、私より年長の人は3人しかいないことに気づいた。たくさんの懐かしい人々が思い出せるが、みな鬼籍の人である。
老いれば、寂しさが募るはず。
今日も天気がよさそうなので、散歩に出かけようかと思ったが、心身がイヤイヤをするので、やめにした。
幾度となく、自室の窓辺に立って、折々の山並みや空を眺めた。
幾度となく、自室の窓辺に立って、折々の山並みや空を眺めた。
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