いつものように、12時前に、昼食膳が運ばれた。重箱入りである。ふと、10の日? と思う。10日には10という音にちなんで重箱膳が出るからだ。しかし、今日は23日。
新年会の特別膳であった。
家と施設を往来する生活を続けてきたので、新年会のお食事は初めてである。
本来なら、一堂に会しての食事らしいが、コロナ禍のせいで、平素の食事どおり、部屋へ運ばれたのだ。
いつもの昼食膳に比べて、華やぎがある。
お品書きまで添えてあった。
いつもの昼食膳に比べて、華やぎがある。
お品書きまで添えてあった。
写真に写らなかったが、お箸もお正月用の祝い箸であった。
ありがたくいただく。
特に、茶碗蒸しと紅白なますのお味が、私の好みに合っていた。
偶然、誕生日の翌日であり、誕生日の祝膳でもあると、勝手に思っていただいた。
今日は、妹と甥に頼んで、品薄となっているティッシュを買ってきてもらったり、家に届いているはずの郵便物などを取りに家へ立ち寄ってもらったりした。特に届いているはずの請求書が気になり、金額を確かめて、代金の支払いも、妹に頼んだ。
町内から配られた文書にも、支払いの必要なものがあったが、当面の手続きは、電話で済ませ、支払いは後日にと考えている。
4日以後に配達された賀状も届き、気にしていた人たちの安否も分かって安堵した。
冷蔵庫に置いてきた果物なども届けてもらった。化粧品なども。
妹からのプレゼントの果物やお菓子類も届いて、なんだか心に潤いが得られた。
施設から出られないために生じる品薄は、やや異常なほど、心満たされない不安を生み出す。
この異常なこだわりは、ひょっとすると、戦中戦後の物資不足(特に食べ物に窮した体験)が、強烈だったせいではあるまいか?
それは、あまりに突飛すぎる理屈であると、一笑に付されるだろうか?
人間心理に詳しい人に伺ってみたい。