ぶらぶら人生

心の呟き

『日本美術の底力』

2020-06-21 | 身辺雑記

     山下裕二著

 『日本美術の底力』「縄文×弥生」で解き明かす

      

  

  (カバー・曾我蕭白「群仙図屏風」)

 

 赤旗新聞の日曜版(6月14日)で、この本の紹介を読み、Amazonへ注文。

 16日には入手したのだが、読了は今日となった。

 今までは、美術作品を鑑賞するとき、専ら恣意的だったが、この本を読んで、作品の見方の幅を広げてもらったような気がする。

 『日本美術の底力』は、「縄文」と「弥生」の特色が、その後の絵画にどのように影響を及ぼしていったか、そして、いかにすばらしい美術を生み出していったかを論じた美術論である。

 確かに土器など見ると、その両者の違いは歴然としている。その特色を作者の言葉を借りて並べると、以下のように、まるで対義語的である。

 縄文の特色 動的・過剰・饒舌・飾りの美・有機的・怪奇的・装飾的………等など。

 弥生の特色 静的・淡白・寡黙・余白の美・無機的・侘び寂び・優美………等など。


 作者の主張を一点に絞れば、

 <日本美術の特質は、縄文と弥生の「ハイブリッド」であり、その振れ幅の広いところに日本美術の豊かさがある。>

 と、いうことになりそうだ。

 私自身は、今まで、どちらかと言えば、弥生的な美術、静的であったり、侘び寂びに繋がる美を好んできたように思う。

 それでいて、若冲が好きだし、田中一村なども好きである。


 山下裕二さん以前に、美術との関連において、<弥生・縄文>について書かれたものには、

  岡本太郎の「縄文土器論」(<みづゑ>誌上に発表・1952年)

  辻惟雄著『奇想の系譜』(発行・1970年)

  谷川徹三の論文「縄文的原型と弥生的原型」(1971年)

 などが、あるという。(文中にも、年表の方にも記されている。)

 

 文体は「です・ます調」で書かれているので、やや硬質な絵画論を易しく受けてめることができた。また、話し言葉によく遣われる擬態語が多用されているのも、作者独特の文体であり、受け入れやすい要素を醸しているように思えた。

 この本には、とりあげられた画家の絵(カラー写真)が、たくさん掲載されていて、絵画鑑賞の楽しみもあった。日本美術の多彩さに、改めて気づかされた。

  私の説明がうまくゆかないので、くどくどと書く代わりに、目次を載せておく。

  序章 日本美術の逆襲

 第一章 なぜ独創的な絵師が締め出されたのか

 第二章 「ジャパン・オリジナル」の源流を探る

 第三章 「縄文」から日本美術を見る

 第四章 「弥生」から日本美術を見る

 第五章 いかに日本美術は進化してきたか

  終章 日本美術の底力とは何か

 

 関連して、以下の本を読みたいと思っている。(写真・下)

 赤瀬川源平著『千利休 無言の前衛』『個人美術館の愉しみ』

 (赤瀬川源平さんの本は比較的多く読んできた。が、上掲の本は、拾い読みの状態で書棚にあるもの。)

 辻惟雄著『奇想の系譜』(今日、Amazonから届いた本)

 

 



 

 今日は、30年前にいただいたカップでコーヒー飲みつつ読書。

コメント (2)
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