昨日、中国地方は梅雨入りした。
今日は雨の予報であったが、 曇り時々雨。ただ、日差しはなかった。
気分転換に、庭に出てみる。
ナンテンの、米粒ほどの小さな蕾が開き始めている。
家の庭にある、実のなる木は、ジューンベリーと杏子だけ。
ジューンベリーは赤く色づいた途端に、(例年どおり)完熟する前に、ヒヨドリに食べられてしまった。
一枝だけビニール袋をかけて、熟した実を見たいと思ったが、なんの効果もなかった。
ヒヨドリの貪欲さには、勝てなかった。袋は地面に落とされて、一個の実さえ残してはくれなかった。
杏子の方は、わずか10個ばかりだが、葉蔭に色づきつつある。
チガヤ(つばな)の穂の、微風にそよぐ風情がいい。(家裏の空き地で)
老いのせいであろう。一日に果たせる仕事(?)の分量が、日増しに少なくなってきた。
そこで、日課として、ナンプレ(数独)二問を解いていたのを、今日から一問だけに変更。
解いているときは、一日中で最も注意力と集中力の高まる時間である。さらに間違いなく完成したときの高揚感は格別でもある。
が、数独の解答に使う脳の働きと、読書をしたり駄文を書いたりに使う脳の働きとは全く異なる。
ナンプレは、一箇所の間違いも許されない正確さが要求されるが、あくまでも数字遊びである。
一方、読書や作文は、頭脳だけでなく、心情と結びつく作業なので、数独遊びの楽しさからは得られない充足感と(大げさに言えば)人間らしく生きている喜びが得られる。
今日は、文庫化された年(1999年)に読んだ、五木寛之著『大河の一滴』を再読。
著者は、私にとっては同学年であり、同時代を生きてきた作家である。それゆえに、格別の親近感を覚えつつ、エッセイを多く読んできた。(小説は読んでいない。)
『大河の一滴』は、以前読んだときよりも、ずっといまの私に寄り添ってくれるものであった。須臾であっても、老いの重苦しさをほぐしてくれる効用もあって。