南木佳士著『山中静夫氏の尊厳死』(初出は文学界・平成5年8月号)を読んだ。
この作品は、昨年映画化されており、主題歌 をシンガーソングライター・小村佳さんが、作詞作曲なさったという。そこで,この文春文庫には、<解説 『山中静夫氏の尊厳死』を読む >が、掲載されている。なお、その主題歌は「老いの願い」。
「出来れば死に方も自分で決めたいもの 贅沢望めるなら 痛まず苦しまず逝きたいもの」
「自分らしく生きた 充分生きたと今なら思う」
という歌詞が紹介されている。小村佳さん自身の、死に対する思いが綴られている。
この小説の冒頭は、次のように書き始められる。
<「私は肺癌なのです」
診察室の丸椅子に腰をおろすと同時に男は言った。>
と。
私=山中静夫が、この小説の主要人物である。
担当医は、今井医師であり、もう一人の主要人物である。
山中静夫は、山梨県の総合病院(薬療法を勧められる)から、どうせ死ぬなら生まれ故郷の信州で…と、家族の反対を押し切って、転院してきたのだった。<予後三から六ヵ月の間と思われる>と、文中にあるとおり、末期癌の患者である。
初診の折、山中は、
「楽にしてもらえますか」
「最期のところで、楽にするような薬を使ってもらえますか」
と、先生に尋ねている。
今井は、呼吸器内科を担当し、すでに死亡診断書を三百十六通も書いている医師である。
患者一人一人は、それぞれの死を考えれば済むことだが、医師は治療に当たる患者の死と常に対峙しなくてはならない。今井医師はすでに心身消耗している。今井の日常には、絶えず身近に死が存在する。そういう状況の中で、山中静夫の最期が描かれてゆく。
山中の妻は、ごく平凡な死生観の持ち主で、夫の考えを受け入れることができない。が、婿入りして以来、よい夫を演じてきた山中は、死期を目前にして自分の意思を貫くのである。
信州の病院で、自分の残生を生きてゆくという意思を貫く。癌治療を続けるのではなく、苦痛を抑えてもらいながら、毎日、生まれ育った地に出かけ、今は亡き親族のお墓を整備したり、自らの墓づくりに専念するのである。
今井医師は、もっぱら、山中の苦痛を和らげることに努めてゆく。
そして、山中は、自らの志を貫いて、命果てる。
一方、今井医師も、体調を崩してしまう。心療内科の検診で軽症のうつ病と診断される。
「死者を診すぎたんですよ。人生の負の場面だけを見すぎたんですよ。死者を診る数もその人なりの限度があるんでしょうね。とにかく休みましょうよ」
と、心療内科医の指示に従って一ヵ月休むことになる。
今井医師が、その療養中、妻の運転する車で、母や祖母の墓参に出かける。その途中、山中静夫の墓にも立ち寄る。
そして、<あれはほんとうに尊厳死だったのだろうか。>と、自問する。
同時に、読者にも問題を提起した形で小説は結ばれる。
山中静夫の場合は、残生を自らが計画した墓造りに専念し、彼の希望する治療の果てに迎えた死であった。これこそ尊厳死と言えるものであろう。が、それはそれとして、人間が最期を迎えるプロセスは、容易なことではない、と改めて思った。
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私自身は、5歳年上の兄が亡くなった2009年に、尊厳死協会に入会した。その意図するものは、次の二点である。
病んで、再び日常に戻れないと医師が判断されたときには、過剰な延命処置はしないでほしいという願いと、苦痛は、可能なかぎり和らげる処置をとってほしいという願いである。
尊厳死教会の存在は、かなり以前、癌で亡くなった知己から聞いて知っていた。が、手続きをしたのは、兄の死が契機となった。口頭で身近な者に伝えるより、形で意思表示しておいた方がいいと考えて。
私は毎年、一年を生き終えるごとに、お世話になっている主治医の先生宛に、お礼の手紙を認(したた)めている。
一昨年の手紙で、尊厳死教会に入会している旨も伝えておいた。
日々、老いの深まりを感じつつも、死がどんな形で訪れるのかは、全く推測不可能なことである。とにかく今日一日の無事を願いながら、老いの身にできるだけのことをして、日を重ねている。