ぶらぶら人生

心の呟き

初秋の日暮れ

2018-09-02 | 散歩道
 一日中、4階の部屋で過ごしていると、外の空気が吸いたくなる。大地に足をつけたくなる。
 日中はまだ暑いだろうと外出を控え、夕食後、外に出てみた。
 河口の道で、雲間に隠れて沈む落日を眺め、深呼吸をして引き返す。

       

             東方の空と雲
       
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拾い読み

2018-09-02 | 味わい深い表現
 猛暑に耐えつつの生活で、少々疲れがたまってきた。
 このところ、張りのある生活とは縁遠い。
 数独とか天声人語の書き写しなど単純なことは、意外と能率よく楽しみながらできるのだが、根を詰めた読書ということになると、あの本この本と気移りし、拾い読みのような読書になりがちである。

 齋藤孝著『声に出して読みたい日本語』は、こんな日の読書には向いている。時には音読して、気分の転換を図ったり、紹介されている文章や著者の博学多識に感動したり……。

 その中から、まず良寛の言葉

 「人がつんとしていたら、自分もつんとしていればいい」(『良寛和尚逸話集』

 心地よく生きたいというのは、万人に共通の思いであろう。しかし、なぜかツンツンされたり、不機嫌そうな表情に出会ったりする。そして、いささか不愉快になったり、原因が私にあるのだろうかと考えたりする。
 そんな私に、良寛の言葉は、なるほどと思わせる力がある。
 なかなか単純に、良寛の言葉どおりに気分を制御できるとは思えないけれど、良寛の言葉を思い出し、自分の心に囁くゆとりを持ちたいと思う。
 そもそも若いころ(忙しく働いているころ)には、あまり人の表情など気にならなかったように感じる。老いと関係があるのかどうか?  老いの心境には、若いときはなかった孤独が潜んでいるのかもしれない。

 良寛の存在感の大きさについて、上掲の本の中で、齋藤孝さんは、
 「存在感とは、その人がいないときにその人の話題がどれだけ出るかでわかると考えている」
 と述べておられる。
 確かにそうだな、と合点する。

 もう一つ、清少納言の有名な言葉。日々の実感として。

ただ過ぐに過ぐるもの 帆かけたる舟。人の齢(よわい)。春、夏、秋、冬。」(『枕草子』)
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