明日はお彼岸の中日である。
施設で昼食をいただいた後、帰宅することにしている。
そこで、昼過ぎイオンへ行き、仏壇にお供えするお花などを求めてきた。
リンドウとキクのセット
ついでに、部屋の潤いにとカランコエの鉢も求めて帰った。
白い花をしばらく楽しめるだろう。
街から帰り、エレベーターを降りると、すぐ人の話し声が聞こえた。
私の部屋の前で、SさんとFさんが、話しておられるのだった。椅子にかけて。
私のドアの真ん前にいらっしゃるので、「帰りました」と挨拶する。
「お帰りなさい」とにこやかに挨拶を返してくださる。
「暑いですか」とFさんが聞かれる。
「陽射しが強くて、かなり暑いお天気です」と答える。
バスを待つわずかな時間、じわじわと照りつけられる感じだった。
<暑さ寒さも彼岸まで>は常套句だが、今日は初秋の感じというよりも晩夏の気配だった。
突如、「今、何月?」とSさん。
「9月」と、Fさん。
93歳のSさんは、ここ1年の間に、急に話のかみ合わないこと、トンチンカンが多くなられた。前日のことを忘れておられることもある。先日、食膳を配膳車に返す途中、廊下で転倒、顔から出血され、翌日には黝んだ顔をしておられた。私や隣室のOさんが音に驚いて、残飯の片付けやティッシュで血止めをして差し上げたのだが、詳しくは覚えておられないふうであった。
一方、最近入居されたFさんの方は、ほとんど話をしていないが、いきなり出会い頭に、「あそこにオットセイが寝そべっている」と言われて驚いた。(このことはすでに書いた。)他人の部屋に黙って入り込んだり、食膳の片付けがうまくできなかったり、なにかと奇行が多い。(環境の急変によるものかもしれない。そのうち落ち着かれるといいのだが。)
老い方は異なるのだが、退屈な二人はよく廊下で話し込んでおられる。おしゃべりは延々と止むことがない。どんな話題なのかは聞き取れないけれど、賑やかなシャーシャー蝉よりも耳には不快音として届く。施設の人にお願いして、ソファと椅子3脚をお二人の部屋の近くへ移動してもらったのだが、やはり端っこより、中央に近い方がいいようで、今日は椅子を移動して話し込んでおられるのだった。
5時近く、施設の方が、全室を巡回。私の部屋の前にやってこられた。
「椅子は向こうに置くはずだったでしょ」と言いつつ、二人の居場所を移された。
移動後も、夕食膳が届くまで、雑談の声は聞こえ続けた。少しだけ、声は遠のいたけれど。
二人にとって、それが楽しいことであるなら、周りの者は我慢しなければならないのだろう。
(我慢ではなく、無の境地になれるといいのだが……。)
いずれ我がゆく道と考えると、もの哀しい気分に襲われる。人ごとではないのだ。
バス停で、見上げた空の雲は、夏雲と秋雲が同居している雰囲気だった。
イオンからタクシーに乗るとすぐ、車窓に珍しい雲の光景を見た。
施設に到着するころには形が崩れていた。それでもまだ異様さを残していた。
下駄箱前の長椅子に荷物を置き、川土手まで出て雲を眺めた。
施設で昼食をいただいた後、帰宅することにしている。
そこで、昼過ぎイオンへ行き、仏壇にお供えするお花などを求めてきた。
リンドウとキクのセット
ついでに、部屋の潤いにとカランコエの鉢も求めて帰った。
白い花をしばらく楽しめるだろう。
街から帰り、エレベーターを降りると、すぐ人の話し声が聞こえた。
私の部屋の前で、SさんとFさんが、話しておられるのだった。椅子にかけて。
私のドアの真ん前にいらっしゃるので、「帰りました」と挨拶する。
「お帰りなさい」とにこやかに挨拶を返してくださる。
「暑いですか」とFさんが聞かれる。
「陽射しが強くて、かなり暑いお天気です」と答える。
バスを待つわずかな時間、じわじわと照りつけられる感じだった。
<暑さ寒さも彼岸まで>は常套句だが、今日は初秋の感じというよりも晩夏の気配だった。
突如、「今、何月?」とSさん。
「9月」と、Fさん。
93歳のSさんは、ここ1年の間に、急に話のかみ合わないこと、トンチンカンが多くなられた。前日のことを忘れておられることもある。先日、食膳を配膳車に返す途中、廊下で転倒、顔から出血され、翌日には黝んだ顔をしておられた。私や隣室のOさんが音に驚いて、残飯の片付けやティッシュで血止めをして差し上げたのだが、詳しくは覚えておられないふうであった。
一方、最近入居されたFさんの方は、ほとんど話をしていないが、いきなり出会い頭に、「あそこにオットセイが寝そべっている」と言われて驚いた。(このことはすでに書いた。)他人の部屋に黙って入り込んだり、食膳の片付けがうまくできなかったり、なにかと奇行が多い。(環境の急変によるものかもしれない。そのうち落ち着かれるといいのだが。)
老い方は異なるのだが、退屈な二人はよく廊下で話し込んでおられる。おしゃべりは延々と止むことがない。どんな話題なのかは聞き取れないけれど、賑やかなシャーシャー蝉よりも耳には不快音として届く。施設の人にお願いして、ソファと椅子3脚をお二人の部屋の近くへ移動してもらったのだが、やはり端っこより、中央に近い方がいいようで、今日は椅子を移動して話し込んでおられるのだった。
5時近く、施設の方が、全室を巡回。私の部屋の前にやってこられた。
「椅子は向こうに置くはずだったでしょ」と言いつつ、二人の居場所を移された。
移動後も、夕食膳が届くまで、雑談の声は聞こえ続けた。少しだけ、声は遠のいたけれど。
二人にとって、それが楽しいことであるなら、周りの者は我慢しなければならないのだろう。
(我慢ではなく、無の境地になれるといいのだが……。)
いずれ我がゆく道と考えると、もの哀しい気分に襲われる。人ごとではないのだ。
バス停で、見上げた空の雲は、夏雲と秋雲が同居している雰囲気だった。
イオンからタクシーに乗るとすぐ、車窓に珍しい雲の光景を見た。
施設に到着するころには形が崩れていた。それでもまだ異様さを残していた。
下駄箱前の長椅子に荷物を置き、川土手まで出て雲を眺めた。