机上のものを写してみた。
これは、テーブルの右片隅の現状である。
相変わらずごちゃごちゃしている。
絶えず定位置にあるものの他は、
とりあえず、今、私に必要なものが、
存在している。
(あえて、モノクロにしてみた。)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/69/11/4eb7671019f60c76303b946a93fcfcd2.jpg)
起床後、朝食が配られるまでに、<今朝の朝日>をスマホで撮影し、ブログを投稿した。
そのあと、朝食を美味しくいただく。
お膳を返すため、廊下に出ると、ソファーで、Mさんが待っておられた。
Sさんを誘って。
配膳棚にある私の氏名を見て、部屋に戻っていることを察して、待たれたのであろう。
「96歳の人、部屋に戻られたの」
と、教えてくださった。
Mさんは、私にとっての情報源である。
知りたいと思わぬことも伝授される。
先週、Mさんにお会いしたとき、103歳は2階の介護棟に移られ、その隣の96歳は入院中と聞いた。
(高齢者ばかりなのだから、変化が激しいらしい。)
今朝の話によると、96歳が、無事、部屋に戻られたのだという。
「会ってみます?」
と、尋ねられた。
「…偶然お会いできれば、そのときに…」
と、お断りする。
「足がひどく腫れてね、象の足みたい。ベッドの枕元まで、物が溢れているのよ」
と、顔をしかめられる。
96歳にもなれば、生きているだけで、大変だろう。
片づけなどできなくて、当たり前ではないかしら?
しかし、私はMさんのように、他室の方の手助けをしようなどとは思わない。
また、手助けされることも期待しない。
身体に不具合が生じれば、ナースコールを押せばいい。
それに、朝と夕の2回、施設の方が、様子伺いに来てくださる。
部屋を借りていることの利点を生かし、ここでは、<遊び>を大いに楽しみたい。
河口の部屋には、電子辞書(国語辞典としては『大辞泉』が入っている)を持参している。
それで確かめると、<遊び>の意味は色々あって、10種の捉え方が紹介してある。
その6番目に、[文学上の立場で、対象を理性的に突き放してみる傍観者的な態度。森鴎外が示したもの。]があり、私のいう<遊び>は、これに近いのだろう、と思う。