ぶらぶら人生

心の呟き

遊び

2017-03-17 | 身辺雑記
タブレットのカメラで、
机上のものを写してみた。
これは、テーブルの右片隅の現状である。
相変わらずごちゃごちゃしている。
絶えず定位置にあるものの他は、
とりあえず、今、私に必要なものが、
存在している。
(あえて、モノクロにしてみた。)





起床後、朝食が配られるまでに、<今朝の朝日>をスマホで撮影し、ブログを投稿した。
そのあと、朝食を美味しくいただく。

お膳を返すため、廊下に出ると、ソファーで、Mさんが待っておられた。
Sさんを誘って。

配膳棚にある私の氏名を見て、部屋に戻っていることを察して、待たれたのであろう。

「96歳の人、部屋に戻られたの」
と、教えてくださった。
Mさんは、私にとっての情報源である。
知りたいと思わぬことも伝授される。

先週、Mさんにお会いしたとき、103歳は2階の介護棟に移られ、その隣の96歳は入院中と聞いた。
(高齢者ばかりなのだから、変化が激しいらしい。)

今朝の話によると、96歳が、無事、部屋に戻られたのだという。
「会ってみます?」
と、尋ねられた。
「…偶然お会いできれば、そのときに…」
と、お断りする。

「足がひどく腫れてね、象の足みたい。ベッドの枕元まで、物が溢れているのよ」
と、顔をしかめられる。

96歳にもなれば、生きているだけで、大変だろう。
片づけなどできなくて、当たり前ではないかしら?

しかし、私はMさんのように、他室の方の手助けをしようなどとは思わない。
また、手助けされることも期待しない。
身体に不具合が生じれば、ナースコールを押せばいい。
それに、朝と夕の2回、施設の方が、様子伺いに来てくださる。

部屋を借りていることの利点を生かし、ここでは、<遊び>を大いに楽しみたい。

河口の部屋には、電子辞書(国語辞典としては『大辞泉』が入っている)を持参している。
それで確かめると、<遊び>の意味は色々あって、10種の捉え方が紹介してある。
その6番目に、[文学上の立場で、対象を理性的に突き放してみる傍観者的な態度。森鴎外が示したもの。]があり、私のいう<遊び>は、これに近いのだろう、と思う。
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吉日となるかも!

2017-03-17 | 身辺雑記
3月17日の旭日
起床後間もない6時半、
カーテンを開けると、
山の端に、
半円形の太陽が、
のぞいている。

急いで着替えして、
窓の外に出ると、
早くも、太陽は、
山の端を離れていた。



貴重な今日1日の始まりである。
ブログの回数が増える一方で、
私の残生は、それだけ減ってゆく…。
当然のことを、
若い時には、
考えもしなかったものだ。
日々の連続が当たり前であったから。
老いの今は、明日の確約が
不明確な日々を生きている。

それだけに、
無類の美しさや
燃える輝きが、いっそう
心の高揚につながるのだろう。
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