ぶらぶら人生

心の呟き

置いてきた花

2017-03-15 | 身辺雑記
10日の散歩の帰りに、
河口の部屋用に求めた小鉢。
植物のない部屋は、やはり味気なくて……。

カランコエと観葉植物のフィットニア
花屋さんの説明によると、
いずれも、水やりは1週間1度程度でいい、とのこと。
私の不在中も元気でいてくれるだろう。
カランコエは、花数を増やしながら。






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手書きの便り

2017-03-15 | 身辺雑記
3月10日午後、バスでイオン前で下車し、ポストに一通の手紙を投函した。
大学時代の友達のひとりと、最近、密に便りを交換している。

年賀状に、昨年の10月から年の暮れまで入院していた、と書かれており、あの心身強靭な友達に、何が起こったのだろう? と、お見舞いの電話をしたのが、きっかけであった。

友達は、歌人である。
機器嫌いの彼女からは、いつも自筆の手紙が届く。
私は、いつもパソコンで書き送る。
花の写真を添えたりして。

河口の部屋で、たっぷりと時間があるので、私も友達に、手書きの便りを綴った。
(パソコンで書くときのように、語順の変更や段落の移動などが思うに任せず、不満の残る手紙になってしまったけれど…。)

友達の手紙に、新聞を『毎日』にかえた、と記してあった。
その文面を読み、私もひととき、『毎日』を読んでいたことを思い出した。
私が、『毎日』を読んでいた期間は、奇しくも、死刑囚の島秋人の歌が、<毎日歌壇>に、よく採用されている時期と重なった。
当時の私は、その歌壇を読むとき、まず、島秋人の歌を探したものだった。
そのことを友達に伝えたく、死刑が執行されたあとに出版された歌集『遺愛集を持参し、河口の部屋で再読した。

本の中には、島秋人に関する、新聞の切り抜きが2枚挟んであった。
一つは、大岡信の<折々のうた>(朝日新聞・2006・6・15)。
そこに取り上げられた歌を、彼女への手紙にも記した。

この澄めるこころ在るとは識らず来て死刑の明日に迫る夜温し

私はまた、現在購読中の『朝日』では、アメリカの獄中から投稿される郷隼人の歌にも、関心を持っていることも追記した。

深い罪を犯した人が、改心した日々の、心眼に映ずる景色や心情に心打たれるのだ。
そんなことなども、書き送った。







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