3月8日
修理に出していた時計を受け取り、河口の部屋にやってきた。
2度目の3連泊。
ここでの生活に、ほぼ慣れてきた。
自分を見失わないで生きる術(すべ)が、
つかめてきたような気がしている。
3月にしては、寒冷の1日となった。
昨夜来の冷え込みで、天も地も、寒々としている。
しかし、河口の部屋は、温かい。
寒さとは無縁である。
暗雲に覆い尽くされていた空に、晴れ間がのぞき始めていた。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/f5/e34d53765a6c128a203fd8118f12019d.jpg)
4時半の空と海(レストラン<とみ>の見える方角)
夕食の膳を返しに行ったとき、7号室のMさんに会った。
(ドアを開けて、掃除をしておられた。)
「お帰りになっていたの?
お年、何歳でしたかしら?」
Mさんに会うごとに、年を聞かれる。
挨拶語のように。
「84歳です」
初めての告白のように、私も同じことを繰り返す。
「そんなはずないでしょ?
もっとお若いはずよ」
ここまでは、決まり文句。
そのあと延々と、同じ屋根の下に住む人たち(特に3・4階の住人)についての話を聞かされた。
付き合いの難しさについて。
6年間、どれだけ嫌な体験をしてきたかについて。
Mさんは話好きで、社交的な方なので、各部屋の人たちと積極的に交わって来られたようだ。
その結果、人間関係において軋轢や摩擦を多く体験してこられたのだろう。
それに対し、私が非社交的で、自分の世界を愉しむタイプの人間であることも、薄々感じておられるようだ。
しかし、急接近されそうな気配もあり、上手に距離を置くことを考えねば…。
近くの部屋におられた100歳を超えた方が、お顔も見ぬうちに、2階の要介護の部屋に移られたことも、Mさんの話で知った。
もう一人90歳代の方が、入院中とか。(部屋は借りたまま。)
人生の末路は、どんな形で訪れるかは、全く不明!
隣室の91歳はお元気そうだが、内実はわからない。
人生の終末期のドラマが、ここにはたくさんあるようだ。
誰も、先の見えない今日を生きている。