友達と日暮里で会い、一緒に師のお墓に詣でた後、お天気がいいので、深川に行ってみようということになった。
散歩したり、史跡に触れたりということで……。
私は初めて聞く名の庭園であった。
パンフレットの由来には、
<一説には江戸の豪商、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられる。その後、享保年間(1716~1736)に下総国、関宿の城主久世大和守の下屋敷となり庭園のもとが形造られた。
明治11(1878)年に岩崎彌太郎がこの邸地を社員の慰安や貴賓を招待する場所として造園を計画、明治13(1880)年に「深川親睦園」を開園。その後も造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水をはじめ築山、周囲には全国から取り寄せた名石を配して明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」として完成。昭和54(1979)年、東京都の名勝に指定。>
と記されている。
「清澄庭園」の名で開園されたのは、昭和7(1932)年。
水と鳥、樹木と石に親しみながら、池の周囲を巡るのは、心地よいひと時だった。
紅葉、黄葉はそれほど多くはなかったが、晩秋の気配の残る庭園巡りは、東京の一隅にいながら、鄙びた静寂のなかにいるかのような長閑さを覚えた。
友達と、想い出を共有する場が、また一つ増えた。
散歩したり、史跡に触れたりということで……。
私は初めて聞く名の庭園であった。
パンフレットの由来には、
<一説には江戸の豪商、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられる。その後、享保年間(1716~1736)に下総国、関宿の城主久世大和守の下屋敷となり庭園のもとが形造られた。
明治11(1878)年に岩崎彌太郎がこの邸地を社員の慰安や貴賓を招待する場所として造園を計画、明治13(1880)年に「深川親睦園」を開園。その後も造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水をはじめ築山、周囲には全国から取り寄せた名石を配して明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」として完成。昭和54(1979)年、東京都の名勝に指定。>
と記されている。
「清澄庭園」の名で開園されたのは、昭和7(1932)年。
水と鳥、樹木と石に親しみながら、池の周囲を巡るのは、心地よいひと時だった。
紅葉、黄葉はそれほど多くはなかったが、晩秋の気配の残る庭園巡りは、東京の一隅にいながら、鄙びた静寂のなかにいるかのような長閑さを覚えた。
友達と、想い出を共有する場が、また一つ増えた。