ぶらぶら人生

心の呟き

清澄庭園 (12月5日)

2007-12-19 | 旅日記
 友達と日暮里で会い、一緒に師のお墓に詣でた後、お天気がいいので、深川に行ってみようということになった。
 散歩したり、史跡に触れたりということで……。

 私は初めて聞く名の庭園であった。
 パンフレットの由来には、
 <一説には江戸の豪商、紀伊国屋文左衛門の屋敷跡と伝えられる。その後、享保年間(1716~1736)に下総国、関宿の城主久世大和守の下屋敷となり庭園のもとが形造られた。
 明治11(1878)年に岩崎彌太郎がこの邸地を社員の慰安や貴賓を招待する場所として造園を計画、明治13(1880)年に「深川親睦園」を開園。その後も造園工事は進められ、隅田川の水を引いた大泉水をはじめ築山、周囲には全国から取り寄せた名石を配して明治の庭園を代表する「回遊式林泉庭園」として完成。昭和54(1979)年、東京都の名勝に指定。>
 と記されている。
 「清澄庭園」の名で開園されたのは、昭和7(1932)年。

 水と鳥、樹木と石に親しみながら、池の周囲を巡るのは、心地よいひと時だった。
 紅葉、黄葉はそれほど多くはなかったが、晩秋の気配の残る庭園巡りは、東京の一隅にいながら、鄙びた静寂のなかにいるかのような長閑さを覚えた。
 友達と、想い出を共有する場が、また一つ増えた。
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芭蕉の句碑 (12月5日)

2007-12-19 | 旅日記
 清澄庭園(次回ブログ参照)の一角に、古びた芭蕉の句碑があった。(写真)
 有名な句、
   <古池やかはづ飛び込む水の音>
 が刻まれていた。

 この句碑は、かつては隅田川の岸辺にあったものらしい。護岸工事のために、この地に移されたのだという。
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採荼庵(さいとあん)跡と芭蕉像 (12月5日)

2007-12-19 | 旅日記
 前回のブログに記した芭蕉像を見たとき、同行の友達は、もう一つ芭蕉像がある、それこそ見るに値すると言うので、それを探した。
 生憎、深川江戸資料館でもらった地図には出ていないのだ。
 土地に詳しい人に尋ね、海辺橋の傍だと分かった。
 かなり歩き疲れていたが、日暮れの時間を気にしながら、採荼庵跡の芭蕉像を目指して歩いた。

 やっと目的地にたどり着いた。
 ここが採荼庵(芭蕉の門人杉山杉風の別墅<べっしょ>)跡だということになっている。標識にその名が記してある。その傍に旅装の芭蕉が腰を下ろしているのだ。
 芭蕉はいささか憂い顔に見えた。(写真)
 長途の旅への格別の思いを、彫刻家は刻んだのだろう。
 芭蕉は、深川の草庵を人に譲り、ここから『奥の細道』の旅に出発したことになっている。
 この像も平成3年(1991)に作られたものだというから、そう古いものではない。
 車の激しく行き交う道のほとりでは、やはり芭蕉を偲ぶにはふさわしくない感じだった。
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芭蕉記念館 分館・芭蕉庵史跡展望庭園 (12月5日)

2007-12-19 | 旅日記
 川のほとりに、史跡展望庭園はあった。
 隅田川と小名木川に隣接して。
 芭蕉像は、川の風景を臨む位置に建てられている。(写真)
 
 この庭園は1995年に、芭蕉記念館(1981年)の分館として作られたらしく、いかにも新しい感じだ。芭蕉像もなんとなく居心地悪そうで、その場になじまぬ感じに思えた。

 この庭園に行くまでに、赤い鳥居の芭蕉稲荷神社もあった。
 案内のパンフレットを見ると、<大正6年(1917)の大津波の後、「芭蕉遺愛の石の蛙」(伝)が出土し、地元では芭蕉稲荷神社として祀っている>と記してあった。

 芭蕉(1644~1694)といえば、そう遠い昔の感じはないのだが、考えてみると没後、300年以上を閲している。
 深川周辺の、その間の変化は大きく、芭蕉生存当時のありのままを偲ぶのは、至難であろう。
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芭蕉記念館 (12月5日)

2007-12-19 | 旅日記
 松尾芭蕉は深川と深い縁があり、江東区が記念館を作ったり芭蕉翁像を配した庭園を作ったりして、顕彰に努める気持ちは理解できる。
 が、その内容は、あまり感心できるものではなかった。
 記念館前には、芭蕉の句に詠まれた草木を植え、日本庭園風にしつらえてはあるが、あまりにも貧弱なお庭であった。わずかな木々が、狭い庭に窮屈そうだった。
 内部の展示は、俳諧資料としては有益なものであろう。が、私にとっては、関心のあるものが少なかった。
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深川江戸資料館 (12月5日)

2007-12-19 | 旅日記
 旅から帰って、随分日を重ねた。
 東京の深川周辺を在京の友達と歩いたのは、12月5日だった。
 その日の昼食に<深川めし>を食べ、その思い出をブログに綴ってからでさえ、10日ばかりが経った。
 慌しく、時間が過ぎてゆく。
 深川の思い出を、簡単にメモしておくことにする。

 食後、まず訪れたのが、<深川江戸資料館>だった。(写真)
 ここが面白いのは、奥に進むと、江戸時代の深川の街並みが大きな空間に再現されていることだった。火の見やぐらや、猪牙舟(ちょきぶね)の浮かぶ掘割、さらには船宿のたたずまい、白壁の土蔵などがあり、路地裏に暮らす人々の生活が偲ばれるようになっている。細やかに再現されているので、現実感が漂っている。
 猫の鳴き声が聞こえたので、その方に視線を向けると、屋根の上に猫がいる! 本物であるかと錯覚するくらいのできである。
 路地には散水がなされ、朝撒かれたらしい水が、窪地にたまっているのだ。生活の匂いがあり、当時は、<かくありなん>と思わせるような、心憎い演出がしてある。
 家の中の家具類の一つ一つにも、生活を偲ぶことができるようになっている。
 回顧的な気分に浸りながら、楽しめる展示だった。

 資料館には、ゆったりと舞台を楽しめる小劇場もあって、いろいろな催しに利用されているようだ。
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