※ 「船場吉兆」関連の記事の見出し
1面 船場吉兆 組織での不正認める
報告書「10年前から」
39面 頭深々 発言は転々
「パート責任ない」
天声人語
漱石の『坊ちゃん』に登場する、素性のあやしい「いか銀」(坊ちゃんが下宿した家の亭主)にちなんで、「いか兆」とでも呼ぶべきか、と述べた後、
<…高級料亭「船場吉兆」の産地偽装や不正表示は、実に41商品にのぼっていた。全部で60商品ほどだから、7割に近いことになる。…略…▼偽装にも増して、記憶に残るのは経営側の言い逃れである。責任をパートの女性たちに押し付けようとした。だが実際は、会社が「不正マニュアル」を作っていたそうだ。…略…思い出すのは、「消防署から」ではなく「消防署の方から」と言って消火器を売る詐欺まがいだ。老舗ゆえに物悲しい▼<偽装偽証偽善偽名に偽造あり偽偽、偽偽、偽偽と軋む日常>と嘆く歌を、一昨日の朝日歌壇に見た。…略…。>
引用された歌については、私も、一昨日の<新聞より>に記した。船場吉兆に限らず、本当に情けない出来事が続きすぎる。
※ 社説
患者置き去り 寄り添う人がいれば
<この夏、公開されたマイケル・ムーア監督のドキュメント映画「シッコ」は、米国の医療の現状を鋭く告発した。治療費を払えない患者を病院が路上に捨てる場面は衝撃的だ。
この日本ではまさか、と思われていたことが実際に起きてしまった。
堺市にある新金岡豊川総合病院の職員たちが、糖尿病で全盲になった63歳の男性を車で連れ出し、荷物と一緒に公園に置き去りにした。>
なんというおぞましいこと!
言葉を失ってしまう。人間はそこまで残酷になれるものかと。
<入院の必要がない患者に退院してもらうためには、一人ひとりに親身に寄り添い、病院の外でも安心して暮らせるという展望を示すことが欠かせない。病院だけに任せずに、自治体が先頭に立って支援の態勢づくりを急ぎたい。>
というのが、社説の最終段落の意見である。
年寄りであっても、長く患う身であっても、最後まで人間らしい扱いが受けられるという、至極当たり前のことが、当たり前のこととして、信じられる世の中であって欲しい。
年を重ねることが怖くなるような、不安要因ばかりが、やたらに目につく昨今である。ひとりを生きる私など、なるようにしかならないと、諦めに徹しようとしながらも、心の隅で、やはり不安を募らせてしまう。
※ CM天気図―――天野祐吉 年賀状の楽しみ
天野祐吉さんの、このコラム記事は、いつも楽しみに読んでいる。
私は、この日本郵便のCMを見ていない。
<「やっぱりね、相手がニヤッとするようなひとことを書きたいよね、物書きとしては」と年賀状を書きながら養老猛さんは言う。>とある。
CMは見ていなくても、養老氏の表情は浮かんでくる。そして、できれば私もそんな賀状を書きたいと思う。
<「年賀状は贈り物だと思う」というCMのコピーもいい。昔はぼくも年賀状を書いたが、それは儀礼じゃなく、贈り物を送るような気持ちだったなと思う。>
とも、書かれている。
そうだ、基本はパソコンの機能に頼らざるを得ないとしても、自筆のひとことに心を込めた賀状が送れたらいいな、と私も思う。
心にゆとりがないとそれはできない。
さて、果たして、どんな賀状を送ることになるだろう?
(添付写真は、上野公園の銀杏黄葉。12月6日。)