前回のブログに記した芭蕉像を見たとき、同行の友達は、もう一つ芭蕉像がある、それこそ見るに値すると言うので、それを探した。
生憎、深川江戸資料館でもらった地図には出ていないのだ。
土地に詳しい人に尋ね、海辺橋の傍だと分かった。
かなり歩き疲れていたが、日暮れの時間を気にしながら、採荼庵跡の芭蕉像を目指して歩いた。
やっと目的地にたどり着いた。
ここが採荼庵(芭蕉の門人杉山杉風の別墅<べっしょ>)跡だということになっている。標識にその名が記してある。その傍に旅装の芭蕉が腰を下ろしているのだ。
芭蕉はいささか憂い顔に見えた。(写真)
長途の旅への格別の思いを、彫刻家は刻んだのだろう。
芭蕉は、深川の草庵を人に譲り、ここから『奥の細道』の旅に出発したことになっている。
この像も平成3年(1991)に作られたものだというから、そう古いものではない。
車の激しく行き交う道のほとりでは、やはり芭蕉を偲ぶにはふさわしくない感じだった。
生憎、深川江戸資料館でもらった地図には出ていないのだ。
土地に詳しい人に尋ね、海辺橋の傍だと分かった。
かなり歩き疲れていたが、日暮れの時間を気にしながら、採荼庵跡の芭蕉像を目指して歩いた。
やっと目的地にたどり着いた。
ここが採荼庵(芭蕉の門人杉山杉風の別墅<べっしょ>)跡だということになっている。標識にその名が記してある。その傍に旅装の芭蕉が腰を下ろしているのだ。
芭蕉はいささか憂い顔に見えた。(写真)
長途の旅への格別の思いを、彫刻家は刻んだのだろう。
芭蕉は、深川の草庵を人に譲り、ここから『奥の細道』の旅に出発したことになっている。
この像も平成3年(1991)に作られたものだというから、そう古いものではない。
車の激しく行き交う道のほとりでは、やはり芭蕉を偲ぶにはふさわしくない感じだった。
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