ぶらぶら人生

心の呟き

12月13日(木)の新聞より

2007-12-13 | 身辺雑記

 ※ 1面 原爆症 発病なら認定
     3㌔圏内で直接被爆
     100時間内爆心付近
       与党PT(プロジェクトチーム)、新基準案

 ※ 35面 年金問題 怒り再燃
          特定不可能に「裏切られた」
          「選挙向けだったのか」
    社説 年金記録  どうする、桝添さん

 ※ 時時刻刻
   小中教員増減火花
     文科省「数を」 財務省「実質増」
     教育再生か行革か
          残業、月34時間 10年前の4倍
          現場は悲鳴「質保てない」

 などなど、見出しだけ見ても、解決の急がれる問題ばかり。

 ※ 2007年「今年の漢字」
    食も政治も年金も…背信の1年

      過去の「今年の漢字」と選定理由の主な事柄
        95年   阪神大震災
        96年   0517での集団食中毒
        97年   山一證券の経営破たん
        98年   カレー毒物混入事件
        99年   世紀末
        00年   シドニー五輪
        01年   米・同時多発テロ
        02年   拉致被害者の帰国
        03年   タイガース リーグ優勝
        04年   相次ぐ台風上陸
        05年   愛・地球博
        06年   悠仁さま誕生

 その年々、いろいろな事があったものだ。書き写しながら、過ぎ去った出来事をあれこれ思い出した。「今年の漢字」は、その年の主だった事件や世相をよく表している。今年の<偽>は、過去最悪の世相を映し出しているといえぬだろうか。

 (添付写真は、東京深川・清澄庭園の池。12月5日。) 

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川村記念美術館所蔵「巨匠と出会う名画展」(後期展示)

2007-12-13 | 身辺雑記
 今日は妹に会う予定だった。そこで、街に出たついでに、「巨匠と出会う名画展」の後期展示も見ることにした。
 妹とは、グラントワのレストラン<ポニー>で会って、久しぶりに話した。
 姉妹、同じ街に住んでいても、そう頻繁に会えるわけではない。必要な要件は電話で済ませることも多く……。ひとり住まいの私を妹は案じてはくれるが、今のところ、私の自由を束縛するような過剰なおせっかいは焼かない。どちらからともなく、数日に一度、電話しあう関係を保っている。

 妹は、すでに後期展を見たというので、コーヒーを飲みながら話した後、私はひとりで、展示会場に入っていった。
 会期中、もっとしばしば会場に足を運ぶことになるだろうと、初めは思っていたが、結局、今日は三度目にすぎない。後期展が始まってからは初めてである。

 そう沢山の展示換えがなされているわけではなかった。
 日本画で、尾形光琳の「柳に水鳥」、長沢蘆雪の「牧童図」、横山大観の「輝く日本」、橋本関雪の「木蘭」が新たに展示してあった。
 (前期は橋本関雪の「琵琶行」、長谷川等伯の「烏鷺図」、酒井抱一の「隅田川焼窯場図」、加山又造の「円舞(鶴舞)」だったと思う。)

 初回は学芸員のトークを聞きながら、一部の作品を見ただけだった。
 したがって、後期展示の日本画を除く大方は、今回二度目ということである。
 なかなか新たな発見の喜びに浸ることはできなかったが、ただ一点、彫刻「眠れるミューズⅡ」の前で足が止まり、この頭部、しかも顔の表情だけを単純化した彫刻のスタイルは、フィラデルフィア美術館展で観たような気がしたのだった。
 改めて、作者を見ると、<コンスタンティン・ブランクーシ(1876~1957)>とある。「ブランクーシ? ブランクーシ?」と胸のうちで繰り返しながら、フィラデルフィア美術館展を見て、私が大いに気に入った彫刻「接吻」の作者が、ブランクーシではなかっただろうかと考えた。
 最近は、初めて耳にした人の名前など、一度だけでは覚えられなくなってしまった。
 帰りのバスの中でも、ブランクーシの名が、胸の底で揺れていた。
 帰宅後すぐ、東京都立美術館で求めて帰った図録を開いてみた。
 間違いなかった。
 男女の愛を最も単純な形で謳歌した彫刻「接吻」の作者こそ、ブランクーシだったのだ。その美術展で、最も気に入った作品だったと言ってもいいかもしれない。

 作品との出会いは不思議なものだ。
 もし「接吻」から得た感動がなかったら、今日も、「眠れるミューズ」の前を前回同様、何の感動もなく通り過ぎていたかもしれない。
 ブロンズと石灰石の違いはあっても、作品に底流する響きは共通しているのだ。
 ブランクーシの作品を新たな目で見直されただけでも、今日、美術館を訪れた甲斐があった。

 実は、身体の内部のことは、自分自身でも分かりにくいのだが、今日は身体が、<少し疲れ気味>の信号を発していたようだ。ブランクーシの辺りまではよかったのだが、第3章の<前衛の時代>を見て回っている頃から、体調に異変を感じ始めた。<(?_?)>といった感じだった。
 会場で、意識が遠のくことにはならないだろうな、などと不安になった。ちょっと、椅子にかけて休んだ。頭部に重い疲れがあって、首筋を揉んでみたりした。
 なんとか見終わったが、出口近くのブルジッド・ライリーの「朝の歌」を見ていると、意識がおかしくなりそうだった。慌てて、外に出た。
 説明によると、「オプティカル・アート」と呼ばれる作風で、視覚のトリックを伴う絵画のようだ。私の頭脳が疲れていて、ますますそのトリックに幻惑されたらしい。

 遅い昼食をとると、そそくさと帰宅した。
 しかし、今はブログを書く気になったから、もう大丈夫だろう。

 (添付写真は、グラントワの中庭。イルミネーションが夜は綺麗だろう。1月7日まで点灯されるとか。)
コメント (2)
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