※ 1面 原爆症 発病なら認定
3㌔圏内で直接被爆
100時間内爆心付近
与党PT(プロジェクトチーム)、新基準案
※ 35面 年金問題 怒り再燃
特定不可能に「裏切られた」
「選挙向けだったのか」
社説 年金記録 どうする、桝添さん
※ 時時刻刻
小中教員増減火花
文科省「数を」 財務省「実質増」
教育再生か行革か
残業、月34時間 10年前の4倍
現場は悲鳴「質保てない」
などなど、見出しだけ見ても、解決の急がれる問題ばかり。
※ 2007年「今年の漢字」
偽 食も政治も年金も…背信の1年
過去の「今年の漢字」と選定理由の主な事柄
95年 震 阪神大震災
96年 食 0517での集団食中毒
97年 倒 山一證券の経営破たん
98年 毒 カレー毒物混入事件
99年 末 世紀末
00年 金 シドニー五輪
01年 戦 米・同時多発テロ
02年 帰 拉致被害者の帰国
03年 虎 タイガース リーグ優勝
04年 災 相次ぐ台風上陸
05年 愛 愛・地球博
06年 命 悠仁さま誕生
その年々、いろいろな事があったものだ。書き写しながら、過ぎ去った出来事をあれこれ思い出した。「今年の漢字」は、その年の主だった事件や世相をよく表している。今年の<偽>は、過去最悪の世相を映し出しているといえぬだろうか。
(添付写真は、東京深川・清澄庭園の池。12月5日。)
今日は妹に会う予定だった。そこで、街に出たついでに、「巨匠と出会う名画展」の後期展示も見ることにした。
妹とは、グラントワのレストラン<ポニー>で会って、久しぶりに話した。
姉妹、同じ街に住んでいても、そう頻繁に会えるわけではない。必要な要件は電話で済ませることも多く……。ひとり住まいの私を妹は案じてはくれるが、今のところ、私の自由を束縛するような過剰なおせっかいは焼かない。どちらからともなく、数日に一度、電話しあう関係を保っている。
妹は、すでに後期展を見たというので、コーヒーを飲みながら話した後、私はひとりで、展示会場に入っていった。
会期中、もっとしばしば会場に足を運ぶことになるだろうと、初めは思っていたが、結局、今日は三度目にすぎない。後期展が始まってからは初めてである。
そう沢山の展示換えがなされているわけではなかった。
日本画で、尾形光琳の「柳に水鳥」、長沢蘆雪の「牧童図」、横山大観の「輝く日本」、橋本関雪の「木蘭」が新たに展示してあった。
(前期は橋本関雪の「琵琶行」、長谷川等伯の「烏鷺図」、酒井抱一の「隅田川焼窯場図」、加山又造の「円舞(鶴舞)」だったと思う。)
初回は学芸員のトークを聞きながら、一部の作品を見ただけだった。
したがって、後期展示の日本画を除く大方は、今回二度目ということである。
なかなか新たな発見の喜びに浸ることはできなかったが、ただ一点、彫刻「眠れるミューズⅡ」の前で足が止まり、この頭部、しかも顔の表情だけを単純化した彫刻のスタイルは、フィラデルフィア美術館展で観たような気がしたのだった。
改めて、作者を見ると、<コンスタンティン・ブランクーシ(1876~1957)>とある。「ブランクーシ? ブランクーシ?」と胸のうちで繰り返しながら、フィラデルフィア美術館展を見て、私が大いに気に入った彫刻「接吻」の作者が、ブランクーシではなかっただろうかと考えた。
最近は、初めて耳にした人の名前など、一度だけでは覚えられなくなってしまった。
帰りのバスの中でも、ブランクーシの名が、胸の底で揺れていた。
帰宅後すぐ、東京都立美術館で求めて帰った図録を開いてみた。
間違いなかった。
男女の愛を最も単純な形で謳歌した彫刻「接吻」の作者こそ、ブランクーシだったのだ。その美術展で、最も気に入った作品だったと言ってもいいかもしれない。
作品との出会いは不思議なものだ。
もし「接吻」から得た感動がなかったら、今日も、「眠れるミューズ」の前を前回同様、何の感動もなく通り過ぎていたかもしれない。
ブロンズと石灰石の違いはあっても、作品に底流する響きは共通しているのだ。
ブランクーシの作品を新たな目で見直されただけでも、今日、美術館を訪れた甲斐があった。
実は、身体の内部のことは、自分自身でも分かりにくいのだが、今日は身体が、<少し疲れ気味>の信号を発していたようだ。ブランクーシの辺りまではよかったのだが、第3章の<前衛の時代>を見て回っている頃から、体調に異変を感じ始めた。<(?_?)>といった感じだった。
会場で、意識が遠のくことにはならないだろうな、などと不安になった。ちょっと、椅子にかけて休んだ。頭部に重い疲れがあって、首筋を揉んでみたりした。
なんとか見終わったが、出口近くのブルジッド・ライリーの「朝の歌」を見ていると、意識がおかしくなりそうだった。慌てて、外に出た。
説明によると、「オプティカル・アート」と呼ばれる作風で、視覚のトリックを伴う絵画のようだ。私の頭脳が疲れていて、ますますそのトリックに幻惑されたらしい。
遅い昼食をとると、そそくさと帰宅した。
しかし、今はブログを書く気になったから、もう大丈夫だろう。
(添付写真は、グラントワの中庭。イルミネーションが夜は綺麗だろう。1月7日まで点灯されるとか。)
妹とは、グラントワのレストラン<ポニー>で会って、久しぶりに話した。
姉妹、同じ街に住んでいても、そう頻繁に会えるわけではない。必要な要件は電話で済ませることも多く……。ひとり住まいの私を妹は案じてはくれるが、今のところ、私の自由を束縛するような過剰なおせっかいは焼かない。どちらからともなく、数日に一度、電話しあう関係を保っている。
妹は、すでに後期展を見たというので、コーヒーを飲みながら話した後、私はひとりで、展示会場に入っていった。
会期中、もっとしばしば会場に足を運ぶことになるだろうと、初めは思っていたが、結局、今日は三度目にすぎない。後期展が始まってからは初めてである。
そう沢山の展示換えがなされているわけではなかった。
日本画で、尾形光琳の「柳に水鳥」、長沢蘆雪の「牧童図」、横山大観の「輝く日本」、橋本関雪の「木蘭」が新たに展示してあった。
(前期は橋本関雪の「琵琶行」、長谷川等伯の「烏鷺図」、酒井抱一の「隅田川焼窯場図」、加山又造の「円舞(鶴舞)」だったと思う。)
初回は学芸員のトークを聞きながら、一部の作品を見ただけだった。
したがって、後期展示の日本画を除く大方は、今回二度目ということである。
なかなか新たな発見の喜びに浸ることはできなかったが、ただ一点、彫刻「眠れるミューズⅡ」の前で足が止まり、この頭部、しかも顔の表情だけを単純化した彫刻のスタイルは、フィラデルフィア美術館展で観たような気がしたのだった。
改めて、作者を見ると、<コンスタンティン・ブランクーシ(1876~1957)>とある。「ブランクーシ? ブランクーシ?」と胸のうちで繰り返しながら、フィラデルフィア美術館展を見て、私が大いに気に入った彫刻「接吻」の作者が、ブランクーシではなかっただろうかと考えた。
最近は、初めて耳にした人の名前など、一度だけでは覚えられなくなってしまった。
帰りのバスの中でも、ブランクーシの名が、胸の底で揺れていた。
帰宅後すぐ、東京都立美術館で求めて帰った図録を開いてみた。
間違いなかった。
男女の愛を最も単純な形で謳歌した彫刻「接吻」の作者こそ、ブランクーシだったのだ。その美術展で、最も気に入った作品だったと言ってもいいかもしれない。
作品との出会いは不思議なものだ。
もし「接吻」から得た感動がなかったら、今日も、「眠れるミューズ」の前を前回同様、何の感動もなく通り過ぎていたかもしれない。
ブロンズと石灰石の違いはあっても、作品に底流する響きは共通しているのだ。
ブランクーシの作品を新たな目で見直されただけでも、今日、美術館を訪れた甲斐があった。
実は、身体の内部のことは、自分自身でも分かりにくいのだが、今日は身体が、<少し疲れ気味>の信号を発していたようだ。ブランクーシの辺りまではよかったのだが、第3章の<前衛の時代>を見て回っている頃から、体調に異変を感じ始めた。<(?_?)>といった感じだった。
会場で、意識が遠のくことにはならないだろうな、などと不安になった。ちょっと、椅子にかけて休んだ。頭部に重い疲れがあって、首筋を揉んでみたりした。
なんとか見終わったが、出口近くのブルジッド・ライリーの「朝の歌」を見ていると、意識がおかしくなりそうだった。慌てて、外に出た。
説明によると、「オプティカル・アート」と呼ばれる作風で、視覚のトリックを伴う絵画のようだ。私の頭脳が疲れていて、ますますそのトリックに幻惑されたらしい。
遅い昼食をとると、そそくさと帰宅した。
しかし、今はブログを書く気になったから、もう大丈夫だろう。
(添付写真は、グラントワの中庭。イルミネーションが夜は綺麗だろう。1月7日まで点灯されるとか。)