「萩本陣」に宿泊するついでに、近くの東光寺を歩いてこようということになった。
遠い昔、訪れたような気もしたが、それが東光寺であったか、大照院の方であったか、あるいは両方訪れているのか、記憶が曖昧である。
どちらも毛利氏の廟所のあるお寺だ。
東光寺の方は黄檗宗。大照院は臨済宗。
東光寺には、三代、五代、七代、九代、十一代と、奇数の藩主やその夫人のお墓があり、大照院の方には、初代についで偶数代の藩主が、祭られているという。
なぜそうなったのか、吾妻山へ向かうモノレールのガイドも、理由は知らないとのことだった。
どちらのお寺にも、重臣諸家の献上した灯篭が、五百、六百と多数並んでいる。これらの石灯篭の数の多さが、廟所の独特な雰囲気をかもし出している。
元禄のころからの墓所であり、周囲に聳える古木や古色蒼然とした灯篭に、刻印された時の流れを感じながら、初冬のお寺を友人と歩いた。訪れる人は私たちの他になく、静寂そのもの、むしろ荒涼とした趣であった。
今年最後の小さな旅に出かけた。
近くの温泉に一泊して、語り明かそうと……。
ホテルは友人が予約してくれ、「萩本陣」に出かけた。
萩は他県であっても距離的には近く、日帰りが十分可能なので、萩美術館などに出かけるときも、宿泊することはまずない。
が、今回はその近さゆえに、萩で宿泊すことになった。
「萩本陣」の名前は前々から聞き知っていた。
吾妻山の麓に近い高台にあって、風光明媚だと。
出発の20日はお天気に恵まれ、快適なドライブだった。
好天のせいか、かえって風景は霞んでいたけれど。
私は車の移動にしたがって、ただ移り変わる風景を眺め、友人との語らいを楽しんだ。
夕方、ホテルからモノレールに乗って、吾妻山(172メートル)の山頂に立った。
夕陽はすでに山の端に隠れ、海上の一部には雲が広がり始めていた。大体に、日中から霞んだような風景で、遠望はきかなかった。その条件は夕方になっても変らなかった。
が、日本海に浮かぶ島々や萩の城下町の家並みを眺めることはできた。
指月山は、見覚えのある姿を眼下に留めていた。(写真)
私たち二人のためにモノレールは運転され、かなり高齢の男性ガイドが、テキストどおりの説明をしてくれた。
こうしたささやかな旅の出来事が、過ぎ去ってみれば思い出として懐かしく蘇るのだろう。
一年を回顧すれば、友人との思い出は語りつくせないほどだが、若いときのように夜を徹して話したわけではない。温泉に浸り、夕食を共にして、時間を共有することで、十分満たされた気分であった。
ところが帰途、私はおかしな行動をとったようだ。
どうも半意識の状態で、友人と過ごしたらしいのだ。
自分では全く平常でいるつもりだったが、ホテルを出る前、コーヒーを飲んだところから記憶が曖昧になっている。
<今朝のコーヒーはちっとも頭をすっきりさせてくれない>と、私自身思ったし、ぼやいてもいたらしい。考えてみると、そのあと、売店に寄ったことも、ホテルを出たことも、とにかく家に帰りつくまでの自分の行動が思い出せないのだった。友人の言に寄れば、なんだかふわふわ歩いていたという。まるで夢遊病者のように。そして、 よほど夕べは眠れなくて、眠いのだろうと思ったという。
夜、旅のカバンを整理していて、薬ケースを点検したとき、朝飲んだはずの血圧の薬が残っていて、マイスリー(誘眠剤)がない。
「おやっ?」と思った。
<薬を間違えて飲んだらしい>と。
マイスリーは、一か月に七錠だけ、かかりつけの医院でもらっている。
十二時を過ぎても眠れないときや、精神が高揚気味で眠りが阻害されるときにだけ、飲むことにしている。しかも半錠だけ。
旅のときは、非日常な時間を過ごすので、とにかく飲んで休むことが多い。
前夜も半錠を飲んで寝た。薬を飲むと、最低四時間は安眠する。
ところが、薬ケースに、予備として一錠入れておいたのがいけなかった。
それを血圧の薬と間違えて飲んでしまったのだ。
夢遊病者のようになっても、不思議はない。
コーヒーを飲んでから帰宅するまで、友人と行を共にしながら、意識の欠落した部分がかなりあるのは、それによるものだったようだ。
売店に寄ったとき、記念の品を買おうと言ったのは私らしい。
友人があれこれ品定めをしてくれたようだ。それが私の記憶にはないのだから、帰宅後、テーブルに置かれた、おしゃれな小物の意味が分からなかった。
その夜、薬が混濁状態の原因だったと分かって一件落着、友人にも電話で知らせた。
友人も納得できた様子だった。私のすることを客観的に眺めていると、なかなか愉快だったとの話だが、私には皆目自分の取った行動が分からないのだから、怖い話である。
楽しい旅に、へまな想い出の付録までついてしまった。
薬害のことが大問題となっているが、薬は飲み方を誤ると本当に怖い。
近くの温泉に一泊して、語り明かそうと……。
ホテルは友人が予約してくれ、「萩本陣」に出かけた。
萩は他県であっても距離的には近く、日帰りが十分可能なので、萩美術館などに出かけるときも、宿泊することはまずない。
が、今回はその近さゆえに、萩で宿泊すことになった。
「萩本陣」の名前は前々から聞き知っていた。
吾妻山の麓に近い高台にあって、風光明媚だと。
出発の20日はお天気に恵まれ、快適なドライブだった。
好天のせいか、かえって風景は霞んでいたけれど。
私は車の移動にしたがって、ただ移り変わる風景を眺め、友人との語らいを楽しんだ。
夕方、ホテルからモノレールに乗って、吾妻山(172メートル)の山頂に立った。
夕陽はすでに山の端に隠れ、海上の一部には雲が広がり始めていた。大体に、日中から霞んだような風景で、遠望はきかなかった。その条件は夕方になっても変らなかった。
が、日本海に浮かぶ島々や萩の城下町の家並みを眺めることはできた。
指月山は、見覚えのある姿を眼下に留めていた。(写真)
私たち二人のためにモノレールは運転され、かなり高齢の男性ガイドが、テキストどおりの説明をしてくれた。
こうしたささやかな旅の出来事が、過ぎ去ってみれば思い出として懐かしく蘇るのだろう。
一年を回顧すれば、友人との思い出は語りつくせないほどだが、若いときのように夜を徹して話したわけではない。温泉に浸り、夕食を共にして、時間を共有することで、十分満たされた気分であった。
ところが帰途、私はおかしな行動をとったようだ。
どうも半意識の状態で、友人と過ごしたらしいのだ。
自分では全く平常でいるつもりだったが、ホテルを出る前、コーヒーを飲んだところから記憶が曖昧になっている。
<今朝のコーヒーはちっとも頭をすっきりさせてくれない>と、私自身思ったし、ぼやいてもいたらしい。考えてみると、そのあと、売店に寄ったことも、ホテルを出たことも、とにかく家に帰りつくまでの自分の行動が思い出せないのだった。友人の言に寄れば、なんだかふわふわ歩いていたという。まるで夢遊病者のように。そして、 よほど夕べは眠れなくて、眠いのだろうと思ったという。
夜、旅のカバンを整理していて、薬ケースを点検したとき、朝飲んだはずの血圧の薬が残っていて、マイスリー(誘眠剤)がない。
「おやっ?」と思った。
<薬を間違えて飲んだらしい>と。
マイスリーは、一か月に七錠だけ、かかりつけの医院でもらっている。
十二時を過ぎても眠れないときや、精神が高揚気味で眠りが阻害されるときにだけ、飲むことにしている。しかも半錠だけ。
旅のときは、非日常な時間を過ごすので、とにかく飲んで休むことが多い。
前夜も半錠を飲んで寝た。薬を飲むと、最低四時間は安眠する。
ところが、薬ケースに、予備として一錠入れておいたのがいけなかった。
それを血圧の薬と間違えて飲んでしまったのだ。
夢遊病者のようになっても、不思議はない。
コーヒーを飲んでから帰宅するまで、友人と行を共にしながら、意識の欠落した部分がかなりあるのは、それによるものだったようだ。
売店に寄ったとき、記念の品を買おうと言ったのは私らしい。
友人があれこれ品定めをしてくれたようだ。それが私の記憶にはないのだから、帰宅後、テーブルに置かれた、おしゃれな小物の意味が分からなかった。
その夜、薬が混濁状態の原因だったと分かって一件落着、友人にも電話で知らせた。
友人も納得できた様子だった。私のすることを客観的に眺めていると、なかなか愉快だったとの話だが、私には皆目自分の取った行動が分からないのだから、怖い話である。
楽しい旅に、へまな想い出の付録までついてしまった。
薬害のことが大問題となっているが、薬は飲み方を誤ると本当に怖い。