「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20130817

2013-08-17 | 矮小布団圧縮袋

○今晩は東京の神宮外苑花火大会でKinKi Kidsが来るそうだが、天候も開催も無事でありますように。今、あちこち祭り会場では安全対策・火災予防運動中のようで。
 こちらはそろそろ盆休み明けの仕事の準備をぼちぼち、という状態だが。福岡は猛暑日連続記録更新中です。さすがにきつい。
 キイロイトリ「マ、ドコモ アツイ デスワナ」(※新潟市内、柾谷小路をお散歩中)

本日のBGM:
 夢千代日記 (8/17 12:00~ チャンネル銀河 #1~5連続放送)
 音楽:武満徹 
挿入歌:昭和柔侠伝の唄 / あがた森男&緑魔子
     貝殻節 (鳥取県の民謡、浜村温泉 ※ドラマでは湯村温泉)
 自分がリアルタイムで観たのは1981年の2~3月頃の日曜の夜、寒い季節の新潟にいた時で、話も寒い季節の話なため、見ると条件反射的に寒くなる、音楽も寒い、ということでチャンネル銀河、納涼企画の一種ですかね。殺人容疑者と事件の真相を追うミステリーの中で、次第に各々の独特なキャラクターのそれぞれの過去の秘密が顕れ始め、そんな人々が肩を寄せ合いひっそりと生きていく生きざまが交錯する。そして今見ると、平成25年の現代社会でも未だ解決されていない問題(過疎化、高齢化、世代間断絶、地域暴力団、障碍者の就労、終末医療、原子力と内部被曝、少子化と養子斡旋、育児問題、etc.…)と無縁ではなく訴えかけてくるものがある。というより、子供の頃見たその30年後、成人した自分が大人になりきらないままに、まさか故郷から遥か離れた日本の最果ての地で、もしかすると子供の頃想像していた「はる屋」の人々などよりももっと不安定な心身の労働者にして家族とも離れた独居生活の身分となったまま、おそらくは人生の後半にさしかかりつつある不思議な感慨とともにこの番組の再放送を見ているなどとは、そんな自分の将来は、全く予想すらしていなかった。でも今現在、こうしてここに、自分がいたりするのであって。

 「あまちゃん」の北三陸のから騒ぎなコメディを見てると、宮城も岩手も太平洋岸だし「ま、所詮、表日本だよな」と思ってしまう(苦笑)が、問題の2011年の分はどんな展開になるのだろうか。「裏日本の冬」で育っている者には、突然の天災というよりは長年潜在的に元々存在する形容しがたい「ひけめ」や物怖じというか、運命的などんずまり感というのか、何かそういうものがこの山陰の町から伝わってくるような気がするのだが、「夢千代日記」の山陰の温泉町には(ところどころ、樹木希林さんのツッこむ笑いなんかもあるけれども)そういうしみじみとした地方の悲哀が漂っている。荒れる冬の海と武満徹の音楽。登場人物全員がそれぞれどこか「悲しく美しい」昭和の情緒を背負っていて、中でも吉永小百合さんの美しさが圧倒的で、代表作の一つだろう。思えばまだ日本の「表日本」が好景気を支えていたからこそ、「裏日本の悲哀」をまだ美しく受け止められる「昭和の文化の余裕」があったのかもしれない。あえて大企業の傘下に入ることを拒否するたばこや旅館の女将(加藤治子さん)の毅然とした矜持の美しさとか、この成熟した大人の陰翳の味わいは、今の成熟を拒否するアンチエイジングにして拝金グローバリズムだのなんだのの志向のテレビドラマ制作者には、とても作れないのではないか?

 今見ると、雀さん(大信田礼子さん)がカラオケ風に軍歌歌ったりする道具がカセットテープレコーダーだったり、ローラースケート履いてたり、喫茶店でもんた&ブラザーズのダンシングオールナイトが流れたりするのが、1981年頃の「現代」なんだなと気づく。外の世界から訪れた川崎署の林隆三の刑事の視点から、視聴者の我々も餘部鉄橋を越えて、この不思議な世界にだんだん入っていく。

 …偶然かもしれないのだが、どうも今年2013年の夏、音楽といいドラマといい映画といいあれこれと、接するものがやたら「1981年前後の頃へのタイムワープ」みたいなことが多い。なぜなのだろうか? (20130817)
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