〇3月下旬、仕事の準備で資料を取りに東京に行ったのだが、帰りに少し時間をとって

数年ぶりで根津駅から徒歩で向かうキイロイトリです。
坂本龍一展は予約が間に合わず、ビアズリー展は久留米に来るまで待つことにして、今回は

弥生美術館の「青池保子展 Contrail 航海のかがやき」これは入らずんばあらず
(※3月下旬:前期展示)

写真撮影可スペースにて。中高生の自分らの人生観なり人格形成に恐らく多大な影響を与えてしまったストーリーの、言わばもはや10代の頃の恩師(かつ必殺仕事人的にヒーローでアイドル)のような少佐と伯爵たちに再会。この絵柄を目にして一瞬にして、当時熟読していた自分の「脳」の感覚に引き戻され、そして彼らの年齢を自分が既に超えており、読んでいた子どもの自分がその頃全く想像だにしなかった仕事(任務)に生きる大人に数十年後の自分がなってしまっていた(いや、自分は、その子どもの頃に考えていた「大人」に、本当になりえているのだろうか?)、ということに気づいて、心底から愕然とする。この美しい原画の数々(結構その多くを、別冊LaLaやプリンセス誌面で見た)の前で、心躍るを通りこして、激しく揺さぶられる心の感覚は喩えようがない。(気楽に懐かしいなどとも言えないものだ。)
※まさか青池先生のご出身の下関よりも西の、全く縁もゆかりもなかった九州に、仕事で赴任して生活を長く続けるようになるなんて、これを読んでいた当時の(生まれも育ちも東日本の地方都市の)自分は考えもしなかった。その頃の「絵」に遭遇して脳内の当時の自分の感覚の部分が召喚され、数十年後の現在の自分の境遇に仰天しパニックを起こしているような衝撃度、といってもいいだろうか。

…なんてことはともかく、現金第一ジェイムズ君にも再会。(キイロイトリとカツオ人間は初対面)
長期連載のうち「初期」までしか読んでいないらしいので、久しぶりに始めから電子書籍で読み返し始めた。校内暴力とか散々心惑わされてもそれが非常に狭い日常の世界であり自分は自分だと考えて通り抜けて来られた時期、国際的に世界は広いことを教えてくれるこれらの作品に密かに心励まされたものだが、世界情勢も1980年前後とは随分変化した21世紀で、かつ変化している現在の自分の感覚から(当時理解できてなかった部分も含めて)どう読めるのか、試してみる。
(昭和末期なんで、今でいうとコンプラ的にはいろいろあるだろうが現代史的文献として)
改めて記憶がつながってくる。映画「鬼滅の刃 無限列車編」とか「裏切りのサーカス」とかを見た時に何となく感じた「既視感」=そう言えばどっかでこういう話や絵の構図を見たような…と思った原因は、どうやら「エロイカより愛をこめて」や「Z」だったようだ。
(顔が映らなかったカーラを、仔熊のミーシャみたいな奴?と無意識的に脳裏で想像していた…とハレルヤ・エクスプレスで思い出す)

BGM:ロマンティック・アゲイン / 水木一郎
(「エロイカより愛をこめて オリジナルサウンドトラック」COLUMBIA CX-7047)
君に会うまで忘れていたよ、とは御意。エロイカのオーディオミニドラマとイメージソング入りLPは話題で知っていたが当時の中高生には高くて買えなかった。野沢那智氏・中田浩二氏・森山周一郎氏の洋画吹替的な豪華さと、なぜか水木アニキの歌唱にしてザ・チャープスのchorus(といえば「できるかな」)と、前田憲男&大野雄二の80年代前半的City Popがふんだんに、という貴重な仕様でもある(20250405)