「ゆわさる別室 」の別室

日々BGMな音楽付き見聞録(現在たれぱんだとキイロイトリ暴走中)~sulphurous monkeys~

20070530

2007-05-30 | 矮小布団圧縮袋

○なんか火曜夜に出奔して不在にしている間にまた夕方校正原稿が一つ増えていて、水曜はそのチェックと夜まで続いた会議が終わらず午後、途中でかなり貧血を起こして作業場の長椅子の上で横になってしばらく休んでいた。そんな頃、携帯メールが来たので開けてみると、とんでもない人から来ていた(大笑)なんですかこれは。言うなれば今週のオリスタHPサイトの堂本光一先生も輝いておられる「王子様といったらあの人」ランキングでも最老齢くらいの(爆)←断っとくがこーゆーのに投票した事もないしする暇もない(笑)まあ数日前TOKYO FMのサイトを見ていて(ほんとかよ?)と思いつつ冗談につきあってみるかと思って酔狂に登録してみたそのメールだった。テンションを喩えて言えば「昭和初期じゃなくて戦後の雑誌『宝石』とかの方の江戸川乱歩」みたいな勢いですかね(喩え自体がわかんねーよw)どうしたんですかおとうさん。それこそLFのようなものをTOKYO FMで企画した、みたいなもののようですが。しかしどう見ても20代以下の読者を想定した感じの文体ですな(爆)職業柄、文章を読むと無意識に使用語彙や語彙頻度数で書き手を考えてしまい(ってそもそもワシのようないい老人が購読すること自体が間違っとるのに違いない^^;;)とりあえず貧血状態がさらにくらくらしてこっちも痛い目みました(笑)どうもL’Arcがらみで昨秋から朝帰りな展開の破目になっていないだろうか。いいのかこんなことで。不良中高校生かワシゃ。それで水曜夜はどんなもんやとschool of LOCKを聴いた後、BS2のWednesday j-popと正直しんどいをタイマー録画にして寝たというかそこで意識を失ったに近い。ふと起きて、What’s in?のサイトのトップページを開けたら、右上の広告の所が何回かに1回sankaku大狙撃炸裂(爆)の広告(→NARAキャンペーン入口のやつ)になっていて、増殖中というよりは開拓者に殲滅された北米大陸バッファローの群れのごとくぼこぼことsankakuが撃たれ粉砕されまくっているんだが(爆)。背景の藍が綺麗だな…と思いつつまたサイトを見る。それにしてもこのインタビューはbarksといいsonyといいNHKといい服が全部一緒のようだが一度に何本録ってるんだ?という素朴な疑問も。ユルすぎておもろいからべつにいい。ちなみにオリスタのランキング、王子かどうかは例えば実際に話をしてみたらどうだろうと考えてみて、及川ミッチーあたりなら何かそうかもしんない気もするが、他の人は定義的に何かちょっと違うような…というのはあくまでもメディアなどで感じる拙者個人の感覚であるにすぎない。 (20070530)
コメント

20070529

2007-05-30 | 矮小布団圧縮袋

○家出する。昨夜突然思い立って着替えをまとめた。上司には「風邪気味で(それは嘘ではなく事実)今日は残業しないで定時に帰ります」と言って夕方会社を出、タワレコとスーパーに寄って帰宅し、PCと来週のプレゼンテーション用原稿と書類とラジオとMP3と携帯も鞄に入れて出た。
 なに、博多から特急で40分、普通なら通勤圏である。こっから会社に毎日通ってたっておかしかない。
 かもめの車内ではさっそく入れてきたBGMを聴く。テレビで見た時よくわからなくて聴きたかったCD音源だと、実はこの横から旋回急下降してくるイントロのギターの回転きゅるるるきゅるるるがよく聴こえておもろいのだ。vocal-less versionでさらにリズム隊の具合を味わう。C/Wのカウントも恒例「ぎょ」の人だが毎度笑うしかない。オイパンかよ(爆)合わせてサッカーのスタジアム応援合戦みたいな勢い。
 今日は祭りに参加すべく佐賀市内に泊まる。ネットでラジオを聴く方法もあるようだが、ちょっと準備ができず斯様な事と相成り申した。もう(今の自分は全然呑まなくなったのでありえないが)中洲で呑まされて酔いつぶれて外泊したのと同じようなもんだ、ってことにしとこう。なんか息がつまりそうで、どっか違うところへ、行きたかっただけかも。
 このくそ忙しい時に、拙者阿呆で御座候。実に阿呆だと思う。しかしこんな阿呆なことも生きてるうちでないとできない。

 とりあえず原稿の直しの続きを机の上でしながら、外泊時は例によってラジオ遠距離受信状況確認。意外とQRがよく入る。そういえば佐賀市内は有明海側ってことは太平洋側だからか。でもニッポン放送もCBCもだめぽい。室内だからだろうか。外に出るといいのかもしれないが、今日はやめておく。
 ちなみにペーパークラフトはkenちゃんだった。これは拡大して型紙作ってフェルトにチャコペンで写してぬいぐるみ作れってことか?(←いや、そんな事は別に求められてない><…) ゆらゆら。
 つーわけでFM佐賀でラジアンリミテッドを何年ぶりかで聴きながら引き続き作業中。病気だな。(20070529)

 うわ。いきなりF1グランプリ風にだじゃれかよ!
 しかもむちゃくちゃはずかしいというかすさまじいことになってるよ。はらいてー(>▽<)(20070530 1;36a.m.)


コメント (2)

20070528

2007-05-28 | 矮小布団圧縮袋

○…随分な訃報の連続。仕事の昼休みにPCで見てラジオのテレビ音声をつけて聴き、夕方また聴く。
 結局のところ、我々は「何になるか」ではなく「何をし続けるか」でしか生きられない、という気がしてきた。
 生きている間、死ぬその瞬間まで何をし続けるか。生きている間にできることはそれくらいしかない。
 してみると所詮生きている短い間の狭い了見での勝ちだの負けだのというのは何ともくだらない。
 そして多くの人々がその声を記憶しているようなアーティストが逝去する時、作品はどう残るのか。
 それこそ歴史を侮ることはできないようである。
 
 ニュースも憂鬱なのでM-onのcountdownに回したら22時頃ちょうどbrand new songが今週20位で流れていた。どんなもんやもなんとなく始まった。すごく普通に。小さな命の死が意思かどうかなんてあやふやで極めて怪しい。飛んできた羽虫が私の手に潰されたのが殺されたのか事故だったのか、みたいな。
 ふと思った。例えば自分が突然今日死んだら、明日のどんなもんやは聞けないわけだし、例えば明日買おうかなと思っていたCDも買えないかもしれないわけだ。でも絶対そうならないなんて、誰にも保証できないし、例えば明日死んだら今日のどんなもんやが聞き納めだったなんて前もって予想できるだろうか?
 ましてや、同じ時間を生きて同じ会場でライブを味わえたり、同じ時代で媒体でもってその歌の生き様をリアルタイムで共有できるということは、人類の歴史上から見たら非常に幸運というか奇跡に近いことなのだろう。例えばなくなった編成のグループや世を去ったアーティストのライブはもう二度と、どんなに逆立ちしたって実際に体験することはできないし。
 何をするかといってもそう大それたことではない。せめて一日一日、何かをしようと思ってやりながらそうして生きているというそのささやかな一つ一つの感覚が、大切なことなのかもしれない。そんな「無常観」のようなものが、漂っている。

 ちなみに、昨日寝る前に読んでた
 加地慶子『書き続けて死ねばいいんです―駒田信二の遺した言葉―』(新潮社、1998.11.)
コメント

20070527

2007-05-27 | 矮小布団圧縮袋

○伊藤悟氏ブログは以前からその名は聞いていたが昨日初めて読んだ(作業中の休憩の息抜きにBGMのMTVに関して洋楽邦楽関係のサイトを廻ったりするその時にふと。なぜ個人の関連ブログを広く廻らないでいたかというと、自分がKinKiに関して見るサイトは比較的老舗が多いからかもしれない)←遅すぎ。昨年からよく大型掲示板等で言われる不穏な話や風評は、まあネットの上だけの事なのかもしれんがそういう事だったのかということがわかってきた。また比較的「J’sファン」という種類と一線を画した系の音楽ファンがどのように出発しどのように享受して楽しんでいるのかという点でも、スタンスとしては自分もさほど遠くはなく、興味深いところがある。ただ情報に接近しているうちに、10年もたってくると、さまざまな「しきたり」の空気のようなものを、否応無く見てとってしまっており、ファンサイト掲示板参加から始まっていつのまにか変なblogエントリーになっていた自分の場合も、そういう物事の観察の中で「危険だな」と思われることを社会勉強してきたのは事実だ。彼曰く所謂一部狂信的ファン(を名乗る人々)の襲来による炎上を契機にblog.oricon.co.jpを閉じるとの旨のようだが、それ以上に、総じて読んでいて個人的感想としてはCDの発売仕様とかチャート集計方法の問題とかの方が実は客観的に面白く「…他の会社のブログならともかく、よくblog.oricon.co.jpに今まで書いてこれたよなあ」的な(ちょっと日経エンタでも書かないんじゃないか?サイゾーあたりなら「あたりまえ」かもしれんが)問題提起が多いのだった。この人は単純に好きなだけで(大人の人でKinKiを聴いている人なら、子供じゃないからこのくらいの多少の業界的違和感は常識として理解しているだろうが、そんなもんだろ業界って、と面倒くさくて一々言わない、もしくはファンだから言っちゃいけないのよ的に遠慮しているだけかもしれないところを、)好きだから、やはりその一々言わないのが結果として事態に悪影響を及ぼしている、と思って、言わなきゃ、という果敢なところが若いのか。でも本当はそっちの方がずっとヤバかったりしてね(笑)そのどこかに何かにとって非常に不都合な発言があって、その封殺の原因を今回の炎上をもたらした馬鹿なファン(を名乗る人々)のせいにできれば一石二鳥か三鳥、本質的な問題から人々を遠ざけられて都合がいい、と思うような偉い人もいるかもしれないぞ、と思ったり。しかしそれらも限度を過ぎるといずれは廻りまわってその歌手やタレント自身をあるいはそれらを使役するお偉方たちをも蝕み損なうことになるだろう。「言えない」のは当のアーチストだけではなく実は享受者も、だったりするのだよつよしくん。ワシらはその矛盾や難儀も含めて「しょーがねーなー」と思いつつ愛していても、その愛を分かち合いたくても、そのどこを「愛してるよ」ってことを、素直に叫べないわけですよ(笑)それってどう思いますか。それも限度を過ぎるとどうか、愛そのものの道のりが厳しくなりゃせんかと。苦渋に満ちた人生で人間の心を慰め少しでも支えるはずのentertainmentにおいてなぜそんな不自由や苦痛が生じるんでしょうかなあ。本当に「好きになり方」は(それで他人に危害を加えるのはいけませんが、でなければ)人それぞれで、いいはずじゃないですか。それを自由に語れないことは、別に独裁国家に限らず日本国内であろうと素直にやるせない。もちろん今の社会状況、投げうる言論が全く自由だなんて全然信じておりませぬし、blogだから全部思った事をいえるなどとも思っていない(小生だって、本当に思ったことは自分の手元のノートには書くが人には見せん)。表現されたものがそれほどに「人の心に引っ掻き傷を残す」ようなものだから問題となって議論を呼ぶのか、それとも、食うや食わずの生活を送る者にとってはさほど生命の維持に関係もなく問題にすることもないものが(別のもっと重要な問題から目をそむけさせるために)わざわざ煽られているのか。それもわからない。ただ、一ブログがお休みになろうが、世の言論とは止められないものであり、一般の人々の心に不自然な違和感が伴うのなら、むしろそれらは深いところでひっかかり続けるだろう。一度言葉となって発せられたものの欠片がどう波及し影響するかは、いずれ歴史が証明するであろう。それは少数の限られた人々の短絡的短期的な支配的思惑などでどうこうできるものではない。これは普遍的にあらゆる物事で共通することではなかろうか。基本的にワシらとしては素直に佳曲と感じればそれを愛し、performanceを愛し続けるしかないのだが、それについて思考することは止められない。(20070527)
コメント

20070526

2007-05-26 | 矮小布団圧縮袋

○会議の後また熱っぽいので夕方PCでキューン兄弟の18日放送分オンデマンド配信を見て(…50年後、こんな感じでほごほごむにむにとおじいちゃんがしゃべっている…ような幻覚を一瞬予視した気がした…今目の前に走ったvisionは何なんだ…)、まあ気合も入れ直したところで帰り、家に着いたら、Mステでmy chemical romanceが歌っていた。3月4月頃はあんまりMTVで縦ノリの「きゃ~り~お~ん」というのが毎日流れるもんだから何か耳で覚えてしまっていたところがある。慣れとはこわいものというかやっぱり頻繁に流れるってのが一番強いんじゃないかと。でなぜか脇でイノッチの人が踊っている(この男なんだかノリノリである)。それにしても音楽チャンネルをケーブルで見る一方で、ニュースで報道されるのが毎日、陰惨な事件や異様な国会法案可決劇とかミサイル攻撃情報とか記者会見とか、ときたま方向性の見え透いたような芸能ニュースでさえ、それも連日どんどん気持ち悪くなっていくものが続くのはなぜだろう。2005年頃の自分はニュースや地上波を見て、他に切り替えられる逃避先のチャンネルも無く、だからといってライブに頻繁に行けもせず、酷く鬱症状に陥ったものだ。しかし今だってMTVなんかを気晴らしにしてごまかしているだけで充分鬱であるのか。我々はそんなささやかな娯楽で騙されながら、そんなのを見ている間に、所詮気づこうが気づくまいが勝手に搾取されて生存をおびやかされているのかもしれない。ともかく一旦仮眠をとってからCBCのどんなもんやを聴きつつMusic Japanと音楽戦士をながら見する…といったところで、ここ連日の突貫工事と睡眠不足の頭に「一服」注入した感じになって、また仕事に戻らないと。そろそろちょっと寝て、明朝も早いし、ってもう2時半だが…(20070525-0526)
コメント

20070524

2007-05-24 | 矮小布団圧縮袋

○おなじみ箭内先生が朝のWS芸能のそれ系で来るとは意外でしたね(爆)←めざましTVその他。昨夜録画分の正直しんどいでデジカメ連写のキングコングの人を見て思い出した。音楽戦士も見たいと思うがいつもタモリ倶楽部と重なったりするし意外と福岡の局の金曜夜はいろんな番組が混んでていつも心配なのさ(^^;;)。(20070524)
コメント

20070522

2007-05-22 | 矮小布団圧縮袋

○ちょっとしたサプライズ:(1)昨日からアブリルラヴィーンがエスカレートしているつよし(どんなもんやQR)いつのまにかだんだん話が…でも「アブリルラヴィーンて、だれ?」て(><)。わろた。(2)連日深夜残業の休憩中にふと送ったリクエストPVが突然テレビで流れた。恐悦至極に存ずるが、拙者どんなもんやでハガキが読まれた時の如く内心焦り申した。平に々々m(__)m。(20070522)
コメント

20070521

2007-05-21 | 矮小布団圧縮袋

○ENDLI☆TV(TNC、5月20日深夜)ようやくオンエアとなる。桜の頃のお台場も懐かしく思い出す映像である。堂本剛という人のvocalの求めるものが、今現在の状況においてはこういう形であった方が従来の形よりもずっと発揮できる、ということは、この番組で改めてわかった。そしてそれをテレビを見ている一般の人に伝えるための番組なんだな、ということも、おぼろげにわかった。全体の感想としては、「…深夜の番組だな」。3月末に見に行った自分としては、もうインタビューやトークの説明はもういいから、演奏だけぶっ続けがいい。なぜか。色々な人のコメントを言葉で言われて説明されると、そりゃテレビ番組としては宣伝になるし、行けない人にも様子を広めるために必要だろう。が、その一方で、見聞きする方はいろんなことを余計に考えてしまうからだ。この「愛」の類は、もちろんENDLICHERIとそれを味わい合いたい時は、タンクにいかなければ感じられない。だがその「何かが降りてくる」ような感覚というのは、ライブハウスに行ってそこで「何かを感じる」時に共通のものだ。人によってはENDLICHERIでない他の音楽のライブで、あるいはPrinceでとか、あるいはPat Methenyでとか、または知名度の低いパンクバンドの狭い箱でのとか、といった風な時に感じる人もいるかもしれない。自分はこういう「感じ方」は、中学高校頃の軽音楽部の頃から、コンサートでプロの演奏を聴くとさすがに違うなと思い、普通にそういうものだと思っていた。怖いけど嵌る。Rockにせよfunkにせよバンドをやっている人は、強制されたお仕事ではなく、納得するものを作り続ける以上、その本質を当然感得しているべきものではないのか。だから逆算して、芸歴の決して短くないはずの堂本剛という人が、なぜこうまでしないとその感覚のパフォーマンスの発信者側のあり方にたどりつけなかったというのか、その阻害とは何かということを、視聴者としては相手に説かれれば説かれる程に極めて逆説的にではあるが、やはり巡り巡って考えてしまうのである。普通バンドは無名の時から苦労して、どさ回りで場数を踏みつつもその「愛」で結束し波濤を乗り越えて継続し徐々に音楽の理解者を得て知名度を得る、といったところだろうが、既に知名度の高いフロントマンにマニアックなバックバンドが集まってる的な世間のイメージから出発しなければいけないような彼の病というか悲劇のようなものも感じる。彼が「何に立ち向かわなければいけないのか」その「何」をどうしてはっきり言えないんだ?皆も暗黙の了解みたいになぜ口を閉ざす?(※本当にいつもそこが生理的に気持ちが悪い)それって何だ?「その悲劇は逆に、ある種非常に恵まれた人間の窮屈さや我儘から出発していたりしないのか」というような貧乏人の僻みや謗りのようなものは、時間が解決するかはっきり決着するかでもなければ、これからも続くのだろうな、などという気持ちも、おぼろげながら、する。だから言うような「愛」なんかでそう簡単に埋まるような浅い「絶望」とは思えない。小林さんや鳥越さんがどんなに語ってくれようが、毎夜毎夜タンクの観客がいかに陶酔しようが、根本的な絶望感は、そう簡単に救われることはないだろう。じみへんであってもそうであったかもしれないように。しかし救いようがないことこそが内容として本当だと思うし、そういう音でなければふと立ち止まって耳を傾ける瞬間もあるまい。ともかくオンエアが東京より1ヶ月半も遅れ、奇しくもmirrorDVD発売宣伝中みたいな時期にがちんこしている時期に、こんなのを見て「ソロで鍛えたものをKinKiに持ち帰って生かす」などという言葉を思い出すと「うーん」とか思ってしまう。本当の意味で考えたらそんなことは切り立った崖を攀じ登るように生易しいことではないし、そんなことをのたまうにはお前ら10年早くないか。まだ若い。いっぱいいっぱいじゃないか。そんな器用な事を優等生的にこなせるなどと言うだけでいても、大人ってやーね、的に逆に不誠実な感じにならないか。などと考えさせられるような番組であった。「終わらない旅に出ちゃったのかなあ」(吉田建氏談)というのを聞いて、また改めて思う。宇宙と一体となれるなどと希求することは、すればするほど同時にそれは、いかに持て囃されようと、なんと果てしなく孤独なことであろうかと。…日々毒々な音楽を嗜む一視聴者の感想ですからご放念下さい。(20070520)
コメント

20070519

2007-05-19 | 矮小布団圧縮袋

○…ムーディー勝山がエンタの神様に出ている。破壊力とアホアホしさで言えば10年前の作曲ズドーン!×3の特につよしが風邪気味で朦朧としていてやけくその時のやつの方がヤバイと思う。というか、既に連載wink upもduetも買ってないので別にツッコむ気も無いが、今もキンキラでおたより祭り中だ。ラジオの場合、現在と比べて、明らかに当時の構成作家の方が調子こいて熱く武者震っていたのではなかろうか。まあ30目前ったって、10代20代の年少者ばかり意識して良識ぶって老け込むにはまだ早い。むしろターゲットは同世代以上じゃなかったのか君たちは。それになにより40前後になろうが充分ヤバいおじさん(大笑)は、たくさんいる。ということが、MTVを真夜中の突貫工事中に眠気覚ましにぶっ続けで流していると、わかる。(20070519)
コメント

20070517

2007-05-17 | 矮小布団圧縮袋

○(\_\)←こういう顔文字ってあるのか(笑)=※LF。夜帰ってきてテレビをつけると凶悪で異常な強盗や殺傷事件ばかり流れているが、そういう非常事態で人の生き死にがかかってる世の中の騒ぎにかこつけて知らん顔して勝手にぼこぼこ妙な法律大量に可決してんじゃねえよ国会。虚妄な言葉と無神経な人相の百貨店と緊急事件映像とが国家的にあざとく良い対比を為しとる。ひどいものだ。憤懣。ちなみにそういう感じでテレビのスイッチを入れっぱなしにしてしばらくおいておくと、遭遇しない時には全く遭遇しないテレビCMに結構何度も遭遇したりする。昨夜のKBCの正直しんどいの後ろに、今週えらく頻繁に流れるmirrorDVDのCMとトヨタアイシスCMとスバルレガシーCMとリンキンパークCMがぶっ続けで録れてしまって意外と壮観。(ちなみにhttp://www.subaru.jp/legacy/legacy_sp/でやってるよん。 20070517)

コメント