大阪ストリートライヴが見たさに先に通常盤から見て、聴いております。かっこいいでしょ?Saturday(^^)。これを名古屋で見て(うー、いいなぁ…)と忘れられなかったのです。まずここからして、嬉しい企画ですね。
…「Live盤」を最初に買ったのって何だったろう?「Wings Over America」かな?例えば今、目の前の棚に並んでるやつ(ちなみにDepeche Mode「101」)にせよ、JBにせよ、じみへんにせよ、自分が買う、特に古い「Live盤」は、基本的に「歴史の追体験」であり、自分がその当日居合わせることのできなかった《過去》のある日のステージ=「歴史」を、音から測り知るためのものであった。この○十年間のレコード&CD購買歴の中では、classicでもrockでもjazzでもそういう種類のLive盤の方が圧倒的に多い。
しかし、だ。大人になって、コンサートに出かけることができるようになってから、「Live盤」というものの意義は変わってきた。「自分も居合わせて、体験した時空」の音だ、という、アーティストに対するリアルタイムの感覚が伴い始める。そして、(音質的にはスタジオ録音よりもずっと粗そうな)「Live盤」の音への偏執や切望が生まれる。
この「[si:]~First Line~」も、早速観ながら聴きながら音をデッキに録って自家製Live音源盤を作っている。もちろん仕事中の作業中にBGMにするためだ。いや、仕事中、というより、(早速会社で味わってみて思うが)これは作業で一息ついてか一日の仕事を終えてかでコーヒーを入れる時のが、いい。同様に会社に持ってきている何故かドイツ製の輸入盤Charlie Parker3枚組と一緒で。
Live盤の、この音。この声が、欲しかったのである。Liveから帰ってきて幸せな気分で繰り返しアルバム音源のスタジオ録音のつよしの声を聴き返しながら、(ああ、この声もつよしなんだけど、あの声がもいちど聴きたい!ライヴのつよしのあの声なんだよ、一杯に轟いてアリーナを震撼とさせたのは!)という渇望感を熱帯夜に覚えた人は少なくないと思うのだ。あの夜はもう絶対、二度と戻ることはない。そう思うだけで、じりじりする。そういうバンドのLiveだったのである。だが、その記憶のよすがが一かけら、手に入った。ありがたいDVDである。
そして思い出す。このLiveは「自分の知らない過去」じゃなくて、その時空をリアルタイムで体験できたのだ。幸運なことに。私もここで揺れた。この音で耳を密封して目を閉じると、2004年の夏がそこに在る。それを感じる。
1996年頃、次第にKinKi Kidsという存在が気になり始めていた私は、正直言って非常に自分を強く恥じたものである。よい年齢をした人間が、遥かに歳の離れた10代の少年などに何故、血道を上げているのか。そんな自分の気持ちに戸惑いつつもついついテレビを見てしまう、という状態だった。そんなものに夢中な態度は、大の大人が恥ずかしげも無く露わにしてはいけない、と思うスタンスは、現在も基本的には変わっていない。離れ住む家族の視線も当然そうした白眼視、というよりこの数年程は呆れ返って閉口・苦笑したままビデオのダビング依頼に応じてくれるといった状態だし、私は今でも、自分の日常生活における身分と趣味とを直接リンクさせることも、自分がnet上で漏らしているこのような所感を周囲の知人に語ることも、一切、できずにいる。自分が「隠れヲタ」なる所以である。
だが、この[si:]Live DVDを観て、「リュウグウノツカイ」「誰かさん」と次第に進む展開の中で、別の静かな感慨が、じわじわと沁みてきた。
このメンバーの表情を見よ。この、それこそいい歳のお兄さんお姉さん(?)の、楽しそうな(!)表情を。
自分は完全に、(つよしさんの世代では明らかになく)このメンバーの人々の世代である。もう「KinKi Kidsの人=恋人にしたいアイドル」とか「結婚したい理想の男性」とか言ってる場合じゃないし、そんな気もはなから無い歳である。でも。
いいじゃないか。堂本剛という人と、我々は一緒に、こんなに暴れられるのだ。これが音楽であり、entertainmentってやつじゃないか。もっと普遍的な意味で、我々は、「若い奴等」を教え育てている気分を味わいながら、彼らに教えられ学んでいるのだ。山下達郎氏や吉田拓郎氏の言っていたこと、オリスタの市川氏のコメントすること、燃えるソロを繰り出すセンセイやシュージさんやシモガミさんやリンコさんたちの迫力を見るにつけ感じてきたこと、それらはすべて、そういうことだったのではないか。
よい年齢をした大人がその気にさせられ(笑)、若い者と「一緒に暴れる」ことには、発見がある。気は心、である。どこまで暴れられるか、行ってみたい。まだちょっと恥ずかしいから、多分当面も隠れヲタで行くが^^;;自分もそういうスタンスで行けばいいのではないか。このLive DVDを観ていると、そういう前向きな気分になれることも思い出すのであった。
ちなみに初回盤の「10000ボルト」並みにキャラ化された人々のイラスト、強烈なのもありますが(笑)、私がメンバーなら生顔写真出されるよりはここまで作ってもらった方が楽しく感じますね(※社報でも顔写真載せたくなくて、ぬいぐるみで代用させたい方の自分・爆)。こうなったらハカイダーとキカイダーのフィギュア材料を買ってきて合成してセンセイを作って遊ぶとか(笑)。「受信するぞ!!」(ええっ!?)
何より「楽しい!」Liveだった。もちろんOrangeや、絶唱のPINK~Devilでじーんともしたけれど。
もちろんフォトブックレットといい、「血道を上げる」方も満載な映像で、「この“つよし・25歳の夏”を、よー撮ってくださった、カメラさんぐっじょぶ!!」なのである(←※なんだ、結局やっぱし血道上げてんじゃん・爆^^;;)。この際8~9年前の「金田一少年」しか知らない人にも「こぉんな男になりましたよ♪」的に「ココロノブラインド」を見せたい気分である←そして人に見せながら心ひそかに、ここに至るまでの「長い苦闘の物語」を想起しつつ「巨大ウナギならぬ堂本剛隊長の歴史的瞬間」にリアルタイムで「チャンネルはそのまま」で立ち会ってこられたことをかみしめようではないか同志よ(笑)。
通常盤でいうと、案外「ビーフシチュー」の間奏の時のふとした表情とか、「海を渡って」の「ぱっ」とした表情の晴れ方、そして「Devil」の一瞬だが、つよしの背後からカメラがその前方のアリーナ全体の空間を映し出す画面、そしてそれを「きっ」と見据えるつよしの画面が入るのが、何か、良い。
彼が、まっすぐ観客を見ている。
1998年、1999年、2000年のKinKiの夏コンの頃、フィルムコンの頃、Rossoの頃、年々の冬コンの頃…続けて観てきたLiveが脳裏を過ぎていく…そしてここに立っている2004年夏のつよしが、ついに得たperformanceがこれだ、と思う。幼少の頃からデビューしているくせに、決して早熟な人ではないと思われる、その25歳(そしてついに26歳)の人の、極めて幸運にして困難にして因果にして稀有なる軌跡に思いを馳せると、また別の感動があるのではなかろうか。
ふっと静けさに戻って、menu画像のBGMの環境音楽的「音」も、海底に潜むmusic dragonの巣穴…な感じでgoodだったりもします。