そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

今日は三船殉難の日である、官僚の失態が引き起こした事件である

2022-08-24 | 戦争

77年前の今日は、留萌沖で日本人がソ連によって1700名以上が犠牲になった日である。1945年(昭和20年)8月22日、北海道留萌沖の海上で樺太からの疎開者を主体とする日本の緊急疎開船3隻(小笠原丸、第二号新興丸、泰東丸)がソ連軍の潜水艦(L-12号・L-19号)からの攻撃を受け、小笠原丸と泰東丸が沈没して1,708名以上が犠牲となった事件を指す。【Wikipedia三船殉難事件参照】
2018年に【この潜水艦は長い間国籍不明とされていたが、一九九二年、拓殖大学の秦郁彦教授の調査で、ソ連国防省戦史研究所からの回答で、ソ連太平洋艦隊の潜水艦による攻撃であったことが確認された。攻撃を行った潜水艦は、ウラジオストクのソ連太平洋艦隊所属のL一二ならびにL一九であると承知している。逢坂誠二の  「留萌沖三船殉難事件」に関する質問主意書】
73年を経てようやくソ連の潜水艦であることが判明したのである。
本ブログでは、幾度かにわたりこの事件を日本官僚の不手際の一つとして取り上げている。日本では、終戦後7日目の事件というのである。民間人への攻撃は違法であるが、ソ連にとっては未だ戦時中なのである。
ソ連とは不可侵条約の下、戦闘状態ではなかった。当然ポツダム宣言にソ連の名前はない。8月15日は日本がポツダム宣言を受諾したたことを、翌日の正午に国民に知らせた日である。
8月9日に宣戦布告しているが、日本はソ連に直接敗戦の通告はしていない。第三国には通知しているが、狡猾なスターリンにとっては蹴飛ばすだけである。多くの国は、ミズリー号調印の日の9月2日を「対日勝戦記念日」としDdayとし、第二次世界大戦終了の日としているが、ソ連は翌日調印している。 スターリンの終戦は9月3日である。
日本の官僚はソ連に敗戦通告を怠ったことで、千島列島全てと樺太の南半分を失い、満州では容赦ない民間人への殺戮が行われ、多くの幼い日本人孤児を満州に残した。シベリア抑留の非人道的な行為もズルズルと行われ、日本政府花の手も打つことがなかった。
そして、極めて非人道的な留萌沖の三船殉難事件という事件までが起きた。ソ連は長年自国の関与を否定していたが、崩壊後にロシアがやっと認めた形である。そして官僚の失態が指摘されかねないこのような事件は報道されることもなく、被害者も浮かばれないというものである。留萌の丘にはひっそりと殉難の碑が建つが、生存者もほとんどいなくなり、非業の死を遂げた殉難者はいよいよ浮かばれなくなる。今日は三船殉難の日であることを心に留め置きたい。
コメント (1)
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