
コメは高騰などしていない。30年前の価格の戻ったに過ぎない。(上図参照)仕入れ価格に利益を上乗せした備蓄米を、いくら大量に吐き出してもコメ価格に大きな変動があるわけではない。国が儲かるだけである。
小泉進次郎農林水産大臣が就任早々活動し、「備蓄米を5キログラム2000円で無制限に放出するのだ」と、威勢のいいことを述べている。日本の備蓄米の思想も現状も知らないばかりか、経済原則すら知らない無知の発言である。
日本農政は主食であるコメをいいだけいたぶってきたが、備蓄米と言ってもせいぜい3カ月程度分しかない。小泉進次郎が言うように無限にはないし、2000円で放出しても、市場価格を下げられたら4000円でもやっと黒字の農家を圧迫するだけである。通常の国家は穀物の備蓄は年単位の量をするものである。
多くの国が取り組んでいる価格補償やデカップリング(市場価格と生産費を連動させない)を導入したこなかった日本農政の大きな過ちが、ここに噴出してきているのである。農家に市場価格を押し付け、負担させてきたことが担い手の減少なり、大型化による農薬漬けのコメを積極的に作らせてきたのである。
2,3次産業と肩を並べる経済成長を見込んだ1961年の農業基本法に始まる、食料を価格と生産量で仕切ってきたことこそ大きな問題である。そしてその10年後の1971年に始まる減反政策は、農政の迷走の象徴である。世界的に類例のない減反政策、食料を作らなければ金を出すという、政策こそ農民の心を廃らせたといえる。
100年の計どころか、2年ほどの計の行き当たりばったりであるが、結局自民党農政が進めた農業生産を放棄する政策だけは、粛々と進められてきた格好である。あるいは、自動車などの工業製品の輸出奨励の人身御供として農業を差し出し、位置付けてきたからに他ならない。
小泉も石破茂も、問題を流通に限定した、誰かが”ビチク”しているに違いないという悪人探しの見込み対策では、一時の多少の価格の下落はあっても、元に戻ることになる。
「食料を自給できない国家は国家でない」とは、フランス大統領ドゴールの言葉である。
小泉の主張する随意契約は業者の選定に行政による恣意性が介在することを意味し、随意契約の特殊性の意味づけがされなければならない。競争入札が原則であって、随意契約は例外的措置であることを小泉は理解しているかどうか極めて疑問である。
仮に意味付けがなされたとしても、隋契約者がいくらで販売するかを、規制できるわけがない。それでも仮に備蓄米だけが下がったとして、圧倒的に大きい市場価格全体を下げる作用を持てるわけがない。
つまり、小泉の「備蓄米5キログラム2000円」という提案は、絵に描いた餅ならぬ、円書いたコメでしかない。
そこで多分登場するのが、安価なコメの輸入になると予想される。これこそ農家を潰し、食料は海外に依存するとする、政府の長年の意図が達成されることになる。
食料を海外に依存することは、国家の崩壊につながるが、食糧の自給こそが国家の存続を支えるものである。国の安全保障を軍事力だけに特化して進めてきたこの国の政策の破たんである。
この50年間で、日本は農業予算を国家予算が14倍になる中僅かに2.3倍いなったに過ぎず、実質7分の一に減額されてきた。国防費は27.2倍になって実質2.5倍にもなっているが、更に倍増されるのである。
こうしたことを考慮するなら、戦闘機を数機購入を放棄してコメ価格を支えれば、十分事足りることである。安全保障として食料を考えれば財源論も吹けば飛ぶものとなる。先進国はどこも
小泉親子が大好きな劇場的政策には、破たんが待っているというものである。
