そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

野宿に生きる人

2011-12-13 | マスコミ報道

ちょっと札幌に行って来た。JRで往復した。JRを使うようになったのは、本が読めるからである。昨日のブログに書いた本Photoと、ちょっと軽くともう一冊もって行った。これが意外と面白かった。

「野宿に生きる、人と動物」なかのまきこ著、駒草出版刊である。著者は若い女性の獣医師である。「野宿」にこだわった表現を崩さないが、ホームレスの人たちのことである。

野宿に生きる人たちは、町の公園や河川敷に暮らすことが多い。著者とその人たちのふれあいである。河川敷などで暮らす人たちは、一般社会からはじかれた人たちである。ここには、一般社会から同じくはじき出された、犬や猫などの動物も集まってくる。捨てられると言ってもかまわない。

人とそれらの動物たちは、同じ目線で生きることになる。同じ生きる仲間なのである。ペットとしての存在ではない。著者は、ここでほとんどボランティアで診療をしている。時には、得意でもない避妊手術もしている。

誰が飼うわけでもない犬が。自由にその辺を歩いているが、誰がえさをやるわけでもないが、誰かがやっている。犬たちが縦横無尽に町を歩き寝そべっている。東南アジアの光景のようであると著者は言う。人と犬に境界がないようでもある。

西成公園の野宿に生きる人が逮捕された。彼が犬の処理施設から、奪還した二匹の犬をなかまと知者で面倒を見て、引き取り先を探す。公園の仲間をかばったために逮捕された野宿の人や、その犬を想う人たちは、逮捕したお役所を特別非難するわけではない。

ここでは、野宿に暮らす人や犬のほうがよっぽど、お役人より崇高に見える。

日本では、本書の資料によると平成20年で、処分される(殺すことである)犬は8万4千匹、猫は20万匹である。

逮捕された、野宿に生きる人との言葉である。「人間は傲慢になりすぎた。ほかの動物や草木と同じような存在だという謙虚な気持ちにもどる必要があるのだ」

何かを思い起こさせる、純真でひたむきな獣医師の姿がここにある。

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