大阪選手がテニスの全米オープンで優勝した。まずお祝い申し上げたい。2年ぶり
の優勝で同じ日本人として嬉しいかぎである。米国の警官による黒人の射殺問題を契
機に一時は大会不出場の動きがあったときはどうなるかと心配したが、それを撤回し
て試合にのぞみ優勝したのは見事だった。先の事件の抗議方法として、警官によって
射殺された7人の黒人名を入れたマスクを7つ作って、各試合合ごとに一つずつマス
クを変えて、決勝までの7試合すべてを通したことは快挙といえよう。
なおみ選手は「皆さんから黒人射殺事件を議論してほしかった」から、というアイ
デアに決死の覚悟を感じる。自分も黒人だから、という以上の覚悟が素晴らしかった。
先の黒人射殺事件には米国内でしか分からない問題もあるのかも知れないが、人種
差別や民族差別自体がおかしいのである。ブッダはすべての人間を「仏子」(ぶっし)
とよんで、すべての人間は平等であると主張し、差別を否定したのである。すべての
人間は平等であるという具体的な表現は、ブッダ在世以来いまだに続いているインド
のカースト(四姓)の否定である。上からバラモン(祭司者)、クシャトリア(王族)、
ヴァイシャ(農工商の庶民)、シュードラ(奴隷)の四階級である。このため、仏教
教団の僧侶にはいろんな階級の出身者がいたが、一切の差別はなく平等にあつかわれ
た。また教団内の戒律を犯した人は、最悪でも教団からの追放だった。事実、各種の経
典などに階級をもとにした紛争などの記述は一切ない。
現在の日本にも差別思想がまだ生き残っていると云われるが、残念なことである。
もともとは古来から戦争に負けた人たち(敗残兵)や、百姓一揆の生き残りの人たちが
奴隷として売買されたものと思われる。その名残として差別意識が今もあるのは残念な
ことである。あらゆる人間差別を否定しなければならないのではなかろうか。
また、国家間の差別問題がある。これも間違った考え方と云わざるを得ない。私は中国
人も韓国人(北朝鮮人)も大好きである。日本文化は中国から朝鮮半島を通って日本に伝
えられたものである。いわば同一民族といっても不思議ではないはずである。もっとこの
三国人同士は仲良くすべきではなかろうか。
いずれにしても、2100年ころになれば、恐らく地底都市で生活することになる可能
性は大きい。その時人間差別はなくなるであろう。貨幣経済もなくなるであろう。すべて
のものを平等に分かち合う以外に生存できないからである。すなわち差別そのものがない
世界となるはずである。紛争の原因なき社会となるだろう。
いずれにしても、大阪なおみ選手の投じた一石は大きい。
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