今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

オバマ米大統領の限界

2009-01-28 20:42:10 | 戦争と経済
 オバマ新大統領に対する期待は大きい。しかし、彼は
スーパーマンではない。新大統領に対する過大な期待は、
期待はずれになりかねない。特に、軍産複合体との関係
を間違うとケネディ元大統領の二の舞になりかねない。
軍産複合体とは、軍需産業と軍部と政府の複合体を総称
した言葉である。ようするに、軍需品の製造者と、軍需
品を消費する軍部と、戦争を命ずる国家権力者の三者か
らなる組織のことである。
 01年9月11日の米同時テロの際、元大統領のカー
ター氏は、「米同時多発テロは、多くの人々が米国人を
嫌っている事実を、多くの米国人に気ずかせた」とコメ
ントしている。この発言の意味するものは、米国の軍産
複合体がこれまでしてきたことへの当然の結果の一つだ
ということを云わんとしているものであろう。
 この点について中丸薫氏は、「闇の権力構造と人類の
指針」(文芸社)の中で、鋭く分析している。この複合
体は、絶えず世界のどこかで戦争がなければ経済的に困
るのである。そのために、各地の小さい紛争を見つけ出
し、その双方に武器を与え、資金を与えて紛争をわざわ
ざ大きくすることがあるという。さらには、紛争のない
地区に、紛争が発生するように策略を回らすこともある
という。これらの策略の実行部隊が米のCIAであると
いう。まさに血も凍るような策略を世界中でしてきたと
同書の中で中丸氏は指摘している。その一例として、イ
ラクのフセイン大統領をそそのかしてクエートに侵攻さ
せたのも米の策略であると断定している。また、サッカ
ーの元スーパスターであるマラドーナ氏は、「(アルカ
イダの)ビン・ラディン氏は、過去に米中央情報局(C
IA)の支援を受け、旧ソ連と戦った(ことで化け物の
ように力をつけた)。フランケンシュタインを生み出し
た米政府には嘆く資格はない」、と云っている。これら
はほんの一例である。(これらの点については野僧の粗
書「貨幣経済は崩壊する」の中でも紹介している)。
 このような軍産複合体の経済的な体質を持つ米国の政
治体制を一掃するのは、現在のところオバマ大統領であ
っても出来ないだろう。まして、経済状態が最悪のアメ
リカにとっては、逆に走ることもありえるのではなかろ
うか。しかし、情報キャッチの早い現代においては、そ
れもできないだろう。武力によるアメリカ一国の世界支
配は終わりを迎えている。
 いずれにしても、軍事力頼りのパワーポリティクスの
時代は終わった。世界中の目が監視しているからである。
ソマリア沖の海賊対策などの世界中から支持される事案
を米国はリードすべきであろう。それも国連の同意のも
とでなければ軍事力を発揮できないのではなかろうか。
 いずれにしても、米国社会は一筋縄ではいかない。オ
バマ大統領は理想に燃えているように見える。しかし、
その限界を前もって知っておくべきではなかろう。

千殺万殺の否定は一殺の否定からー死刑と裁判員制度

2009-01-20 15:05:27 | 幸福の追求
 死刑も殺人の一つである。国家による合法的な
死刑といえども人の命を奪う殺人行為であること
に違いはない。
 ところで、千殺万殺という戦争の歴史的な判断
をする場合、ほとんど賛否両論に分かれる。太平
洋戦争、植民地主義、アメリカのベトナム戦争な
ど、その好例である。その場合、正義のため、時
代の趨勢などが賛成派の根拠である。いわゆる現
実論に立った論理である。これに対し、人間の尊
厳、殺戮の否定、平和などが否定の理由である。
理想論に立った論理である。しかし、現実論です
べての事象を考えれば、解決策は一時的なものと
なる。そうではなくて、半永久的、永遠の平和の
立場で物事を判断しなければ意味がないといわざ
るを得ない。
 また、イスラエルとパレスチナのように、報復
が報復を呼ぶ果てしない戦争の連鎖がある。憎し
みの報復合戦である。
 いずれも一殺を否定できないため、千殺万殺に
発展する。まさに人類の業である。我々人類は凶
悪な殺戮を否定しなければならない。それ以外に
人類の安寧は得られないからである。そのために
は、まず極悪人の一殺を否定しなければならない。
また、国家による合法的な死刑という一殺も否定
されてしかるべきである。国民の一殺を否定して
国家の一殺を認めるのは矛盾した考え方である。
国家はまず国民に手本を示すべきである。
 しかし、死刑に関して本音と建前の心の問題が
ある。すなわち、殺された被害者の遺族の感情が
ある。普段、死刑制度に反対であっても、自分の
家族や友人の死に対して冷静でいられなくなる。
これは当然といえば当然である。その典型的な事
件として坂本堤弁護士一家殺人事件がある。これ
はオウム真理教によって引き起こされた凶悪事件
である。遺族の悲惨な心情は誰もが納得できるも
のである。だが、凶悪な一殺を否定するためには、
どんなに苦しくとも国家のなす死刑という一殺も
否定せざるを得ない。死刑を肯定すれば、悪人の
一殺を肯定することになるからである。
 ブッダは死刑を複数の仏典の中で明白に否定し
ている。

 「いにしえ(古)の聖王に順(したが)えかし、
刑戮(けいりく)を行ずることなかれ。何を以っ
ての故に。人道に生まれるるとは、勝れたる縁(
えにし)の感ぜしめるところなり。もしもその命
を断たば、定んで悪報を招く」(仏為勝光王説王
法経)(ぶついしょうこうおうぜつおうぼうきょう)

 また、合法的であれ死刑を云い渡す王や裁判官、
さらには死刑を執行せざるを得ない官吏を、「悪
をなす者」と仏教では規定している。

 「何をか不律義の者(戒を守らぬ者)と名ず
く。王と刑罰を典(つかさど)る者(検事や裁判
官)と、および余の聴察・断罪(死刑執行人)等
の人を類顕す」

 と「倶舎論」に規定されている。立場上、お気
の毒である。これらの仏教的な立場からすれば、
死刑は認めることのできないものである。更に、
新しい裁判員制度で死刑判決せざるを得ない裁判
員にとっては不幸の種を蒔くようなものであり、
賛成できない制度といえよう。欧米人で仏教に詳
しい人は、「仏教徒が死刑に賛成するのはおか
しい」と云っている。
 その解決策としては、ただ一つの方法がある。
死刑制度を廃止することである。すでに「死刑廃
止条約」は、1989年に国連決議されている。
2000年には、死刑廃止国は76ヶ国、20ヶ
国が死刑制度は残しているが、事実上死刑執行し
ていない。日本などの111ヶ国は死刑制度を存
続させている。アメリカでは最近、「脱・死刑」
が加速されている、と報道されている。全米51
州、特別区のうち、16州・特別区が廃止、7州が
死刑をこの10年間執行していない。極悪人が社
会に戻ってきたら不安という人もいよう。当然の
心配である。その解決策として「恩赦などのない
終身刑」が日本でもアメリカでも注目されている。
。(北海道新聞、1月20日朝刊、参照)。この
新しい制度の法制化を急ぐべきである。
 それと同時に「誰でもいいから殺したかった」
などという狂気の殺人事件、無差別殺人事件のな
い社会、日本とすることが重要である。
 野僧は、大学院生(昭和47年頃)のとき、読
売新聞の投書欄に投稿したことがある。「千殺万
殺の否定は一殺(死刑)の否定から」という表題
だった。その時、読売新聞は賛否両論を掲載した。
野僧は「梅恵」というペンネームを使っていた。
父と母の一字づつ取って名乗っていたのである。
以来、殺人のない社会、死刑のない社会をどうし
たら実現できるか、という命題を人生の最大目的
としてきた。それは僧侶の使命というより、安寧
の社会を実現するためである。人類の幸福の追求
だからである。はたして生きているうちに実現で
きるのであろうか。
 最後に、イスラエルとパレスチナのように、恨
みによる報復が報復を呼ぶ果てしない戦争の連鎖
を断ち切るためには、ブッダの教えを両者が実行
する以外に方法はない。

 「怨みは怨みによって息(や)まず。恨みを捨
ててこそ息(や)む」(法句経)

 いずれにしても、千殺万殺という戦争や凶悪殺
人事件を防ぐのは、一殺の否定から取り組まなけ
ればならない。

浄土真宗は死刑反対のパーソナリティに非ず

2009-01-13 10:35:25 | 宗教
 「死刑制度に反対している浄土真宗大谷派でも
昨年6月、宗派の議会で裁判員制度が取り上げら
れた。幹部は宗派の見解として、制度そのものに
対する意見表明は考えていないとする一方、<裁
判員に選ばれたら、真宗門徒として死刑という判
断はしないという態度が大切だと考えている>と
答弁した」。
 
 「浄土真宗では、<人間はだれでも罪を犯す可
能性を持つ弱い存在>と説く。僧侶や信者には<
そんな自分が他人を裁いていいのか>と抵抗感を
持つ人も多い。答弁に立った同派幹部は<引き続
き検討していく>と述べるにとどまった」

 これは読売新聞(1月11日)朝刊の「裁判員
悩む宗教界」の中での記事である。上記の浄土真
宗の考え方に二つの問題がある。
 一つは、「死刑制度に反対している浄土真宗大
谷派」、「裁判員に選ばれたら、真宗門徒として
死刑という判断はしないという態度が大切」とい
う表現は浄土真宗の歴史上の事実と矛盾している。
 野僧が大学生だった昭和42・3年の頃、読売
新聞は、死刑廃止論者の正木亮博士(当時、神奈
川大学教授・矯正協会長)の「死刑」を約10回く
らい連載したことがある。ブッダは経典の中では
っきりと死刑を否定していたので興味深く読んだ
ものである。正木亮博士は「首なし事件」、「体
験入獄(現在はできないが)」などでも有名で、
死刑廃止論者の第一人者だった。
 対する死刑存置論者の筆頭は小野清一郎氏(当
時・東大教授)だった。浄土真宗の寺の出身であ
る。僧籍を持っていたのかどうかは記憶が定かで
ない。しかし、同氏が浄土真宗であるということ
が、マスコミで頻繁に報道されていたので、僧籍
を持っていたのかも知れない。いずれにしてもこ
の二人が死刑存廃論議の両巨頭だったのである。
60才以上の人ならばご存知のことと思われる。
 当時、死刑存廃論議は活発だった。死刑の存廃
論議になると、マスコミは正木亮博士と小野清一
郎氏の両論を対峙紹介したものである。このこと
から判るように、最初から浄土真宗が死刑に反対
してはいなかったのである。それを昔から死刑制
度に反対のパーソナリティのように浄土真宗が振
り舞うのは欺瞞である。その当時の話の一つとし
て紹介したいことがある。野僧は死刑反対の立場
から、仏教の月刊誌である「大法輪」に投稿し、
「小野清一郎氏の死刑存置論は仏教徒に非ず」と
いう趣旨の論題を掲載していただきたい。そして
小野清一郎氏の反論も掲載していただきたい、と
訴えたことがある。しかし、大法輪閣からの返答
はナシノツブテだった。しびれを切らせて同社に
電話すると、野僧の投稿を検討したが掲載しない
ことになりました、との返答だった。さすがに仏
典を引き出されては仏教者としての小野先生でも
反論できないと思ったのではなかろうか。それと
も小野先生に恥をかかせるわけにはいかない、と
いうことなのであろうか。しかし、仏教書として
売り出しているのに、真っ当なブッダの主張を取
り上げないのは、それなりの理由があったのでは
なかろうか。たとえば、同社が浄土真宗から反発
されることを危惧したからなのかも知れない。仏
教界といえども生臭い現実があることを一般人の
方々から認識していただく必要がある。
 その一方で、野僧と数人の仲間で二部仏教研究
会を立ち上げた。その最初の企画として、読売新
聞に連載(週に1回)されている死刑廃止論者の
正木先生にお出でいただき、講演と、仏教系の学
部の数校から一名ずつ出てもらってディスカッシ
ョンを立正大学の学園祭ですることになった。参
加した大学は駒沢大学、大正大学、東洋大学と東
京大学の印度哲学科だった。その関係で正木先生
宅に計3回お邪魔した。学園祭の前に2度、後に
1度である。先生は快く賛同してくれた。おかげ
で無事、学園祭を終えることができたのである。
正木先生には今でも感謝している。学園祭が終わ
ってから、正木先生宅にお礼にうかがった。「学
生さんから謝礼金を受け取るわけにはいかないよ」
と先生からいわれていたので、花瓶を持参したの
を覚えている。その時、学園祭の内容報告などを
書いた我々の研究会報も持参した。当時、死刑の
手段としての絞首刑は残酷か、どうか、という論
議もされていた。正木先生は「絞首刑は残酷な方
法である」と論陣を張っていた。小野先生はその
反対であった。野僧は、それも取り上げて会報に
書いた。絞首刑が残酷か、どうか、という根本問
題は、「手段ではなく、人の命を奪うという行為
そのものが残酷である」と書いたのである。それ
を見た先生は、野僧の方を見て、「なかなかやる
じゃないか」と云われたのを懐かしく思い出す時
がある。忘れることのできない思い出の一つであ
る。このように、浄土真宗の歴史上の事実と、現
在の同宗の主張には矛盾がある。その時代の動向
次第で主張を変えるのは節操がない、と云わざる
を得ない。狡猾な宗派である。
 二つ目の問題として、真宗門徒として死刑とい
う判断はしないという態度が大切だと考えている>
と答弁した」。「浄土真宗では、<人間はだれで
も罪を犯す可能性を持つ弱い存在>と説く。僧侶
や信者には<そんな自分が他人を裁いていいのか>
と抵抗感を持つ人も多い。答弁に立った同派幹部
は<引き続き検討していく>と述べるにとどまっ
た」と報道されている。
 しかし、浄土真宗の宗祖である親鸞は、「悪人
正機」説を主張している。どんな凶悪な殺人鬼で
あっても救われる、という内容である。この悪人
正機説からすれば、死刑は受け入れられないこと
であろう。その一方で、すべての悪を是認するも
のでもある。一見すると筋の通った論理のように
思われるる。だが、死刑を否定し、殺人などの凶
悪事件を是認するというのは一方的な矛盾した考
え方で、我々としては認められないことである。死
刑を否定するのであれば、凶悪な殺人行為も否定
すべきである。論理として一貫性がない。浄土真
宗は10派あるといわれるが、それらの信徒を合
計すると、日本では信徒が一番多い宗派である。
すなわち、現在の日本の現況は、「誰でもいいか
ら人を殺したかった」などという狂気の事件が多
発している。悪人正機説からすれば、それらの狂
気の殺人鬼も是認されることになる。殺人などの
悪を助長する宗派といえよう。その結果が日本の
現状である。狂気と邪悪な宗派であり、仏教とは
無縁の宗教である。浄土真宗は「悪人是認教」と
名を変えるべきではなかろうか。
 いずれにしても浄土真宗の悪人正機説は認める
ことができない。

 「生きとし生ける者は幸せを求めている。もし
も暴力によって生きものを害するならば、その人
は自分の幸せを求めていても、死後には幸せが得
られない」

 とブッダは法句経の中で説いている。「殺人鬼
などの悪をなす者は、極楽に行けない」、という
内容である。どんな極悪人でも極楽に優先的に行
けると説く浄土真宗は、仏教とは無縁の悪魔信仰
の宗教である。
(尚、正木博士は広島で被爆の経験者でもある)

イチロー、チェンジの年

2009-01-08 16:51:25 | 野球
 今年のイチロー選手にとってはチェンジの年
である。200本安打の9年連続世界新記録の
樹立、日本記録の3085本の張本勲氏のもつ
最多安打の突破という日米新記録を目指す年で
ある。まさに世界の野球界の記録を塗り替える
輝かしいチェンジの年でもある。
 日本記録の最多安打は、あと2本であり、何
の問題もなく突破するであろう。一方、9年連
続200本安打もイチローなら必ず達成できる
と信じている。
 しかし、昨年は連続200本安打が途切れる
のではないかと心配した。思うようにヒットが
出なかったからである。その原因を推測すると、
イチローのマリナーズ残留決定に関して、イチ
ローの高年俸などに対する他の同僚選手の中に
ヤッカミが発生したからである。昔から「隣の
家に蔵が建つと腹が立つ」という諺どおりであ
る。その位のことはイチローも十分承知してい
たであろう。しかし、その現実に立たされると
つい愚痴の一つも出る。イチローといえども不
完全な人間である以上、仕方のないことであろ
う。シーズン途中でイチローは「自分の打てな
いことを他人(イチロー)のせいにする人がい
る」という意味のことを云ったと新聞報道され
た。イチローの気持ちは十分わかる。しかし、
世界一になるからには、その壁も越えなければ
ならないのではなかろうか。昨年、そのつらい
環境の中でも200本安打を達成したイチロー
は立派である。「柳に風」の心境で受け流すべ
きではなかろうか。
 何度も云うように、究極的には自分との闘い
であることを再認識すべきであろう。実践野球
哲学者としての今年の課題でもある。今年も更
なる進化に期待したい。
 城島選手の活躍にも期待している。松坂選手、
松井選手の活躍も楽しみである。また、レイズ
の岩村選手の活躍も華々しかった。ヤンキース、
レッドソックスという強豪チームの東地区、さ
らにはアメリカンリーグでも優勝してしまった。
岩村選手の牽引力の影響といっても過言ではな
いだろう。まさに、「奇跡を呼ぶ男」だった。
今年もメジャーリーグから目が離せない。また、
WBCも日本チームに期待している。
 頑張れイチロー。200本安打の出る頃に、
日程が取れればシアトルに応援に行きたいと思
っている。

サブプライム投資の失敗を解雇で償うな

2009-01-01 19:34:12 | 貨幣経済
 先月のあるテレビ局のニュースが忘れられない。日本の
証券会社系列の投資機関が一社で百何十兆円もサブプライ
ム関連に投資したと報じたからである。その投資機関は複
数に上るとも報じられた。ただし、それらの投資がどの程
度損失したのかは定かでない。その金の出所は、投資を一
任した個人もいれば大会社などだという。そのニュースの
詳細を知りたくて前後の新聞を調べてみた。しかし、私の
調べた限りでは新聞報道されていなかった。新聞が故意に
報道しなかったのか、どうかは推測の域を出ない。
 それにつけても超一流の大企業が、一年くらいの間に、
何千億円も何兆円も損をしたと報じられている。円高の影
響だと云っても、約三ヶ月前に始まったばかりである。ま
た、見方を変えれば、円高で大損したとしても、社長が辞
任する必要はないはずである。また、売れ行き不振だと云
っても世界的な流れであり、社長が辞任しなければならな
い理由とはならないはずである。
 このように推測すれば、サブプライム関連のマネーゲー
ムで失敗したのが大会社の赤字の最大の原因なのではない
かと推測せざるを得ない。
 それにつけても契約社員や非正規社員の解雇、さらには
採用取消などは凄まじいものがある。今後は、正規社員の
解雇の嵐が吹き荒れるのではないかとも報じられている。
解雇されて生きるための金を得る職場が見つからなければ、
自殺するか強盗になる以外に生きていく方法がなくなる場
合も考えられる。いずれにしても社会不安を惹起する原因
となるだろう。
 大企業は大量解雇という手段以外の方法で前進すべきで
はなかろうか。大会社のブランドの大看板を背負っている
以上、社会的な責任を再考してもらいたいものである。ま
た、投資に失敗したとしても、自省すればいい筈である。
新聞報道されても良いのではなかろうか。われわれ日本人
が豊かな生活をできるのは大企業のオカゲと云っても過言
ではないはずである。大企業などの今後の姿勢しだいでは、
貨幣経済そのものに対する疑問が出るかも知れない。
 もしかしたら、サブプライム関連のマネーゲームによる
損出額は全世界全体で「兆」を超えた「京」(けい)に
近い額になるのではなかろうか。