今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

首相の靖国参拝は「ドイツの大統領がヒトラ-の墓に参拝」するようなものだ

2005-06-23 23:45:53 | 戦争の加害者責任と被害者意識
 「小泉首相が靖国神社に参拝するのは、ドイツの大統領が
ヒトラ-の墓に参拝するようなものだ」というような意味の発
言をしたのは韓国の国会議員の一人である。
 さる6月19日(日)、午前7時30分からのフジテレビ
系列で放映された「報道2001」の中でのことである。日
本と韓国の国会議員のテレビ討論中でのことである。
 この発言は、靖国問題を端的に的を射たものである。われ
われ日本人には、太平洋戦争における戦争加害者としての責
任と謝罪の義務がある。
 また、靖国問題の根本の一つに、日本のこれまでの政権政
党が「先の太平洋戦争を悪いと思っていない」ことにある。
ただし村山内閣を除いて。すなわち、A級戦犯とか、B、C
級戦犯などという問題ではない。さらに、そういう考え方の
政権政党を支えてきた多くの日本人に対して、中国や韓国な
どは怒っているのである。そこを正確に認識しないと近隣諸
国との軋轢は永久に解決されないだろう。
 約600万人のユダヤ人を虐殺したヒトラ-ほどではないに
しても、日本軍のしてきた残虐な戦争行為は、大同小異とい
っても過言ではないはずである。
 それらの事実を考えると、まさに韓国の国会議員の発言は
正確な比喩である。
 近隣諸国に誠意をもって謝罪して、良好な国際関係を築く
ためにも、宗教色のない慰霊の施設を造るべきである。神道
という精神的バックボ-ンとしての宗教色こそ真の戦犯であ
ると、中国や韓国は考えていることを理解すべきである。第
一、「死んだら靖国で会おう」とか、「死んだら神になる」
などというような考えを、本当に信じているのだろうか。そ
れらは、軍国主義を推進するための単なる方便として使われ
てきたに過ぎない。幼稚すぎる。
小泉首相ばかりでなく、同じような考え方の首相に交代し
ても、この問題を解決しない限り、景気は良くならないだろ
う。ましてや、国連安全保障理事会常任理事国に、日本はな
れないだろう。

国立追悼施設構想の自民党幹事長案を支持する

2005-06-15 01:53:48 | 戦争と平和
 武部勤自民党幹事長は、6月10日、札幌市内で講演し、
次のように述べた。
 「(イラクで殺害された日本人外交官などが)戦没者とい
う概念に入らない問題も出てきている。世界中で活躍し、命
を失った人たちを慰霊する(国立追悼施設など)墓地のよう
なものを造るべきだ」。
 この自民党幹事長の発言は特記すべきもので、敬意に値す
る。私も大いに支持したい。
 大体、世界の中で先進国に位置する日本が、神道主義に固
執すること自体、どうかしている。民主国家にとって神道一
辺倒というのは前時代感覚のままである。憲法蹂躙も甚だし
い。これに対し自民党幹事長構想は、民主化を一歩先んじた
ものの見方である。
 外交官の殉職者は勿論のこと、警察官の殉職者も同施設で
慰霊すべきである。第一、神道に慰霊の力があるのか、とい
う論議は、これまでされてきたところでもある。それはさて
おき、幹事長の構想は、無宗教である点がいい。すなわち、
その施設に祀られる人は、あらゆる宗教の人達である。した
がって、あらゆる宗教が、その施設に行って慰霊儀式や行事
をすればいい。宗教の一つに過ぎない神道にこだわるから、
他の宗教から批判されるのである。いわゆるアメリカのアー
リントン墓地と同じようにしようとする構想である。
 約8年前に、銀婚式を祝って、6人の子供達がハワイ旅行
をプレゼントしてくれたことがある。私達夫婦は喜んでその
旅行をを満喫したものである。その帰国の機中で、中国の商
社マン数人と会話したことがある。英語と日本語と漢字で会
話した。その時、先の大戦で日本が中国や近隣諸国の人々に
甚大な被害を与えたことを、私なりに詫びた。その後で中国
の人から「神道は好きか」と聞かれた。私は仏教徒なので「
神道はあまり好きではない」と答えた。そうしたら、中国の
人達は喜んで、握手を求めてきた。すなわち、中国の人達は、
日本軍の残虐性の陰の精神的なバックボーンに「死んだら靖
国で会おう」という神道方式があると強く感じていることが
分かった。その意味でも、一宗教法人に過ぎない靖国神社に
英霊を祀る従来の慰霊方式を変えることが重要である。そう
しなければ、中国などの批判は止むことはないだろう。
 武部幹事長の構想を実現すべきである。さうすれば、中国
や韓国などのアジア諸国の信頼を得るであろう。また、納得
してもらえだろう。
 武部氏のような人こそ、次期総理大臣になってもらいたい
ものである。恐らく、武部氏のような総理大臣が実現するこ
とを中国などの近隣諸国はもとより、世界の良識ある国々は
望んでいると思われる。

究極の群舞-「YOSACOI ソ-ラン祭り」(札幌)

2005-06-09 08:33:34 | 平和の祭典
 「YOSACOI ソ-ラン祭り」が昨日から始まった。
毎年、6月上旬に、5日間にわたって開かれる。今年は8日
(木)から12日(日)迄である。参加チ-ムは330。参
加人数は43000人である。先ず、規模の大きさに驚かさ
れる。中には「参加することに意義がある」というチ-ムも
少しは見られる。しかし、幼稚園児から老年期に近いチ-ム
まで、裾野の広い参加者層が、祭りを盛り上げる元となって
いる。
 また、「YOSACOI ソ-ラン祭り」は、究極の群舞
といえるものである。見所は3点。
(1)音楽。
 各チ-ムによって音楽は違う。それもプロの演奏が多い。
その音楽の違いを聞くのも楽しみの一つである。「ヤ-レン、
ソ-ラン、ソ-ラン、ソ-ラン、ソ-ラン、ソ-ラン」とい
うフレ-ズさえ入っていれば良いらしい。その音量にも圧倒
される。内蔵まで揺れ動くようなボリュ-ムである。毎年、
そのCDが発売されている。
(2)衣装。
 単色のチ-ム衣装もあるが、カラフルな衣装のチ-ムもあ
る。トンボの羽をつけたチ-ムもある。また、一瞬にして早
変わりする衣装のチ-ムもある。さらには、毎年、工夫をこ
らした衣装で参加するチ-ムもある。その衣装の違いを見比
べるのも楽しみの一つとなっている。
(3)群舞。
 上手なチ-ムをみていると、前から見ても、横からみても、
ななめ後ろから見ても、線がきちんとしている。よくもこん
なに練習したものだと感心させられる。また、大きなチ-ム
は、100人以上の大集団で構成されている。その迫力も見
所の一つである。さらには、大人にまじって小さな子供も奮
闘している。老年期の人達も、若者に負けじと頑張っている。
 一方、大小さまざまな旗を見るのも楽しみの一つとなって
いる。今ではサッカ-の応援で見られるが「ソ-ラン祭り」
の方が古いと思われる。もともとは、漁船の大漁旗を持ち込
んだのがきっかけとなっている。カラフルな色彩や、旗の表
現などを楽しむ方法もある。
 いずれにしても、「YOSACOI ソ-ラン祭り」は、
究極の群舞といえるものである。一度、ご覧になることをお
勧めしたい。大通り8丁目の大舞台をメ-ンとし、市内各地で
分散して群舞を繰り広げている。誰もが楽しめるイベントで
ある。平和を実感でるであろう。 
 

「愛国心」という言葉はサタンの囁き

2005-06-02 15:27:18 | 戦争と平和
 「愛国心」という言葉がしばしばマスコミに登場するよう
になった。この傾向は、ある種の危機意識を招く。なぜなら、
先の大戦時には、愛国心という言葉が飛び交ったからである。
愛国心という言葉が一人歩きするようになると、戦争の予兆
を感ずるからでもある。
 「愛国心」とは何だろうか。愛国心とは、自分の国を愛す
る心である。しかし、愛国心と一口にいっても、その内容は
多岐にわたるものである。たとえば、自民党、民主党、公明
党、共産党、社民党などの各政党の掲げるビジョンは、すべ
て愛国心に根ざした主張である。自国民の安寧と幸福を実現
するために主張されている。このことに間違いはないであろ
う。すなわち、「愛国心」にもとずく主張のどれか一つを本
当の愛国心であると結論できる問題でもない。
 問題は、多数意見を占める政党の主張だけが愛国心である、
というレッテルを貼ることである。たとえば、Aという政党
の主張だけを支持することが「愛国心」を持つことになる。
それ以外の考え方や、他の政党の主張を支持する人は「愛国
心」がない、と断定することになる。ここに「愛国心」とい
う言葉の持つ魔力が危険なのである。「愛国心」という美名
の陰に、サタンの囁きが聞こえるようである。
 特に、戦争に反対する人、独裁政治に反対する人などは非
難されてきた。その時に使われる言葉が「非国民」、「売国
奴」というものである。先の大戦のように、他国への侵略に
反対し、軍国主義に反対した人々の言動は、真に「愛国心」
による発露そのものである。「非国民」、「売国奴」と呼ば
るものとは完全に異質なものである。自国民の兵隊さんの犠
牲者を出さないため、他国民を虐殺しないため、領土拡張欲
に賛成できないため、将来的に被侵略国との摩擦を出さない
ため、などの理由から反対した人々だったのである。
 すなわち、「愛国心」という言葉は、人心掌握、国民支配
の極めて便利な政治支配の道具として使われている。特に、
先の大戦では「愛国心」という言葉の陰で、日本の約300
万人もの兵隊さんと民間人が犠牲になったのである。そこに
民間人の犠牲者の存在も忘れてはならないことである。また、
一般の兵隊さんも犠牲者である。徴用されて、行かなければ
牢獄に繋がれたシステムの時代である。
 最近使われるようになった「愛国心」といっている人々の
主張からかいま見えるものは「憲法9条に賛成すること」が
「愛国心」のある人であるかのように聞こえる。「憲法9条
」を守ろうとしている人々も「愛国心」の持ち主であること
を認識すべきである。
 一方、好戦的な人々は「天皇陛下万歳」と叫ぶ。それは大
変結構なことである。しかし、その好戦的な人々の考え方と
皇族各位の考え方と同じかどうかは疑問である。好戦的な自
分の考え方を、皇族各位に押しつけることだけは避けるべき
である。
 私のように「平和を祈念する天皇万歳」と叫ぶ人間も多数
いることを知って欲しい。天皇陛下を政治利用することを考
えている人々は、真の天皇崇拝者ではないことを知るべきで
ある。「平和天皇を守る会」を作りたいぐらいである。
 園遊会で、ある参列者が「君が代、国旗など学校などで実
施されるように努力しています」、という意味の言葉に、天
皇陛下自身が答えている。「国民に押しつけないように」。
 また、皇室外交は最大級の効果をもたらしているといわれ
ている。それは、「あなたの国とは永久的に戦争などをしな
いようにお互いに努力しましょう」という意味もあるからで
あろう。「将来、あなたの国と戦争しましょう」といって諸
国を親善訪問しているわけではない。為政者は襟を正して憲
法改正論議をすべきである。