福田首相は実直そうな政治家に見える。また、父親の
故福田赳夫首相はタカ派だったが、現首相はハト派に見
える。大変、好感の持てる首相だと期待してきた。たと
えば、靖国神社という神道にとらわれない慰霊施設の新
設を推進したことがある。小泉内閣の官房長官の時であ
る。何の宗教、宗派であれ、自由に慰霊儀式のできる施
設を目指したものと野僧は受け止めていた。しかし、肝
心の小泉首相は、自分の代で靖国論議は終わりにさせる
と豪語したが、そうはならなかった。この両者の政治ス
タンスの違いもあって福田氏は官房長官を辞任せざるを
得なかった。第一、小泉首相の発言は、あまりにも一方
的すぎるものである。日本国民が300万人以上も犠牲
になった戦争と、塗炭の苦しみを味わった国民に、「す
べて忘れよ、日本国家に感謝せよ」と云う方が間違って
いる。特に、民間人の死は、日本国家によって殺された、
という意識が強い。さらに、その戦争をバックアップし
て推進した靖国神社の存在は許し難いものである。靖国
論議は終わっていない。さらに、靖国神社は日本神道の
牙城として、国家神道の体裁の再構築を目指していると
云われる。虎の威をかるキツネのように、国家権力頼り
である。それは本来の宗教とはほど遠いものである。
福田首相は就任当初、一つの宗教にとらわれることの
ない慰霊施設の新設をめざしていた。いかなる宗教であ
れ宗派であれ、自由に慰霊行事のできる施設をめざして
いたのである。その好例として、米国のアーリントン墓
地のような施設である。しかし、自民党内の多数意見で
潰されてしまった。自民党内ではハト派は育ちにくいと
いう伝統があるように見える。
また、道路財源問題では、野党の民主党は国民の受け
の良い立場で議論している。いわば、選挙用宣伝政策で
ある。例えば、日本全国の橋梁は、かなり傷んでいるも
のが多数あると云われる。今後の補修や作り替えなどの
時の財源はどこから持ってくるのかも明示せずに道路財
源の廃止ばかり強調するのは、政権担当能力のない証明
と云われても仕方ないであろう。第一、道路財源がなく
なれば日本全体の経済的な打撃は計り知れないものとな
るだろう。その民主党の政策に対し、福田首相は正論で
応ずべきである。国民も、経済的な負担が少なければ良
し、という単純な考えは捨てるべきである。ただで、何
でもかんでもできる訳がない。国家財政で運営されてい
る以上、最終的には国民も負担せざるを得ないことを知
るべきではなかろうか。道路財源をなくしても、たとえ
ば消費税でその財源を負担することになる。いずれにし
ても国民が負担することに変わりはない。国政は「お笑
い」の世界ではない。前前回の内閣のように、肝心なと
ころを説明せず、「おとぼけ」で逃げ切ったいわば「お
笑い」劇場のようなことは避けるべきである。また、現
行制度の欠点は解消するように努力すれば良い。
自分の政治理念は、簡単に他人から認められることは
少ない。しかし、自分流の内閣改造はすべきであろう。
是非、福田カラーを見たいものである。ただし、政治の
世界は「妥協の世界」であることを忘れないようにする
ことも肝心だと思われる。
真摯な態度で為政し、選挙に臨むべきではなかろう
か。国民は分かってくれるはずである。その結果がどう
出るかは誰も分からないことである。たとえ選挙で負け
る場面もあるかも知れない。しかし、全力で為政すれば
それ以上のことは怖くないはずである。ジャパニーズ・
ジェントルマンに期待している。
故福田赳夫首相はタカ派だったが、現首相はハト派に見
える。大変、好感の持てる首相だと期待してきた。たと
えば、靖国神社という神道にとらわれない慰霊施設の新
設を推進したことがある。小泉内閣の官房長官の時であ
る。何の宗教、宗派であれ、自由に慰霊儀式のできる施
設を目指したものと野僧は受け止めていた。しかし、肝
心の小泉首相は、自分の代で靖国論議は終わりにさせる
と豪語したが、そうはならなかった。この両者の政治ス
タンスの違いもあって福田氏は官房長官を辞任せざるを
得なかった。第一、小泉首相の発言は、あまりにも一方
的すぎるものである。日本国民が300万人以上も犠牲
になった戦争と、塗炭の苦しみを味わった国民に、「す
べて忘れよ、日本国家に感謝せよ」と云う方が間違って
いる。特に、民間人の死は、日本国家によって殺された、
という意識が強い。さらに、その戦争をバックアップし
て推進した靖国神社の存在は許し難いものである。靖国
論議は終わっていない。さらに、靖国神社は日本神道の
牙城として、国家神道の体裁の再構築を目指していると
云われる。虎の威をかるキツネのように、国家権力頼り
である。それは本来の宗教とはほど遠いものである。
福田首相は就任当初、一つの宗教にとらわれることの
ない慰霊施設の新設をめざしていた。いかなる宗教であ
れ宗派であれ、自由に慰霊行事のできる施設をめざして
いたのである。その好例として、米国のアーリントン墓
地のような施設である。しかし、自民党内の多数意見で
潰されてしまった。自民党内ではハト派は育ちにくいと
いう伝統があるように見える。
また、道路財源問題では、野党の民主党は国民の受け
の良い立場で議論している。いわば、選挙用宣伝政策で
ある。例えば、日本全国の橋梁は、かなり傷んでいるも
のが多数あると云われる。今後の補修や作り替えなどの
時の財源はどこから持ってくるのかも明示せずに道路財
源の廃止ばかり強調するのは、政権担当能力のない証明
と云われても仕方ないであろう。第一、道路財源がなく
なれば日本全体の経済的な打撃は計り知れないものとな
るだろう。その民主党の政策に対し、福田首相は正論で
応ずべきである。国民も、経済的な負担が少なければ良
し、という単純な考えは捨てるべきである。ただで、何
でもかんでもできる訳がない。国家財政で運営されてい
る以上、最終的には国民も負担せざるを得ないことを知
るべきではなかろうか。道路財源をなくしても、たとえ
ば消費税でその財源を負担することになる。いずれにし
ても国民が負担することに変わりはない。国政は「お笑
い」の世界ではない。前前回の内閣のように、肝心なと
ころを説明せず、「おとぼけ」で逃げ切ったいわば「お
笑い」劇場のようなことは避けるべきである。また、現
行制度の欠点は解消するように努力すれば良い。
自分の政治理念は、簡単に他人から認められることは
少ない。しかし、自分流の内閣改造はすべきであろう。
是非、福田カラーを見たいものである。ただし、政治の
世界は「妥協の世界」であることを忘れないようにする
ことも肝心だと思われる。
真摯な態度で為政し、選挙に臨むべきではなかろう
か。国民は分かってくれるはずである。その結果がどう
出るかは誰も分からないことである。たとえ選挙で負け
る場面もあるかも知れない。しかし、全力で為政すれば
それ以上のことは怖くないはずである。ジャパニーズ・
ジェントルマンに期待している。