今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

福田首相は内閣改造すべきだ

2008-07-23 10:16:10 | 政治
 福田首相は実直そうな政治家に見える。また、父親の
故福田赳夫首相はタカ派だったが、現首相はハト派に見
える。大変、好感の持てる首相だと期待してきた。たと
えば、靖国神社という神道にとらわれない慰霊施設の新
設を推進したことがある。小泉内閣の官房長官の時であ
る。何の宗教、宗派であれ、自由に慰霊儀式のできる施
設を目指したものと野僧は受け止めていた。しかし、肝
心の小泉首相は、自分の代で靖国論議は終わりにさせる
と豪語したが、そうはならなかった。この両者の政治ス
タンスの違いもあって福田氏は官房長官を辞任せざるを
得なかった。第一、小泉首相の発言は、あまりにも一方
的すぎるものである。日本国民が300万人以上も犠牲
になった戦争と、塗炭の苦しみを味わった国民に、「す
べて忘れよ、日本国家に感謝せよ」と云う方が間違って
いる。特に、民間人の死は、日本国家によって殺された、
という意識が強い。さらに、その戦争をバックアップし
て推進した靖国神社の存在は許し難いものである。靖国
論議は終わっていない。さらに、靖国神社は日本神道の
牙城として、国家神道の体裁の再構築を目指していると
云われる。虎の威をかるキツネのように、国家権力頼り
である。それは本来の宗教とはほど遠いものである。 
 福田首相は就任当初、一つの宗教にとらわれることの
ない慰霊施設の新設をめざしていた。いかなる宗教であ
れ宗派であれ、自由に慰霊行事のできる施設をめざして
いたのである。その好例として、米国のアーリントン墓
地のような施設である。しかし、自民党内の多数意見で
潰されてしまった。自民党内ではハト派は育ちにくいと
いう伝統があるように見える。
 また、道路財源問題では、野党の民主党は国民の受け
の良い立場で議論している。いわば、選挙用宣伝政策で
ある。例えば、日本全国の橋梁は、かなり傷んでいるも
のが多数あると云われる。今後の補修や作り替えなどの
時の財源はどこから持ってくるのかも明示せずに道路財
源の廃止ばかり強調するのは、政権担当能力のない証明
と云われても仕方ないであろう。第一、道路財源がなく
なれば日本全体の経済的な打撃は計り知れないものとな
るだろう。その民主党の政策に対し、福田首相は正論で
応ずべきである。国民も、経済的な負担が少なければ良
し、という単純な考えは捨てるべきである。ただで、何
でもかんでもできる訳がない。国家財政で運営されてい
る以上、最終的には国民も負担せざるを得ないことを知
るべきではなかろうか。道路財源をなくしても、たとえ
ば消費税でその財源を負担することになる。いずれにし
ても国民が負担することに変わりはない。国政は「お笑
い」の世界ではない。前前回の内閣のように、肝心なと
ころを説明せず、「おとぼけ」で逃げ切ったいわば「お
笑い」劇場のようなことは避けるべきである。また、現
行制度の欠点は解消するように努力すれば良い。
 自分の政治理念は、簡単に他人から認められることは
少ない。しかし、自分流の内閣改造はすべきであろう。
是非、福田カラーを見たいものである。ただし、政治の
世界は「妥協の世界」であることを忘れないようにする
ことも肝心だと思われる。
 真摯な態度で為政し、選挙に臨むべきではなかろう
か。国民は分かってくれるはずである。その結果がどう
出るかは誰も分からないことである。たとえ選挙で負け
る場面もあるかも知れない。しかし、全力で為政すれば
それ以上のことは怖くないはずである。ジャパニーズ・
ジェントルマンに期待している。

石油高騰はサブプライムの尻ぬぐいだ

2008-07-16 19:22:55 | 経済
 7月15日、全国の約20万隻の漁船が一斉休漁
した。船の燃料高騰で採算が取れず、切迫した実情
がマスコミ報道で知れ渡った。その意味からすれば
今回の漁民のアピールは成功だったといえよう。
 しかし、漁民が抱く問題が解決されたわけではな
い。この石油高騰の問題は前のサミットでも検討課
題の一つだった。しかし、何ら具体的な解決策は出
なかった。出せなかったと言う方が適当であろう。
 ところで、世界の投資機関が金を石油に回してい
る為に石油の値上げが続いている、といわれる。
 その前に、世界の金融プロ達が米国のサブプライ
ムローンで大失敗している。個人投資家をも巻き込
んだ世界的な大規模なマネーゲームの失敗である。
まさに信じられない事態が起こったのである。「う
まい話には気をつけろ」という諺どおりである。し
かも、米国の大統領は「かってこれほどの米国市民
が家をもったことはない」と、サブプライムを推進
したのである。官民一体となったマネーゲームは米
国政府の政策と一致するという安心感から世界中の
投資機関と個人投資家の天文学的な金が、米国に集
中した。それが失敗したのである。これが故意に仕
掛けられたマネーゲームだったのか、どうかという
ことは推測の域を出ない。恐らく小さな流れが、複
雑怪奇な大きな濁流と化し、誰も止められなかった
ものと推測される。一つの金融機関だけでも何兆円、
何千億円という損害を被った。あまりの大きな損失
だけに、全体的にどれだけの損害額かは正確には分
からないのが実態であろう。今後、小さな投資機関
の損失が表面化すれば、まさに天文学的な損害額と
なるのではなかろうか。
 ただ、一つの疑問がある。実質的に世界経済を支
配しているといわれる世界金融財閥の関連機関と会
社も、失敗の側に身を置いていることである。この
点に関し、二つの見方ができる。一つは、冷静に判
断できる初期は、慎重だったが、世界的な金が米国
に押し寄せる流れを見て、世界金融財閥そのものが
舞い上がってしまったのではないかという推測であ
る。いわゆる「策士策に溺れる」の譬え通りになっ
たのではないか、ということである。今一つは、サ
ブプライムに流れた金はどこに消えたのか、という
疑問である。たとえば、手数料などの経費は微々た
るものであろう。また、家の建築資金として消えた、
とも見える。しかし、天文学的な資金の流入は事実
として残る。そこに、何らかのトリックがあって笑
っている人がいないとも限らない、という見方であ
る。しかし、事実は前者ではなかろうか。その根拠
は以下の理由による。
 金儲けのプロである金融機関や投資会社が大損害
を出したのである。そこに、貨幣経済の脆弱さを見
ることができるような気がする。今回のサブプライ
ムで大失敗をしたからといって、拝金主義が見直さ
れることはないだろう。事実、石油関連に巨大な資
金が注入されているといわれる。勿論、サブプライ
ムの大失敗した金を、石油投資で取り戻そう、とい
うことであろう。さすがに目の付け所が違う。全世
界の地球人から損出した金を負担してもらおう、と
いう意図が感じられる。この事実は、すでに中盤に
きている段階ではなかろうか。失敗した金は、取り
戻せということであろう。このような世界の金の流
れを、世界中の大統領や首相が止めることは不可能
であろう。もしも、止めに入れば、自分の地位どこ
ろか、生命の危険に身をさらすことは百も承知して
いるからであろう。そこにサミットの限界があるこ
とを知るべきではなかろうか。
 また日本を見ただけでも、食品の賞味期限改ざん、
食品の産地偽装、表示以外の肉などの混入、食べ残
し料理のたらい回し、教員の不正採用等々、金にま
つわる事件が多発している。何でも有りである。ま
さに個人の良心の喪失というよりも、貨幣経済の抱
える根本的な矛盾点である。何よりもシステムの問
題である。貨幣経済の社会は営利の追求という根本
命題を達成することにある。そればかりか、会社経
営がうまくいかず、詐欺まがいの商法に身を落とす
場合もあるようである。実に切なく悲しい実態とい
えよう。
 今後の一番の問題は、自然災害が巨大化するため
に、いくら儲けても、維持、復旧費用が半端ではな
くなると予想されている。金儲けどころの話ではな
くなる。恐らく、2050年頃になると貨幣経済は
完全に崩壊するものと思われる。だから、今のうち
に儲けよう、ということなのかも知れない。

命をつなぐ手のかからない野菜づくり

2008-07-07 03:52:45 | 環境
 今日からサミットが洞爺湖で開かれる。ホテルから望む
絶景を背景に各国首脳の心が開かれれば幸いである。しか
し人類が延命するための環境問題の解決策は、すでにタイ
ムリミットを過ぎている。手遅れであり、残念なことであ
る。これも人類が選んだ道であるから仕方のないことであ
る。ただ、世界中のマスコミは、まだ人類が生き延びられ
ると信じているのは理解できないことである。今後の問題
ではなく、今日までに人類の経済活動によって大気中に放
出した炭酸ガスだけでも人類は滅亡するのである。
 すでに昨年末には、中国は米国を抜いて炭酸ガス最放出
国となった。その中国や米国の一年間に放出した炭酸ガス
をどう除去するつもりなのであろうか。今後、いくら炭酸
ガスの放出量を減らしたとしても、地球を覆う膜状の炭酸
ガスの量は増える一方である。したがって世界中の氷河の
溶けるのを防ぐことはできない。第一、大気中の炭酸ガス
を除去しようという論議は皆無である。なんともトンチン
カンな環境論議である。サミットとて同じである。8ヶ国
の首脳の中には、環境問題のタイムリミットさえ理解でな
い人もいる。そんな現状で人類が生き残る方策を見いだす
のは不可能なことである。第一、全首脳が環境問題に真剣
に取り組んだとしても人類の延命は不可能な段階に達して
いる。人類は22世紀を健全な状態で迎えられない。生き
残るのは5%以下であろう。
 そんな現状からすれば、人間として生き延びる方法を各
人が模索すべきである。政府とて頼りにならない。たとえ
ば、食料自給率が39%といわれる日本で、食料輸入が全
面的にストップした場合のシュミレーションは農水省でし
ている。イモ中心の粗末な食事である。しかし、各人の創
意工夫で自前調達する方法を常々各人が研究すべきであろ
う。万一、その時に遭遇するとすれば、研究している人と、
そうでない人との食生活は相当違うはずである。
 たとえば、野菜作りにうとい人でも、怠け者の人でも野
菜作りを簡単にできる方法をお教えしよう。それは四つの
野菜である。「アスパラ」、「ミツバ」、「ニラ」、「フ
キ」である。これらの野菜は一度種を蒔くと、毎年生えて
くる。芽が出て、適当な食味時に、手でつみ取ると、また
生えてくる。それを繰り返しただけでも相当な量になる。
最後の時期に何本か残しておくと、種が独りでに落ちる。
たとえばアスパラは全体に種がびっしりとつく。したがっ
て、特別な技術は必要ない。その種が落ちて翌年も自生す
るのである。詳しく知りたい方は、農家の方に教えてもら
えばいい。喜んで教えてくれるはずである。また、これら
の四つの野菜は「プランタン」でも作ることができる。も
しも、庭があったら、隣に他の野菜が来ないように、約
30㎝くらいの深さで、遮断するプラスチックの板などで
区分けしておくといいと思う。
 さらには、昆虫の料理方法を自前で研究しておくのも役
に立つはずである。
 サミットの報道を見聞するのと、野僧のブログの方と、
どちらが役に立つのかは、後で分かるであろう。