10月17日、またしても小泉首相は靖国神社に
参拝した。詭弁を弄する首相の言動は醜い。
「二度と戦争をしないという決意を表明した。今
日の平和は生きている人だけで成り立っているので
はない。戦没者に敬意と感謝の気持ちを伝えるのは
意義のあることだ」、と首相は記者団に強調してい
る。
しかし、よく読んでみると、詭弁にすぎないこと
がわかる。「二度と戦争をしないという決意」とい
うが、その一方で憲法9条の改悪を推し進めている。
いわば、戦争を想定した動きである。言行不一致で
ある。
また、「今日の平和は生きている人だけで成り立
っているのではない」というが、かっての日本政府
と日本軍のしてきた残虐な行為を正当化する意図以
外の何物でもない。日本軍に虐殺された諸国民の人
々や、その子孫に対する謝罪の意を感じ取ることは
できない。
さらに、「戦没者に敬意と感謝の気持ちを伝える
のは意義のあることだ」といっているが、日本軍は
諸外国に行って侵略し、虐殺行為をしたのである。
日本軍兵士の戦死者のみを云々するのは身勝手であ
り、真の人道主義に反するものである。民主主義の
何たるかを勉強し直すべきである。
「外国政府が、日本人が日本人の戦没者や世界の
戦没者に哀悼の意をささげるのを<いけない>とか
いう問題ではない」、とも首相はいっている。まる
で日本人のすべてが、首相と同じ意見であるかのよ
うに言っている。とんでもないことである。日本人
の中でも、先の大戦の賛否が分かれている。その証
拠に、世論調査では首相の靖国参拝に反対する人が
過半数を超えている。都合の悪い世論調査は見て見
ぬふりをする、ということ自体に靖国問題の根本問
題がある。
米国のアーリントン墓地のような無宗教の施設を
新設すべきである。靖国神社はこれまでの戦争の精
神的な支柱であっただけに、靖国神社をこのままに
しておくのは、戦争を意図する人々に利用されるだ
けである。第一、神道に慰霊の力があるのかどうか
疑問である。また、西郷隆盛などの反政府の人々は
靖国神社に祀られていない、などの問題もある。
首相の靖国参拝は、再度、戦争を意図した行為と
見るべきである。何とも空恐ろしいことである。
参拝した。詭弁を弄する首相の言動は醜い。
「二度と戦争をしないという決意を表明した。今
日の平和は生きている人だけで成り立っているので
はない。戦没者に敬意と感謝の気持ちを伝えるのは
意義のあることだ」、と首相は記者団に強調してい
る。
しかし、よく読んでみると、詭弁にすぎないこと
がわかる。「二度と戦争をしないという決意」とい
うが、その一方で憲法9条の改悪を推し進めている。
いわば、戦争を想定した動きである。言行不一致で
ある。
また、「今日の平和は生きている人だけで成り立
っているのではない」というが、かっての日本政府
と日本軍のしてきた残虐な行為を正当化する意図以
外の何物でもない。日本軍に虐殺された諸国民の人
々や、その子孫に対する謝罪の意を感じ取ることは
できない。
さらに、「戦没者に敬意と感謝の気持ちを伝える
のは意義のあることだ」といっているが、日本軍は
諸外国に行って侵略し、虐殺行為をしたのである。
日本軍兵士の戦死者のみを云々するのは身勝手であ
り、真の人道主義に反するものである。民主主義の
何たるかを勉強し直すべきである。
「外国政府が、日本人が日本人の戦没者や世界の
戦没者に哀悼の意をささげるのを<いけない>とか
いう問題ではない」、とも首相はいっている。まる
で日本人のすべてが、首相と同じ意見であるかのよ
うに言っている。とんでもないことである。日本人
の中でも、先の大戦の賛否が分かれている。その証
拠に、世論調査では首相の靖国参拝に反対する人が
過半数を超えている。都合の悪い世論調査は見て見
ぬふりをする、ということ自体に靖国問題の根本問
題がある。
米国のアーリントン墓地のような無宗教の施設を
新設すべきである。靖国神社はこれまでの戦争の精
神的な支柱であっただけに、靖国神社をこのままに
しておくのは、戦争を意図する人々に利用されるだ
けである。第一、神道に慰霊の力があるのかどうか
疑問である。また、西郷隆盛などの反政府の人々は
靖国神社に祀られていない、などの問題もある。
首相の靖国参拝は、再度、戦争を意図した行為と
見るべきである。何とも空恐ろしいことである。