今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

核廃絶、基地問題、平和等は国連軍の創設でほぼ解決!

2010-08-10 06:54:50 | 戦争と平和
 広島・長崎の原爆の日はほぼ例年通り終わった。今年は国連事務総長、
米、英、仏の大使等が式典に参加した意義は大きい。しかし、「核なき世
界」、「核廃絶は世界の声」と参列者が声高に語っても今ひとつ説得力が
ない。なぜならそれを実現する具体策を何ら説かないからである。それは
今のところリップ・サ-ビスに類するものである。策なき言葉は空論に等
しい。具体的には、菅首相は式典で「核兵器のない世界」の実現に向けて
先頭に立つと熱弁しても、式典直後には「(現実的には)核抑止力はわが
国にとって引き続き必要だ」と記者団に語っている。米国の核の傘を維持
せざるを得ない、という意味であろう。このような現実論は理解できる。
この菅首相の現実論は、世界共通の考え方だと思われる。ということは、
真に核なき世界の実現を考えていない、ということを意味している。そう
でなければ、核なき世界の具体策も示すべきである。
 国連軍の創設について具体的なことは本欄ではふれていない。それは、
釈迦に説法の感があったからである。端的にふれてみよう。今や一国だけ
で他国に武力介入することは不可能となっている。イラクがクエ-トに侵
攻したときは国連決議のもとに多国籍軍、イラクとアフガンに武力介入し
たときは米国と同盟国軍であった。その妥当性うんぬんという問題をはら
んでいるが、一国だけでは武力介入できないという国際世論は今後も揺る
ぎないものと思われる。これらの一連の武力介入は国連軍創設の萌芽と見
ることができるのではなかろうか。すなわち、世界の悪に、世界全体でが
立ち向かって世界平和を守るという意味がある。万一日本が他国から核攻
撃を受けたり、侵略された時に、米国は本当に日本を守ってくれるのか、
という議論がすでに日本でもある。米国を信じている人々はそれはそれで
いい。しかし、それは漠然とした信頼感によるものではなかろうか。ベト
ナム戦争、イラクとアフガンへの武力介入の時も、米国兵の戦死者が増え
ると米国の世論は撤退論が台頭してくる。野僧も米国に対する信頼感に満
たされているが、信頼という漠然としたものだけでは心もとない。当てに
なって、当てにならないような一面は否定できない。したがって、確固た
るシステムを構築する必要性がある。すなわち、「世界全体で世界各国を
守る」、というシステムのことである。その中核をなすのが国連軍である。
邪悪な国家権力者が現れても対処できるシステム、いかなるテロにも対処
できるシステム、その他いかなる平和を脅かす邪悪な人々にも対処できる
システムの構築は必要不可欠であり、緊急を要することである。このよう
な国連軍の創設を提唱するのは、早いに失することはない。国連軍とは世
界防衛軍、世界自衛軍と呼んでもいいだろう。勿論、原水爆も国連軍が管
理することになる。世界唯一の被爆国である日本の首相が提唱するのは当
然というより使命ではなかろうか。
 しかし、現実の世界は単純なものではない。自分の国さえ豊かな生活が
できればいいという利己主義も大きな壁となるだろう。また、兵器産業と
いう壁もある。したがって国連軍の創設を唱えてもすぐに実現できること
ではない。長い年月がかかるであろう。最終的には国連軍は世界市民から
支持されるだろう。それを承知の上で、理想を説くべき「時期」にきてい
ることは間違いのないことである。日蓮は何によらず「時」を最重要視し
ている。
 世界悪から世界や自分を守るのは、世界全体、世界市民の一人一人の自
覚による。戦争も、核廃絶も、世界各国の基地問題も、テロ問題等も、国
連軍ができればほぼ解決されると思われる。「世界全体が幸福にならなけ
れば、個人の幸福はあり得ない」と説いた宮沢賢治の言葉を思い出そう。
それは「殺すな」というブッダの根本思想そのものだからである。