7月30日(日本時間31日)、米下院本会議で
第二次世界大戦における日本軍の従軍慰安婦問題に
対し、日本政府は公式に謝罪するよう決議案を可決
した。さすがに民主主義を標榜する米国議会らしい
決議である。歴史上の事実関係を重視する米国の政
治家の資質が違う。
日本の保守的な政治家は、歴史的事実を無視し、
故意に歴史を歪曲した解釈にこれまで終始してきた。
戦争をしたいという「夢よもう一度」という旧植民
地的な支配と侵略の意図が衣の下からチラチラ見え
る単純な低レベルのものだった。いわば前時代的な
亡霊にうなされていたようなものである。また、口
を開けば「二度と戦争をしないため」、「平和のた
め」というリップサービスで本心を隠してきた。こ
こに日米の政治家の資質の違いを見ることが出来る。
また、一部の文化人やマスコミもそれに同調して
きた経緯がある。いわゆる日本の民主主義は欧米に
比べれば、リップサービス的な色彩の濃いものだっ
た。
教科書の右傾化、九条の改憲論議、原爆所持論議
のすすめ、特に、広島・長崎への原爆投下肯定論(
長崎県選出の前防衛庁長官発言)など、常識外の発
言が相次いでいる。いよいよ本心を露わにしてきた
のか、という感がある。
その中でも、吉田、池田、宮沢等の歴代総理大臣
は平和主義を標榜してきた。それが、せめてもの慰
めだった。保守的な政治家でも平和主義者は現在も
いる。加藤紘一自民党代議士もその一人ではなかろ
うか。その他にもいるはずである。そのような立派
な政治家がアウトサイダーとして阻害された立場に
追い遣られること自体、日本の民主主義は未熟であ
る。殺し合う戦争がそんなに好きなのであろうか。
人を殺すな、という仏心とは正反対の考え方である。
一方、北朝鮮による日本人拉致事件の問題も残さ
れている。誰が見てもそれは否定されるべきもので
ある。しかし、慰安婦問題が完全に解消されていな
い現状とを対比すれば、米国からすれば、「目くそ
鼻くそを笑う」の類にしか見えないのかも知れない。
「他人の過失は見やすいけれども、自己の過失は見
がたい。人は他人の過失をもみがらのように吹き散
らす。しかし、自分の過失は隠してしまう。狡猾な
ギャンブラーが不利なさいの目をかくしてしまうよ
うに」(法句経)
第二次世界大戦における日本軍の従軍慰安婦問題に
対し、日本政府は公式に謝罪するよう決議案を可決
した。さすがに民主主義を標榜する米国議会らしい
決議である。歴史上の事実関係を重視する米国の政
治家の資質が違う。
日本の保守的な政治家は、歴史的事実を無視し、
故意に歴史を歪曲した解釈にこれまで終始してきた。
戦争をしたいという「夢よもう一度」という旧植民
地的な支配と侵略の意図が衣の下からチラチラ見え
る単純な低レベルのものだった。いわば前時代的な
亡霊にうなされていたようなものである。また、口
を開けば「二度と戦争をしないため」、「平和のた
め」というリップサービスで本心を隠してきた。こ
こに日米の政治家の資質の違いを見ることが出来る。
また、一部の文化人やマスコミもそれに同調して
きた経緯がある。いわゆる日本の民主主義は欧米に
比べれば、リップサービス的な色彩の濃いものだっ
た。
教科書の右傾化、九条の改憲論議、原爆所持論議
のすすめ、特に、広島・長崎への原爆投下肯定論(
長崎県選出の前防衛庁長官発言)など、常識外の発
言が相次いでいる。いよいよ本心を露わにしてきた
のか、という感がある。
その中でも、吉田、池田、宮沢等の歴代総理大臣
は平和主義を標榜してきた。それが、せめてもの慰
めだった。保守的な政治家でも平和主義者は現在も
いる。加藤紘一自民党代議士もその一人ではなかろ
うか。その他にもいるはずである。そのような立派
な政治家がアウトサイダーとして阻害された立場に
追い遣られること自体、日本の民主主義は未熟であ
る。殺し合う戦争がそんなに好きなのであろうか。
人を殺すな、という仏心とは正反対の考え方である。
一方、北朝鮮による日本人拉致事件の問題も残さ
れている。誰が見てもそれは否定されるべきもので
ある。しかし、慰安婦問題が完全に解消されていな
い現状とを対比すれば、米国からすれば、「目くそ
鼻くそを笑う」の類にしか見えないのかも知れない。
「他人の過失は見やすいけれども、自己の過失は見
がたい。人は他人の過失をもみがらのように吹き散
らす。しかし、自分の過失は隠してしまう。狡猾な
ギャンブラーが不利なさいの目をかくしてしまうよ
うに」(法句経)