今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

裁判員制度と悪人正機説

2009-11-27 08:28:33 | 幸福の追求
 裁判員制度が発足してから半年になる。量刑の
決め方など、戸惑いと不安が広がっているようで
ある。それよりも何よりも、身の毛がよだつよう
な猟奇的な事件が相次いでいる。女子大生バラバ
ラ殺人事件、ドラム缶遺体事件などの事件が相次
いで発覚している。さらには英国人女性リンゼイ
さん事件の犯人が逃走2年半ぶりに逮捕された。
顔の整形手術などして逃れていたようである。愚
かなことである。
 裁判員制度に期待するとすれば、裁判に参加す
ることによって、事件の悲惨さや、犯罪結果責任
の重大さを再認識し、犯罪予防に対する効果があ
るのではないか、ということである。
 ブッダは、「己の愚かな行為によって、悩み苦
しむ」と説いている。また、「罪なき人を殺せば、
頭を逆さにして地獄に落ちる」とも説いている。
これが仏教の根幹であり、最重要課題である。
 そのブッダの教えを真正面から否定する仏教と
称する一派がある。それは悪人正機説である。「
善人なほもて往生す。いわんや悪人をや」という
主張である。明らかに、ブッダの教えに反するも
のである。ブッダの教えに反する以上、その一派
は仏教という看板を出すべきではないのではなか
ろうか。公然とポアと称して多数の人を殺したオ
ーム真理教(現在・アーレフ)が仏教と認められ
ないのと同じである。
 ブッダは、後世、自分の教えに反する一派が出
現することを在世当時から予見していた。最古の
仏典といわれる「スッタニパ-タ」は、ブッダが
本当に云ったであろう、と推測されている部分が
多数含まれているといわれている。それを紹介し
よう。

「めいめいの見解に固執し、互いに異なった執見
をいだいて争い、(みずから真理への)熟達者で
あると称して、さまざまに論ずる。『このように
知る人は真理を知っている。これを非難する人は
まだ不完全な人である』と」

 「かれらはこのように異なった執見をいだいて
論争し、『論敵は愚者であって、真理に達した人
ではない』という。これらの人々はみな『自分こ
そ真理に達した人であると』と語っているが、こ
れらのうちで、どの説が真実なのであろうか」

 「もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であ
って、低級な者であり、智慧の劣った者であるな
らば、これらの人々はすべて(各自の)偏見を固
執しているのであるから、かれらはすべて愚者で
あり、ごく智慧の劣った者であるということにな
る」

 「真理は一つであって、第二のものは存在しな
い」

 「世の中には、多くの異なった真理が永久に存
在しているのではない。ただ永久のものだと想像
しているだけである。かれらは、諸々の偏見にも
とずいて思索考究を行って、『(わが説は)真理
である』、『(他人の説は)虚妄である』、と二
つのことを説いているのである」

「『この(わが説)以外の他の教えを宣伝する
人々は清浄に背き、(不完全な人)である』、と
一般の諸々の異説の徒はこのようにさまざまに説
く。かれらは自己の偏見に耽溺して汚れに染まっ
ているからである」

(以上、「ブッダのことばースッタニパータ」中
村元訳。岩波文庫、第四、12、並ぶ応答より)
参照。

 ブッダは「人を殺すな」と説いている。人々の
幸福と安寧を願うからである。
 その教えに反して親鸞は、悪人正機説を説いて
いる。いかなる凶悪犯も救われるべきだ、という
殺人肯定を意味する。まさに悪魔信仰である。こ
れでは異教徒は殺してもかまわない、という旧約
聖書や新約聖書よりも悪い教えだといわざるを得
ない。キリスト教などは信仰を同じくする人には、
「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさ
い」と説いているからである。
 一体全体、悲惨と絶望に追いやられて殺された
被害者や肉親のことをどう思っているのであろう
か。加害者の凶悪犯は救われて、それらの人が悲
嘆にくれる、というのでは論理の一貫性と妥当性
はない。
 ところで、極めて有名な作家が数年前に、中国
での体験を吐露したことがあった。侵入してきた
ロシア兵に実母が凌辱されたということである。
それも、自分と父の前でである。その実母は自ら
の意志で食事を断って餓死した。きわめて痛まし
い事件の話しである。悪人正機説を説く一派の信
徒であるその作家の勇気に感動したものである。
悪人正機説にもとずいた吐露であるとすれば大悟
かも知れない。しかし、よく考えると悪人のロシ
ア兵は救われることになる。一方の実母はそれで
救われるのであろうか。断食して餓死した実母の
無念さを、誰が、どう、弔うのであろうか。そこ
に多少の疑念が残る。
 ブッダは、悪人を殺せ、とは云っていない。彼
らこそ情けをかけるべき悲器である、と云ってい
る。また、どんな凶悪犯でも死刑にすべきではな
い、と説いている。さらにいかなる民族、いかな
る宗教を信ずる人でも殺してはならない、と説い
ている。ただし、悪人は死後に頭を逆さまにして
地獄に落ちる、といっている。そこが悪人正機説
とは完全に異なっている。
 悪人正機説は凶悪犯罪を助長する悪魔信仰であ
り、世の中を案檀たるものにするに過ぎない。悪
人に免罪符を売る商売上手な宗教であるとも云え
るのではなかろうか。

天皇在位20年を喜ぶ

2009-11-12 10:38:40 | 皇室
 天皇陛下と皇后陛下の両陛下は在位20年を迎えた。
この20年間、外国元首との会見などの公務は4,5
78件、国内式典の出席や外国訪問など6,616件、
その他祭祀など11,183件。合計22,377件
である。年平均 約1189件、一日平均 約3件と
なる。これは単純計算で、地方への行幸や外国訪問な
どの日数を加えるとどのくらいになるのであろうか。
いずれにしても、かなりの激務である。
 われわれ一般人なら、今日はくたびれたといって風
呂あがりにステテコ姿でビ-ルなどを飲んで一服でき
る。また、回転寿司やソバやラ-メンなどを食べに行
くのも自由である。
 しかし、皇族の皆さんはそれほど自由ではないはず
である。警備の都合があるからである。すなわち、ス
トレスの溜まりやすい日常生活と推測できる。また、
ちょっとした発言の言葉じりをとらえられて政治家や
マスコミなどに取り上げられることもある。気の休ま
ることがないのではなかろうか。一時、皇后陛下が言
葉を失ったこともある。また、雅子妃殿下は精神的な
ことに起因すると思われる疾患でお苦しみのようであ
る。まったくもってお気の毒なことである。その中で、
20年間という長きにわたり公務を見事にこなしてこ
られた両陛下は尊敬にあたいする。
 11日の記者団との会見の中で、一番印象的だった
のは、日本の将来について聞かれたとき、「私がむし
ろ心配なのは、次第に過去の歴史が忘れられていくの
ではないかということです。昭和の時代は、非常に厳
しい状況の下で始まりました。昭和3年、昭和天皇の
即位の礼が行われる前に起こったのが、張作霖爆殺事
件でしたし、3年後には満州事変が起こり、先の大戦
に至るまでの道のりが始まりました。昭和天皇にとっ
て誠に不本意な歴史であったのではないかと察してお
ります。昭和の六十余年は私どもに様々な教訓を与え
てくれます。過去の歴史的事実を十分に知って未来に
備えることが大切だと思います」、と発言している。
 この発言は、三つの重大な意味があると思われる。
第一は、先の大戦は大変残念なことだった、というこ
とであろう。第二に、先の大戦は昭和天皇の望むとこ
ろではなかった。昭和天皇の意思に反することだった、
ということであろう。第三に、これらの過去の歴史的
認識を忘れず、二度と戦争をしないようにしてほしい、
という意味であろう。
 このことは今生天皇が即位してから、ずっと気にか
けていたのであろう。その証拠として、2005年の
サイパン島への慰霊訪問がある。多数の日本人が身を
投げたバンザイクリフでの黙祷、沖縄出身者の慰霊碑
「おきなわの塔」、さらには日本の軍人・軍属として
戦死した「韓国平和記念塔」のそれぞれにも拝礼され
ている。さらには、日本人としてどうしても記憶して
おかなければならない日として、6月23日の沖縄戦
終結の日、8月6日の広島原爆の日、8月9日の長崎
原爆の日、8月15日の終戦記念日の四つをあげ、両
陛下は毎年、これらの日に黙祷をささげられていると
報じられている。
 これまでの自民党の一般的な傾向として、一番欠落
していたのは、先の大戦に対する反省の態度が、ほと
んど感じられなかった。その無反省に対する国民の怒
りが鬱積していたのである。それが、日の丸、君が代
という国旗、国歌の強制には納得できかねる一番の要
因だった。何年か前に、天皇が「日の丸、君が代」を
強制しないように、といさめられたことがあった。時
代は民主党に変わった。ここらへんで、先の大戦に対
する論争を止めて、全国民の納得する方向に舵を切る
節目としてもいいのではなかろうか。誇りある日の丸
と国家を歌う時期にきたと信じている。ただし、過去
を正しく認識した上でのことであるのは云うまでもな
いことである。(読売新聞、北海道新聞、参照) 

松井選手はどこに行く?

2009-11-06 08:27:14 | 野球
 ヤンキ-スの松井秀喜選手(35)がワ-ルドシリ
-ズでMVPに輝いた。特にフィリ-ズとの決勝戦で
の一試合6打点には驚いた。1960年のボビ-・リ
チャ-ドソン(ヤンキ-ス)に並ぶ金字塔を打ち立て
た。
 06年には左手首骨折、07年には右ひざ痛、08
年にも左ひざ痛と満身創痍だった。その中で今年は打
率.274、HR28本だった。まあまあの成績とい
っていだろう。しかし、ワ-ルドシリ-ズでは、6試
合、13打数8安打、打率6割1分5厘、3本塁打、
8打点と驚異的な記録である。昨日の決勝戦で6打点
を叩き出したとき、大観衆がMVPと叫んだのは感動
的だった。忘れなれない名場面だった。それにもかか
わらず松井は表情を変えず、平然としていたのは不可
解だった。ニコッとするなり、帽子をとって挨拶する
なり、なぜしないのか分からなかったからである。得
意平然、失意平然の心境だったのであろう。
 しかし、今日の読売と北海道新聞を読んでその謎が
解けた。今年はHRを打った翌日、スタメンからはず
されたことが何度もあったということである。また、
DH専門で、守備もさせてもらえなかった。これらの
状況から松井は不満が鬱積していたのであろう。また、
打撃専門では体のキレが悪くなりドンドン衰えていく
という不安があったからだと報じられている。選手寿
命が縮まるという不安である。
 その半面、松井にとって不本意な周囲の評価に対す
る反発心がワ-ルドシリ-ズの驚異的な記録につなが
ったともいえよう。一般社会や会社などでもよくある
話しでもある。世の中、一筋縄では行かないものであ
る。
 さて、来期のことであるが、松井がヤンキ-スに残
留する機会は少ないのではなかろうか。なぜなら、ヤ
ンキ-スのキャッシュマンGMは、「すばらしい活躍
だったが、先のことはこれから考える」と、試合終了
後、コメントしているからである。たまたま絶好調だ
ったといわんばかりである。松井が絶対に必要だと云
っていない。松井も守備をさせてもらえないのであれ
ば、移籍も止むを得ないと思っているようである。ま
た松井は常時スタメン出場を希望しているようである。
 だとすれば、DH制があるアメリカン・リ-グのい
ずれかのチ-ムになるのではなかろうか。DHを主に
しながら、体調を勘案しながら守備もさせてくれる球
団になるのではなかろうか。
 一方、イチロ-は9年連続200安打という偉業を
達成している。ここまで来ればワ-ルドシリ-ズに進
出したいという強い夢をもっていると報じられている。
松井もイチロ-も自制心の強い選手である。この二人
が同じチ-ムで中心となってワ-ルドシリ-ズに向か
って頑張れば夢ではなく実現する可能性が高い。また、
バッティング・スタイルの違う二人にとってお互いに
参考となることが数多くあるはずである。
ヤンキ-スの優先交渉権は11月19日までである。
弱小球団を世界一にするのも最大のロマンではなかろ
うか。レイズの岩村はチームをアメリカン・リーグの
覇者にまでしたが、世界一にはできなかった。その岩
村も来年はパイレーツに移籍が決まったばかりである。
 松井はマリナ-ズに是非とも入ってほしい。