裁判員制度が発足してから半年になる。量刑の
決め方など、戸惑いと不安が広がっているようで
ある。それよりも何よりも、身の毛がよだつよう
な猟奇的な事件が相次いでいる。女子大生バラバ
ラ殺人事件、ドラム缶遺体事件などの事件が相次
いで発覚している。さらには英国人女性リンゼイ
さん事件の犯人が逃走2年半ぶりに逮捕された。
顔の整形手術などして逃れていたようである。愚
かなことである。
裁判員制度に期待するとすれば、裁判に参加す
ることによって、事件の悲惨さや、犯罪結果責任
の重大さを再認識し、犯罪予防に対する効果があ
るのではないか、ということである。
ブッダは、「己の愚かな行為によって、悩み苦
しむ」と説いている。また、「罪なき人を殺せば、
頭を逆さにして地獄に落ちる」とも説いている。
これが仏教の根幹であり、最重要課題である。
そのブッダの教えを真正面から否定する仏教と
称する一派がある。それは悪人正機説である。「
善人なほもて往生す。いわんや悪人をや」という
主張である。明らかに、ブッダの教えに反するも
のである。ブッダの教えに反する以上、その一派
は仏教という看板を出すべきではないのではなか
ろうか。公然とポアと称して多数の人を殺したオ
ーム真理教(現在・アーレフ)が仏教と認められ
ないのと同じである。
ブッダは、後世、自分の教えに反する一派が出
現することを在世当時から予見していた。最古の
仏典といわれる「スッタニパ-タ」は、ブッダが
本当に云ったであろう、と推測されている部分が
多数含まれているといわれている。それを紹介し
よう。
「めいめいの見解に固執し、互いに異なった執見
をいだいて争い、(みずから真理への)熟達者で
あると称して、さまざまに論ずる。『このように
知る人は真理を知っている。これを非難する人は
まだ不完全な人である』と」
「かれらはこのように異なった執見をいだいて
論争し、『論敵は愚者であって、真理に達した人
ではない』という。これらの人々はみな『自分こ
そ真理に達した人であると』と語っているが、こ
れらのうちで、どの説が真実なのであろうか」
「もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であ
って、低級な者であり、智慧の劣った者であるな
らば、これらの人々はすべて(各自の)偏見を固
執しているのであるから、かれらはすべて愚者で
あり、ごく智慧の劣った者であるということにな
る」
「真理は一つであって、第二のものは存在しな
い」
「世の中には、多くの異なった真理が永久に存
在しているのではない。ただ永久のものだと想像
しているだけである。かれらは、諸々の偏見にも
とずいて思索考究を行って、『(わが説は)真理
である』、『(他人の説は)虚妄である』、と二
つのことを説いているのである」
「『この(わが説)以外の他の教えを宣伝する
人々は清浄に背き、(不完全な人)である』、と
一般の諸々の異説の徒はこのようにさまざまに説
く。かれらは自己の偏見に耽溺して汚れに染まっ
ているからである」
(以上、「ブッダのことばースッタニパータ」中
村元訳。岩波文庫、第四、12、並ぶ応答より)
参照。
ブッダは「人を殺すな」と説いている。人々の
幸福と安寧を願うからである。
その教えに反して親鸞は、悪人正機説を説いて
いる。いかなる凶悪犯も救われるべきだ、という
殺人肯定を意味する。まさに悪魔信仰である。こ
れでは異教徒は殺してもかまわない、という旧約
聖書や新約聖書よりも悪い教えだといわざるを得
ない。キリスト教などは信仰を同じくする人には、
「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさ
い」と説いているからである。
一体全体、悲惨と絶望に追いやられて殺された
被害者や肉親のことをどう思っているのであろう
か。加害者の凶悪犯は救われて、それらの人が悲
嘆にくれる、というのでは論理の一貫性と妥当性
はない。
ところで、極めて有名な作家が数年前に、中国
での体験を吐露したことがあった。侵入してきた
ロシア兵に実母が凌辱されたということである。
それも、自分と父の前でである。その実母は自ら
の意志で食事を断って餓死した。きわめて痛まし
い事件の話しである。悪人正機説を説く一派の信
徒であるその作家の勇気に感動したものである。
悪人正機説にもとずいた吐露であるとすれば大悟
かも知れない。しかし、よく考えると悪人のロシ
ア兵は救われることになる。一方の実母はそれで
救われるのであろうか。断食して餓死した実母の
無念さを、誰が、どう、弔うのであろうか。そこ
に多少の疑念が残る。
ブッダは、悪人を殺せ、とは云っていない。彼
らこそ情けをかけるべき悲器である、と云ってい
る。また、どんな凶悪犯でも死刑にすべきではな
い、と説いている。さらにいかなる民族、いかな
る宗教を信ずる人でも殺してはならない、と説い
ている。ただし、悪人は死後に頭を逆さまにして
地獄に落ちる、といっている。そこが悪人正機説
とは完全に異なっている。
悪人正機説は凶悪犯罪を助長する悪魔信仰であ
り、世の中を案檀たるものにするに過ぎない。悪
人に免罪符を売る商売上手な宗教であるとも云え
るのではなかろうか。
決め方など、戸惑いと不安が広がっているようで
ある。それよりも何よりも、身の毛がよだつよう
な猟奇的な事件が相次いでいる。女子大生バラバ
ラ殺人事件、ドラム缶遺体事件などの事件が相次
いで発覚している。さらには英国人女性リンゼイ
さん事件の犯人が逃走2年半ぶりに逮捕された。
顔の整形手術などして逃れていたようである。愚
かなことである。
裁判員制度に期待するとすれば、裁判に参加す
ることによって、事件の悲惨さや、犯罪結果責任
の重大さを再認識し、犯罪予防に対する効果があ
るのではないか、ということである。
ブッダは、「己の愚かな行為によって、悩み苦
しむ」と説いている。また、「罪なき人を殺せば、
頭を逆さにして地獄に落ちる」とも説いている。
これが仏教の根幹であり、最重要課題である。
そのブッダの教えを真正面から否定する仏教と
称する一派がある。それは悪人正機説である。「
善人なほもて往生す。いわんや悪人をや」という
主張である。明らかに、ブッダの教えに反するも
のである。ブッダの教えに反する以上、その一派
は仏教という看板を出すべきではないのではなか
ろうか。公然とポアと称して多数の人を殺したオ
ーム真理教(現在・アーレフ)が仏教と認められ
ないのと同じである。
ブッダは、後世、自分の教えに反する一派が出
現することを在世当時から予見していた。最古の
仏典といわれる「スッタニパ-タ」は、ブッダが
本当に云ったであろう、と推測されている部分が
多数含まれているといわれている。それを紹介し
よう。
「めいめいの見解に固執し、互いに異なった執見
をいだいて争い、(みずから真理への)熟達者で
あると称して、さまざまに論ずる。『このように
知る人は真理を知っている。これを非難する人は
まだ不完全な人である』と」
「かれらはこのように異なった執見をいだいて
論争し、『論敵は愚者であって、真理に達した人
ではない』という。これらの人々はみな『自分こ
そ真理に達した人であると』と語っているが、こ
れらのうちで、どの説が真実なのであろうか」
「もしも論敵の教えを承認しない人が愚者であ
って、低級な者であり、智慧の劣った者であるな
らば、これらの人々はすべて(各自の)偏見を固
執しているのであるから、かれらはすべて愚者で
あり、ごく智慧の劣った者であるということにな
る」
「真理は一つであって、第二のものは存在しな
い」
「世の中には、多くの異なった真理が永久に存
在しているのではない。ただ永久のものだと想像
しているだけである。かれらは、諸々の偏見にも
とずいて思索考究を行って、『(わが説は)真理
である』、『(他人の説は)虚妄である』、と二
つのことを説いているのである」
「『この(わが説)以外の他の教えを宣伝する
人々は清浄に背き、(不完全な人)である』、と
一般の諸々の異説の徒はこのようにさまざまに説
く。かれらは自己の偏見に耽溺して汚れに染まっ
ているからである」
(以上、「ブッダのことばースッタニパータ」中
村元訳。岩波文庫、第四、12、並ぶ応答より)
参照。
ブッダは「人を殺すな」と説いている。人々の
幸福と安寧を願うからである。
その教えに反して親鸞は、悪人正機説を説いて
いる。いかなる凶悪犯も救われるべきだ、という
殺人肯定を意味する。まさに悪魔信仰である。こ
れでは異教徒は殺してもかまわない、という旧約
聖書や新約聖書よりも悪い教えだといわざるを得
ない。キリスト教などは信仰を同じくする人には、
「右の頬を打つような者には、左の頬も向けなさ
い」と説いているからである。
一体全体、悲惨と絶望に追いやられて殺された
被害者や肉親のことをどう思っているのであろう
か。加害者の凶悪犯は救われて、それらの人が悲
嘆にくれる、というのでは論理の一貫性と妥当性
はない。
ところで、極めて有名な作家が数年前に、中国
での体験を吐露したことがあった。侵入してきた
ロシア兵に実母が凌辱されたということである。
それも、自分と父の前でである。その実母は自ら
の意志で食事を断って餓死した。きわめて痛まし
い事件の話しである。悪人正機説を説く一派の信
徒であるその作家の勇気に感動したものである。
悪人正機説にもとずいた吐露であるとすれば大悟
かも知れない。しかし、よく考えると悪人のロシ
ア兵は救われることになる。一方の実母はそれで
救われるのであろうか。断食して餓死した実母の
無念さを、誰が、どう、弔うのであろうか。そこ
に多少の疑念が残る。
ブッダは、悪人を殺せ、とは云っていない。彼
らこそ情けをかけるべき悲器である、と云ってい
る。また、どんな凶悪犯でも死刑にすべきではな
い、と説いている。さらにいかなる民族、いかな
る宗教を信ずる人でも殺してはならない、と説い
ている。ただし、悪人は死後に頭を逆さまにして
地獄に落ちる、といっている。そこが悪人正機説
とは完全に異なっている。
悪人正機説は凶悪犯罪を助長する悪魔信仰であ
り、世の中を案檀たるものにするに過ぎない。悪
人に免罪符を売る商売上手な宗教であるとも云え
るのではなかろうか。