今週の法話

法華宗北海寺住職-二王院観成による仏教用語と法話集です。毎週水曜日に更新いたします。

今、毎日新聞が面白い !

2012-05-24 21:01:56 | メディア
政府がゼロべースで見直しをすると云う裏で、1ヶ月前の4月24日、経産省・
資源エネルギー庁、電気事業者ら推進側だけを集め、「勉強会」と称する秘密
会を東京・霞ヶ関の中央合同庁舎の4階で開いていたことが分かった、と毎日
新聞は24日の朝刊で報じた。目的は、内閣府原子力委員会が原発の使用済み核
燃料の再処理政策を論議してきた原子力委・小委員会の報告書を作成するに際
し、再処理に有利になるよう求める事業者側の意向にそった「総合評価」を書
き換えるための秘密会だった、と云う。その時に配られた資料に、「4/24 勉
強会用 【取扱注意】」とある表紙などの写真まで掲載されている。

 その後、小委員会はその修正後の総合評価を踏襲して今月の23日、「新大綱
策定委員会」に報告して解散した、と云う。近く、政府のエネルギー・環境会
議に報告される予定となっている、と報じられた。

 このような国民を不幸に突き落としかねない重大議案が、事業者側の意向に
そってユガメられたのは不正義である。毎日新聞は一面で「議論 一からやり
直しを」と主張している。この報道は近年まれに見る大スクープである。国民
の側に立った毎日新聞に敬意を表したい。これぞ、真の報道だからである。

 以前から再処理の核燃料サイクルは、最も危険であると科学者などから指摘
されていたのである。それにしても、経産省は電力各社のいいなりに、なぜな
っているのだろうか。その理由を経産省は国民に説明すべきである。

感動的な「なかにし礼・不滅の歌謡曲」

2010-11-20 09:45:23 | メディア
 NHK「プレミアム8」・「なかにし礼・不滅の歌謡曲」を見た。前篇1時間30分、後編
1時間30分の二部構成となっていた。なんとなく録画した。最初の一回は、大ざっぱに見た。
何の感動もなかった。真剣に話を聞かなかったからである。二回目は懐かしい歌につられて見
た。礼氏の話に興味がわいた。3回目はメモを取りながら真剣に見た。感動的な内容だった。
 現在の歌謡曲やポップスは音楽ではないと思っている。礼氏のヒット曲の時代までは歌謡曲
も良かった。現在の歌は聞くに耐えないと感じている。むしろ不快に感じる時がある。どうし
てこんなことになったのか不思議に思っていた。昔の音楽はメロディ-が主体だった。現在は
リズムが主体だと云われる。特に高齢者にとっては同じ思いの人が多いのではなかろうか。
 次に、歌謡曲の歌詞は生々し過ぎる、と思っていた。特に男女の愛を歌う歌詞が身近に感じ
られていやだった。反面、欧米などのジャズやポップスは歌詞の内容が分からず、メロディや
リズムを楽しんでいた。また、バンド演奏だけの曲が野僧は好きだった。自分の夢想の世界に
ひたることで満足した。
 しかし、今回の「なかにし礼・不滅の歌謡曲」は感動的なものだった。日本の歌謡界の認識
を完全に反転させられる説得力のある内容だった。とくに大正時代は自由、平等、博愛を求め
る社会情勢の中で、歌謡曲は3拍子だったという。
 昭和になって軍国主義が押し進められる中で、軍歌中心の2拍子となった。その中で、古賀正
男氏の名曲「影をひたいて」は、「まぼろしの影をひたいて」という女性を追慕する女々しい
男の歌だった、と礼氏は分析している。結局、この歌は軍国主義に抗することを意図したもの
だったのではないかと、と礼氏は云いたかったのではなかろうか。しかし、その後、古賀氏は
軍歌を数多く作曲するようになった。軍部からの要請と圧力があったのかも知れないと推測さ
れる。特に、「建設の歌」は、多くの若人などを積極的に中国などへ入植させ、命を落とす原
動力になったと礼氏は分析している。また、礼氏は古賀氏の自宅へ何度も招かれることがあっ
たという。その時、観音像を安置しているのを確認している。おそらく、若人を入植させ、死
地に追いやる結果になったことに対する贖罪から、観音像に手を合わせる日々だったのではな
かろうかと礼氏は見ているようである。一方、山田耕筰氏も「大陸の黎明」という軍歌を作曲
している。いずれも魂を売り渡す戦争犯罪人として連合国から罰せられるのではないかと心配
したと云われる。幸いそれは杞憂にすぎなかった。
 ところで礼氏が作家になったのは石原裕次郎氏からの偶然の誘いがあったからだと告白して
いる。昭和38年、伊豆のホテルで石原裕次郎氏の新婚さんだけのディナ-ショ-があった。
そこに礼氏も出席していた。ショ-の始まる前に、石原氏から礼夫妻は指名され、石原氏のそ
ばに座らされたという。実は、ロビ-で新婚さんの品定めを石原氏はしていたという。その中で
礼氏夫妻が一番かっこが良い、ということになったということである。そして何をしているの
かと聞かれ、シャンソンの翻訳をしていると答えた。日本人なんだから日本語の歌を作詞して
はどうかと進められたという。歌ができたら石原プロに持ってきてほしい、協力できるかもし
れないと云われたという。当時、石原氏は「太平洋ひとりぼっち」という映画の撮影中だった
という。この映画をぜひ見てほしい、と石原氏はいったという。その映画ができて見たら、礼
氏が忘れられないシ-ンがあったという。それはヨットの中で、短波放送を聞いていて、村田
秀男氏の「王将」の一節に「」ふけば飛ぶよな将棋の駒に、かけた命を笑わば笑え」という部
分で、「ふけば飛ぶよな小さなヨットに、かけた命を笑わば笑え」と石原氏が歌い、一粒の涙
を流すシ-ンに感動したと礼氏はいっている。それから「涙と雨にぬれて」という曲を礼氏は
作詞・作曲した曲を石原氏のもとにもっていったという。裕圭子、ロスインディオスの歌で発
売され、20万枚のヒット曲になったという。また、石原氏に頼まれて作詞したのが、「わが
人生に悔いはなし」で、発売2ケ月後に石原裕次郎氏は他界した。また、美空ひばり氏に歌っ
てもらった「さくらの唄」は、礼氏が自殺したいぐらいに落ち込んだときの曲で、そのエピソ
-ドも感動的な内容であった。
 一方、日本の歌謡界に新風を吹き込み、幅を広げたのは「ブル-シャト-」だったと述懐し
ている。しかし、現在のような歌謡界になった原因に対する分析は今一だった。なかにし礼氏
は今後ともわれわれ日本人に好い歌を作ってほしい、と期待している。

レスターブラウン氏の「地球の未来は楽観的」(朝日新聞)に疑問を呈する

2005-01-13 00:25:53 | メディア
 朝日新聞は今年の1月1日から10回にわたって、「未来を
語る」を特集した。毎回、各界のパーソナリティと記者との問
答形式をとった。結果的には、環境問題などで切迫した状況判
断をした人は一人もいなかった。また、人類の終末を予測した
人もいなかった。当然といえば当然の結末である。朝日は、環
境破壊による人類の終末を説くパーソナリティを登場させなか
ったからである。人選は朝日がしたのである。また、各パーソ
ナリティの考え方も最初から分かった上での人選である。はっ
きり言えば、朝日の考え方に近いパーソナリティだけ登場させ、
それをもってオピニオン・リーダーとしての朝日の論調の正当
性(?)と権威を誇示するのが目的だったのであろう。これで
は「未来を語る」ではなく、「未来を押しつける」ものといえ
よう。
 この朝日のやり方は公正なものとはいえない。たとえば、環
境問題に早くから警鐘を鳴らし続けてきた食生態学者の西丸震
哉氏などを登場させて読者に判断させるべきだったのである。
 かっても今も朝日は死刑廃止の立場のはずである。これは評
価されてしかるべきである。一方、かって「世界連邦」に関す
る世界のパーソナリティの討論を特集したことがある。これも
世界連邦の実現は「不可能に近い」という意見を持つパーソナ
リティばかり登場させた。その結果かどうかは分からないが、
一つの世界政府を造ろうという世界連邦運動を方向転換させた
ことがある。現在の世界連邦運動は、「一つの世界政府を造る
理想を放棄」し、「現在の国連組織の拡大した組織」程度のも
のと後退した理想なき組織になってしまつた。世界連邦運動を
ねじ曲げる結果に導いたのである。これは日本だけの問題では
なく世界的な動きの結果である。したがって、朝日だけの責任
ではないのかもしれない。しかし、朝日も世界的なメディア支
配を受けているのではないかという疑問を抱くのは考えすぎな
のであろうか。
 今一つは、人の声を聞こうとしない欠点を朝日は持っている。
新聞は公共性を持っているのであるから、いろいろな意見を紹
介すべきではなかろうか。その上で、朝日はこう思う、という
態度に徹すべきである。大いなるプライドを持つのは結構なこ
とであるが、間違った方向にリードするのだけは止めてほしい。
後世になって、人類滅亡のA級戦犯のレッテルを貼られる愚挙
だけは避ける報道に徹するべきである。
 2回目(1月3日)に登場したのがレスター・ブラウン氏で
ある。レスター・ブラウン氏は1938年に米国に生まれた。
ハーバード大学で農業などを学び、米国農務省に入る。197
4年、ロックフェラー財団の支援を受けて、世界の環境問題を
分析し、対策を提言するワールドウオッチ研究所を設立する。
1984年「地球白書」を年次刊行物として創刊した。世界の
30の言語に翻訳され刊行されている。続いて1992年には
「地球環境データブック」を刊行し、毎年発刊している。この
両書は「環境問題のバイブル」といわれている。私もこの両書
を参考にしてきた。
 「地球の未来は大丈夫ですか」という記者の質問に、「私は
楽観的だ。ところが現実の出来事はそれをなかなか裏付けてく
れない。残念だ」、と同氏は答えている。
 この記述が本当であるならば、ブラウン氏は真実を答えてい
ないことになる。なぜなら、これまで両書で提示してきた内容
と矛盾するからである。
 たとえば、「地球白書2001~02」の中で、「グリーン
ランドは、その大部分が無人であり、数百年ものあいだの積雪
によって築かれた分厚い氷床に覆われている。・・・2000
年にアメリカの科学者のチームが、巨大なグリーンランドの氷
床が溶融しているのを発見したのは、予期せぬ出来事だった。
メキシコよりも広い面積を覆っているその氷は、地中海の三分
の二を満たせるだけの水に等しい。氷床は、一年で約150億
立法メートルの水を失っていると推定されており、これはすで
にナイル川の年間流水量に達しており、観測されている海面水
位の年間上昇の7%を占めている。サイエンス誌のある論文に
よると、グリーンランドの氷床がすべて溶けてしまったら、海
面水位は7m上昇する。グリーンランドの氷床の溶解は、・・
・人間にとってのその長期的な影響は大きい。ヒマラヤの氷河
から南極大陸まで、地球上のほぼすべての地域で氷は溶融しは
じめてきており、これは、毎年数十億トンもの化石燃料を燃焼
させることに起因する地球の気温上昇の、もっとも衝撃的なサ
インの一つである」と明記している。
(私の反論)
 上記のグリーンランドの氷床の溶解は、単に海面の上昇だけ
が問題ではない。人類の存亡にかかわる重大な問題だけに、あ
えて「釈迦に説法」になるが反論してみよう。ブラウン氏は百
も承知のことであろう。
 大西洋の「熱のベルトコンベア」のことである。ヨーロッパ
北部の都市が凍結を免れているのは、南太平洋の暖かい海流が
アフリカ沖から運ばれてくるからである。これが「熱のベルト
コンベア」といわれる海流である。この海流は大西洋を循環し
ている。しかし、グリーンランドなどの北極圏の温暖化の影響
で、氷が溶けて真水が海に流入するため、海水の塩分濃度が薄
まり、暖流が海底にひずみ込む動きが弱まっている。すなわち、
「熱のベルトコンベア」が止まってしまう危険性が指摘されて
いる。これは人類にとって重大なことを意味している。大西洋
地域だけでなく、地球全体の自然の摂理のバランスが崩壊する
ことを意味するからである。もしも、そうなれば地球全体の自
然環境は全面崩壊することになるだろう。このような予測の元
で、なぜ「地球の未来を楽観視」できるのであろうか。ブラウ
ン氏は真実を語っていない。人類の未来を語るのであれば、真
実を語るべきである。我々は温暖化のことばかり心配している
が、一方で、寒冷化の心配もあるのである。温暖化と寒冷化と
いう奇妙な矛盾も含んでいることも理解すべきである。
 この他にも、気温の上昇、台風、ハリケーン、サイクロンな
どの強大化、オゾンホールによる皮膚ガンの多発化、酸性雨の
濃度が濃くなることによる森林の消滅、食糧難時代の到来、健
全な飲料水の不足、光化学スモッグの拡大等々が心配されてい
る。
 さらには、過去25年の間に、約30の新たな病気が発生し
ている。ブラウン氏は、現代人の体から500種類の化学物質
が検出されるようになったと指摘している。その化学物質が化
学変化、あるいは相乗効果していかなる悪影響を人体に与える
か分からない。さらに、動物に宿主する原因の病気の発生で世
界中がパニックにおちいった。
 いずれにしても「地球白書」と「地球環境データブック」が
指摘している通りに地球も人類も推移している。
 何をもって「地球の未来は楽観できる」とブラウン氏はいっ
ているのであろうか。楽観的な資料とは何なのであろうか。
 今回のブラウン氏の発言を思いやるとき、「ローマクラブ」
を思い出す。、「ローマクラブ」も上記の両書と同じような主
張をしていた。しかし、企業サイドから見ると、極めて都合の
悪い存在になった。企業の資金援助は途絶え、同クラブは開店
休業の状態になった。それと同じ事ではないかと思っている。
 このまま無為無策で人類が過ごすならば、人類の未来は暗黒
である。人類は目を覚ますべきである。これまで朝日新聞を私
は愛読してきた。フアンであるからこそ苦言を呈するのである。
私が同紙に苦言をいわなくなった時は、他紙に変わる時である。
 

会長職を辞任し、NHKを守れ

2004-12-23 15:17:49 | メディア
 NHKの一連の不祥事は、一般国民の立場から見ても、
大変なことである。国民からの受信料で運営されている以
上、最高責任者としての責任は免れないのではなかろうか。
 普段から感じていることであるが、NHKの番組は、何
かと参考になることが多い。災害情報を長時間にわたり放
送してくれる。日本や世界の興味あることを紹介してくれ
る。環境問題などを特集してくれる。生活の知恵を提示し
てくれる。世界の戦争状況などを特集してくれる。いろん
な専門分野のことを分かりやすく紹介してくれる。高校野
球をすべて放送してくれる。相撲などをすべて放送してく
れる。何よりも、親子で安心して見ていられるのが、一番
の特色であろう。
 民放は、企業などのスポンサ-が付かなければ、放送その
ものができない、という事情から、視聴率第一主義となら
ざるをえない。これは民放に従事する方々にとっては、手
かせ足かせをされているようなものであろう。また、NH
Kに比べれば、資金不足という現実もある。このように考
えると、民放に同情せざるをえない一面もある。しかし、
民放の番組は、「お笑い」番組が主体で、我々が見てもあ
まり面白くない、という点が気にかかる。また、年から年
中、お笑い番組ばかり見ていれば、白雉化されてしまうの
ではないかという点も気になる。いずれにしても民放は、
見たい番組が少ない、というのが我々高齢者のいつわらざ
る実感ではなかろうか。
 これに反し、NHKはいい番組が多い。これは泥沼に咲
く一輪の蓮のようなものである。この貴重な存在のNHK
は危機を迎えている。この危機を乗り越えるのは、NHK
自身の自助努力が、先ず必要である。会長は納得しがたい
であろうが、まず会長が辞任し、国民に納得してもらうこ
と以外に、会長は責任を取るべき方法はない。
 それでなくとも、現会長が会長職に止まっていられる期
間は、そんなに長くないであろう。現会長は辞任してNH
Kを守ってほしい。